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古代ユダヤの謎 / 失われた10支族
こんにちは、TOYOです。
前回の「縄文時代 / 神の系譜」からの続きとなります。
今回は縄文後期から弥生時代へと移り変わる頃、日本に渡来してきた謎の人々についてお伝えしたいと思います。
これは世界のさまざまな研究者が調査した結果を総合して判断した内容となっています。
信じるかどうかはもちろん自由ですので、皆さんご自身の判断次第です。
ひとつの夢物語としてお読みください。
古代イスラエルと失われた10支族
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旧約聖書のアブラハムが、メソポタミアのウルからカナンの地を目指して出発したところから、イスラエルの歴史は始まります。
その孫はヤコブで、その12人の息子たちがイスラエル12支族です。
イスラエルは北王国イスラエルと南ユダ王国に分かれました。
北王国は、紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされます。
10支族の指導者達は、捕虜としてアッシリアに連行されました。
これを、『アッシリア捕囚』と言います。
この10支族の行方は文書に残されていません。
そのため、残りの2部族によって「失われた10支族」と呼ばれたのです。
失ったエルサレムの地と神殿の代わりに、2部族は宗教的な繋がりを強めました。
律法を心の拠り所にしていた時に出来た宗教。それが、ユダヤ教でした。
ユダヤ教は、旧約聖書のみを信じ、新約聖書を信じない宗教です。
ユダヤ人と定義する時に、このユダヤ教を信仰する者と親にユダヤ人を持つ者 (古代ユダヤ人) とに分かれます。
古代イスラエルの失われた10支族とは、旧約聖書に書かれたイスラエルの12部族のうち、行方知らずの10部族のことです。
ルベン族
シメオン族
ダン族
ナフタリ族
ガド族
アシェル族
イッサカル族
ゼブルン族
マナセ族
エフライム族
を指します。
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1994年に、ミャンマーで暮らす民族が、失われた10支族のひとつである「マナセ族」だと判明し、イスラエルへ帰還しています。
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失われた10支族はシルクロードを通り、その中の部族がやがて日本にたどり着いたと考えられます。
紀元前721年、北王国イスラエルから10支族の正統な末裔であるエフライム族が渡来。
後に「出雲族」と呼ばれる、古代の出雲地方に存在したとされる一族です。
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物部氏 (もののべうじ) の謎
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紀元前660年、神武天皇が即位。南ユダ王国からユダヤ人・イザヤの民が渡来。「物部氏 (もののべうじ)」と呼ばれる一族です。
「物部氏」とは何者なのだろうか?
物部氏と海部氏(海人族安曇氏)はアマテル…饒速日命 (にぎはやひのみこと) の子孫とされています。
アマテル…饒速日命は、素戔嗚命 (スサノオノミコト) の子であり、天磐船 (あめのいわふね) に乗って天から大和国に降り立ち、長髄彦 (ながすねひこ) の妹、三炊屋媛 (みかしきやびめ)(トミヤビメとも呼ばれる) と婚した神です。
物部氏は、南ユダ王国から渡来したユダヤ人・イザヤの民です。
物部氏は解部 (とべ:司法・検察機関) を配下とし、刑罰、警察、軍事、呪術、氏姓などの職務を担当し、盟神探湯 (くかたち:古代日本の裁判) の執行者となりました。
秦氏 (はたうじ) の謎
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「秦氏 (はたうじ)」はユーラシア大陸のかなり奥まった地域の出身で、朝鮮半島を経由して、日本列島の倭国へ渡来してきました。
やってきたのは4世紀頃であったと考えられています。
秦氏は、断続的に鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造などの最先端テクノロジーを倭国に伝播させた支族です。
「秦氏」とは一体何者なのだろうか?
秦氏は、祖先があの有名な秦 (しん) の始皇帝です。
応神天皇の時代、弓月国の「ヤマトゥ」から「秦氏」と呼ばれる一行が倭国に渡来してきました。
それら一族の数は10万人規模と言われています。
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弓月国は、現カザフスタン内にあり、南にはキルギスタンが接しています。
昔、この地は、クルジア(Kuldja)=弓月城と呼ばれたましたが、そのクルジアのすぐ東南50km位のところ、イリ川上流に「ヤマトゥ」という小さな村があります。英語では、Yamat, Yamata, Yamatuなどと表記されています。
ヤマトゥは、当時の秦氏が、そこに住んでいた時に、自身を呼んでいた呼称であろうと思われます。
日本でもちょうどその頃、大和時代が始まり、「大和、山門、倭(やまと)」と呼ぶ時代となったのは、偶然ではないでしょう。
そのヤマトゥのさらに東南200km位のところには、驚くことに「ナラ」があります。
秦氏が多く住んだ奈良のあたりには、外来語のような地名が多いのですが、その奈良もこの中央アジア、弓月からとったものなのかもしれません。
ちなみに奈良県の三輪山の近く、その北東の巻向山の一峰は、万葉集の時代から「弓月ヶ嶽」と呼ばれています。
しかもこの一帯には、聖書の「処女懐胎」とそっくりの逸話さえも残っています。
秦氏は、北王国イスラエルの「失われた10支族」のうち、王家である「エフライム族」であり、太祖は秦の始皇帝です。
「エフライム族」が最初に日本に到達し、天皇制と神道を作ったのです。
エフライム族は、イスラエルの12支族の中の1部族であり、ヨセフ族から分かれた2部族の内の1つです。
秦氏が建立した全国の神社は八万社。関係している社をあわせると九万社に及びます。
また、「太秦」の地名に残るように京都を開発した豪族で、聖徳太子とも深い繋がりがあると言われています。
秦氏の一部は山背の鴨川流域に拠点を置き「鴨」を名乗り「賀茂氏」となりました。
秦氏が建立した全国の神社に賀茂氏が関係しています。
秦氏についてはわからないことがあまりにも多いようです。
ただ、徳之島に戻られた「万世一系の天皇家」を守るために、平安時代後期から江戸時代に至るまで、地理的に一番近い大隅国・薩摩国の守護となり、「島津家」となりました。
故・羽田孜 (はた つとむ) 元首相は、1994年、日本新党時代に首相を務めた方ですが、そのルーツは古代の渡来支族だった秦氏の長であり、飛鳥時代に聖徳太子のブレーンとして活躍した秦河勝 (はたの かわかつ) にありました。
つまり、日本の首相にまで登りつめた人物は「聖書の民」の末裔だったのです。
現在に至るまで、日本の皇室は世界でも稀な長さで「エフライムの杖」として続いており、天皇は「祭祀王」として、毎日、世界の平和を祈り、祝福を与え続けているとされています。
ダビデの星「六芒星」
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秦氏が日本の天皇制と神道、神社を作りました。
伊勢神宮の周辺には、ダビデの星「六芒星」がいくつも見られます。
日本では籠目紋 (かごめもん) と呼ばれていました。
十六菊家紋
皇室の家紋である「十六菊家紋」ですが、この十六菊花紋はイスラエルの首都エルサレムの門などに掲げられています。
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前方後円墳
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普通前方後円墳はこの向きで見て、皆さんは鍵穴の形として認識しています。でも実は、これは見る向きが逆で、円を下に見るのです。
そうすると壺に見えます。
真ん中にある突起が見えますでしょうか?
突起は壺を持つ取っ手です。突起は鍵穴には全く不必要なものですね。
これはアークに納められていたユダヤ3種の神器の一つ「マナの壺」だとされています。
契約の箱「失われたアーク」
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今から3400年以上前に、モーセが日本の天皇に献上したとされる10戒の石版が収められた契約の箱「アーク」。
この「失われたアーク」である契約の箱は、実は日本の徳島県にある剣山に隠されていると言われています。
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日本とユダヤの繋がり
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また毎年剣山で執り行われる伝統である祭りで、御輿を担いで、山頂まで登る行事は、古代イスラエルの行事「シオン祭」の名残と言われています。
シオン祭で、彼らがそれを肩に担いでシオンの都を練り歩くという行事が、そのまま日本のお神輿の行事となっています。
日本に渡来した彼らは、その聖なる都「シオン」と「シオン祭」を、日本で復活させることにしました。
そして作り上げたのが、京都の「祇園 (ぎおん)」と「祇園祭」です。
また、神輿を担ぐときの掛け声は、「エッサ、エッサ」と言いますね。
この『エッサ』は日本語ではありません。『エッサ』はヘブライ語です。
ヘブライ語の『エッサ』とは、「運ぶ」という意味です。
君が代
日本国家である「君が代」ですが、実はこの歌詞は日本語ではなく、ヘブライ語であるとされ、ヘブライ語で解釈するとこのようになります。
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秦氏として渡来した「エフライム族」が最初に日本に到達し、天皇制と神道を作りました。
これを前提にして、日本人とユダヤ人の祖先が同じとする「日ユ同祖論」があり、日本人の祖先がユダヤ人と言われていますが、真実は逆です。
世界の民族の祖
太古に、縄文人である「五色人」が天空浮舟 (あめのうきふね) に乗って世界に渡り、それぞれの国の先住民となりました。
古代ユダヤ人、古代シュメール人、ネイティブアメリカン、エスキモー、
モンゴロイド、日本ではアイヌ民族、琉球民族等です。
古代シュメール人となった縄文人たちは、シュメール文明を築きました。
縄文人は元々、ムー大陸に住むレムリア人たちであり、愛と調和に満ちた平和な民族でした。
彼らが世界に渡った理由は、重い波動になっていた地球を、ムーの民である縄文人が持つ愛と調和のエネルギーで満たし、世界を軽い波動の地球に変えるためでした。
日本人の祖先がユダヤ人ではなく、ユダヤ人の祖先が日本の縄文人です。
古代ユダヤ人となった縄文人が、イスラエルの12支族となり、その子孫たちが渡来人として戻ってきて、日本に天皇家と神社を作ったのです。
世界の民族の祖こそ日本の縄文人なのです。
このブログ作成にあたって、「世界のなかのわたし ヤマト発見」さん、
「Magical History Tour」さんのブログを参考にさせていただきました。