ポートフォリオ 1‐10編
2014年4月から2020年1月までの7年弱、1-10に居ました。具体的な案件と役割を事細かに書いていくと揉めそうなのでふわっと書いていきます。
2014年4月~2015年6月 1-10 design時代
1-10のWorksで確認できます。 この時代はほぼエンジニアとして稼働してました。
エンジニアの内容としては大きくメカ、回路、ソフトの3つ。
メカだとFusion360で3Dモデルを作って3Dプリンタで出力したり(私物でReplicatorを持ってました)、イラストレータで作ったファイルでレーザーカッターを駆使してロボットアームのアタッチメントを作成したり。大きいものだとミスミのアルミフレームを発注してスキャンブースをくみ上げたり。
回路だとArduino、mbedとセンサを使った電子工作、Eagle CADを使った基板作成などをやってました。あ、BluegigaのBLE112をつかってモノ作ったりもしましたね・・・。NeoPixelも良く使いました。
アプリ開発もやりました。特に多かったのはopenCVやシリアル通信など、センサとの連携部分やLEDとの連携部分を担うアプリケーションの開発でした。また、他のアプリケーションとの連携のため、TCP、UDP、OSC、JSON、XMLの読み書きはしょっちゅうやっていたように思います。言語としてはC/C++に加えてObjective-Cを書くようになりました。
2015年7月~2018年9月 1-10 drive時代
当時、メーカに居た頃の経験から(ハッカソンに出て色んな大手メーカのデザイナやエンジニアとの繋がりがあった)、1-10 designのエンジニアのようにバリバリ思った事を雑でも良いからカタチにするタイプのエンジニアは大手企業にとって欲しい人種に違いないと確信を持っていました。
なので会社に『1-10 designがメーカの製品の新製品開発手伝います!ってプレス打ちません? きっと企業から直接仕事来ますよ!』と提案したところ『それ良いね!会社としてやろう。』と速攻で話がデカくなり、1-10 driveを立ち上げる事に。
最初は3人での立ち上げでしたがエンジニアは森岡1人だったので消去法でCTOになりました。ついでに唯一の1-10 designからの転向組です(よく考えたらよくスルッとOK出したな自分・・・)。
1-10 drive時代のWorksはこちらから確認できるんですが、やっていた案件の半分も公開できていません。
企業のプロトタイプ案件はその性質上公開できないものが殆どで、言えるとしても製品化したらとか、イベントに出る事が決まったら、というものばかりでした。あとは制作の規模としては小さいものが多く(というか小さくした、が正しいが・・・)現時点ではワークスに載せてもプロジェクトのコンテクストが伝わらないと意味が伝わらなさそうなものが多かったです。
このあたりは今後の課題でもありますね。
とはいえ7年弱の在籍期間中に実際に量産販売、そしてサービスインまで行ったIoTデバイスを3つやったのはわりと良いペースだったのでは・・・と思います。新製品っていうかもはや新規事業ですしね。設計やプロトタイプだけでなく、最後のほうでは量産設計の会社選定までクライアントと一緒にやるようになりました。
特にサンスター社のIoT歯みがき、GUMPLAYについてはウェブマガジンのほうで記事も書かせていただいたのでそちらもご一読いただければ。結構センサのフロントエンド処理は大学の頃習った処理がそのまま生かせるなぁ、という感じでした。FFTとかローパスハイパスなどなど。
また、クライアントも幅広く、特に家電系メーカではお声がけいただいてない大手企業はほぼない、という状態になってました。他、自動車業界や健康器具の業界や衛生関係の業界など、いろんなところから色んな相談を受けるようになってました。
目論見通りというか目論見以上に仕事は一気に増え、最初の頃はエンジニアリングと並行していましたが2015年11月ぐらいには早々に破綻(その節は関係者にご迷惑をおかけしました・・・)。そっからはテクニカルディレクションメイン、そして社員数が25人程度まで増えた2017年後半にはコンサルティングメインになっていきました。
30人弱の仕事を取ってきてると考えると(もちろん後半は僕がかかわってない仕事もかなりありますが)、『仕事を断ると言えるためにコンサルを別建てでやってる!』と言いつつ結構仕事取ってたみたいですね。
と忙しくて実装やれへんわ!と言いつつ、隙間を見てはPythonをぺろぺろしたり、Modbus触ったり、TouchDesignerを触ったり、Swiftを書いたり。全然やれない!と言いながらUnityとUnrealは裏でチュートリアルだけは一通りやってたりとかしてました。
あとは自社開発ですかね。不労所得が欲しい!という邪念もありましたがもっと我々のやっているプロジェクトや仕事の進め方は間違ってないので、もっと効率化して楽しいところ、やるべきところを最大化していこう、というのを思っていてツールを二種類作りました(勿論自分だけじゃなくて会社のみんなと、です)。スマッチとZIGSIMです。
スマッチは国内外の20か所弱の常設コンテンツに合わせて常時稼働しているし、ZIGSIMは累計DLが10000近い(2019年末時点)、業務用アプリケーションとしては結構いい数字を持ってます。
あとエンタメコンテンツは基本殆ど関わってないのですが(やりたい人が多く、プロデューサがしっかりしていたので)、危なくなった時や最初のキックオフまでのやりとり、大型プロジェクトの最初などは入ってコンサルティングしていました。
1-10 driveのCTOとして働いてましたがdriveに限らず危なさそうな案件や違う業界との初仕事で役割分担、成果物が曖昧なプロジェクトにはとりあえず顔を出すようにしていて、1-10全体の仕事にもちょこちょこ参加していました。
あと採用にもかなり気を使っていて、1-10 drive時代に採用したエンジニア十数名が1-10drive解散まで一人も抜けなかったのは一番誇りに思ってます。
2018年10月~2020年1月 1-10時代
合併して一気に社員数が30人から180人程度に。僕はチーフマネージャという職種になりました。制作チームのジャンル別の代表、みたいな。PDE(Protype Design & Engineering)という部署でした。命名も自分たち。デザイナは基本クリエイティブ部の所属でしたが、プロダクトデザイナはPDE部所属になってました。
クライアントワークは完全にコンサルティングだけやってて、なんだったら社内からもコンサルタント扱いな感じでした。チーフマネージャーだったのでそういう意味では結構気楽に自分が最早制作にタッチしてないプロジェクトでも気軽にコンサルティングできました。
地道にTouchDesignerのワークフローを社内に浸透させて気づけばモーションデザイナがエンジニアなしでインタラクティブコンテンツ作れるようになってたりしたのが愉快だったなぁ。
1-10時代のワークスはこんな感じです。