ジェネレイティブアートとNFT
ジェネレイティブアートとの出会い
ジェネレイティブアートという言葉を知ったのは30歳前後の頃だった。当時メーカの研究開発部署でプログラミング業務をしていた私は研究データのビジュアライズ手法について悩んでいて、そのさ中にProcessingというツールを見つけた。
Processing関連の検索をするとさまざまなデータをプログラムを書いて美しくビジュアライズするサンプルや手法に満ちていて、「プログラミングってこんな綺麗なものが出せるんだな」と驚いたことを覚えている。
ジェネレイティブアートをやっている人達
Processingをきっかえにジェネレイティブアートをやっている知り合いも増えていったが、純粋に作家としてジェネレイティブアートを作る事を仕事にしている人は少なかった。
むしろ普段は絵作りよりもエンジニアとしてシステムを作る仕事をしている人が多かったように思う。ただし、SIer業界やメーカのエンジニア、というよりかはウェブサイト制作会社や広告制作会社など、やや見た目に拘る業界のエンジニアが多かった。そういう業界のエンジニアが空いた時間を使ってプログラミングの練習がてらジェネレイティブアートを作っていてそれを発表している、というのがメインの層だったと思う。
一部の人はデイリー・コーディングと言って毎日の日課としてジェネレイティブアートのプログラムを書く、ということをしていた。エンジニアにとってのデイリーコーディングはトレーニングみたいなものだ、と私は理解していた。
また、さまざまな作品を見、コードを触っているうちに自身のジェネレイティブアートに対する認識も変わってきた。「最後に出て来ている絵」よりも「それを生み出すコード自体」に価値があるのでは、と思うようになったのだ。
NFTによってきたデジタルアート・バブル
BeepleのNFTの話は今更言うまでもないだろう。
BeeplはCGアーティストで、デイリーコーディングと同様に日々のトレーニングとしてCGを制作して公開していた。勿論買い手なんてついていない、練習成果物だ。それを集めて1つの作品としてNFTをつけたところ、この価格になり、大きな波紋を呼んだ。Beeple自体も勿論著名なCGアーティストではあったが、基本デジタルなCGを作っているアーティストも作家として個人の作品を販売して生活している人は非常に少ない。作り手としても非常にショッキングなニュースだった。
ジェネレイティブアートとNFT
ほどなくしてジェネレイティブアート界隈でもNFTで話題を呼んだ作品が出てきた。
GenerativeMasksだ。
様々なマスクの画像を生成可能なプログラムを作成し、そこから大量のマスク画像を生成、それをNFTアートとして販売した。金額などについては最早重要ではないので言及しないが、結果は大成功だったと言えるだろう。
ジェネレイティブアートの新たな可能性
さて、今出した話題はどちらも古く2年から3年前の話だ。今は「NFT冬の時代」と呼ばれ、価格は暴落している。
ジェネレイティブアートとNFTの関係は一時的なもので終わってしまったのか。その点で言うなら私は「むしろこれからではないか」と思っている。
さきほど書いた通り、私はジェネレイティブアートの価値はその表面的なアウトプットだけでなくその背後にあるアウトプットを生成するシステムにもあると思っている。この後者のシステム側がNFTとして載ることがなく、システムが生成した画像や動画だけをNFT化して販売することはどこか片手落ちな印象があった。といってもこれはNFT以前からずっとある問題であり、これがNFTがあったところで解決しない、と言う話であった。
しかし最近はその様相が変わってきている。NFTを付与するプログラム自体をジェネレイティブアートのプログラムの中に取り込んだ作品が増えてきておいるのだ。代表的なのがfxhashと言われるプラットフォームだ。
fxhashはジェネレイティブアートのコード自体をアップロードするようになっており、ユーザがGUIを操作したり再読み込みしたりしてNFTアートを生成しなおすことができる(勿論購入もできる)。いわゆるDynamic NFTやProgramable NFTと呼ばれているものだ。
こうなるとユーザは購入に至る体験の中でコード(実際には実行したプログラム)を、今まで以上に直接体験していると言える。今までの状況を超え、さらにジェネレイティブアート作品に対する理解を得られるような仕組みになっているともいえる。
また、作家が、特にジェネレイティブアートのように「作品を生み出す仕組み」を作る作家がその仕組み自体に所有証明を入れ込む、というのはまさしく今、NFTがあるからこそできる仕組みのように思う。ラファエル・ローゼンダールなど一部のデジタルを扱うアーティストは実施していたが、中央集権的な仕組みのため、ジェネレイティブアートのように大量にさまざまな絵を生み出す仕組みに組み込んだりすることは非常に難しかった。
さらに今はそれから飛躍し、このNFTというツールをどうシステムに組み込んだ作品を作るか、という取り組みも各所で見られるようになってきている。
投機としてのブロックチェーンやその出口としてのNFTアートはひと段落したかもしれないが、作家の道具としてのNFTの使い道はまだまだこれから面白くなるところ、と言えるのではないだろうか。