知念大地『続・ひしと』
雨です。たまに、雷の音がしています。
そんな今日も大道芸があります。
ぜひ、みなさまお越しください。
【スケジュール】
9月11日(金)21:00 会場:豊岡稽古堂前
9月12日(土)20:00 会場:江原河畔劇場駐車場
9月13日(日)20:30 会場:江原河畔劇場駐車場
9月16日(水)19:30 会場:江原駅前イベント広場
9月18日(金)20:30 会場:江原河畔劇場駐車場
9月19日(土)19:00 会場:江原駅前イベント広場 ☆ウォーキングアクト
9月22日(火)18:30 会場:奥城崎シーサイドホテル敷地内
★上演時間:約30分 ☆印の回は、通常上演と異なります。
【料金】投げ銭(要予約)
https://hishito2020.peatix.com/?utm_medium=web&utm_source=results&utm_medium=%3A%3A%3A0%3A1589592&utm_campaign=search
申し遅れました、僕は壮生(そうせい)といいます。知念大地が出石町に引っ越して、大道芸をするという事を聞き、信州の北アルプス山麓から、車で8時間かけてお手伝いにきました。豊岡、いいところですね。
僕が大地と出会った頃、大地は大道芸人から踊り手に変化している頃でした。踊る知念大地については、9月18日の金曜日に、豊岡劇場大ホールでドキュメンタリー映画「踊りたい大地の舞」公開前特別上映+トークで覗き見る事ができます。ご興味のある方は、ぜひご覧ください。
知念大地ドキュメンタリー映画公開前特別映会in豊岡特別WEBサイト
https://yamanokuchibue.wixsite.com/odoritaidaichi-1
そして、今回豊岡演劇祭のnoteに記事を寄稿するとのことで、某テレビ局の撮影依頼に対して大地が返信した内容が、彼の考える大道芸について、よく表していると感じましたので、大地に許可をとってこの機会に公開いたします。
PS:大地は明るい男の子です!
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大道芸をする知念大地です。
撮影の時のお願いをお伝えしておきます。
私の大道芸は現場でのやりとりが全てです。
ですから基本的に、気心が触れた関係性のある方にしか撮影を許可しておりません。かつて何度か頼まれた取材を許可した時、広報メインの、現場を無視したむさぼる様なカメラワークに、今日の私の撮影嫌いがあります。どうしてメディアの人はあんなに偉そうなのか!しかも流れ作業(撮りたいものをとるだけ)!インタビューも聞きたいものを聞くだけ!という私の偏見があります。
さて、現場でカメラを当てられ、緊張しない子どもたち、大人はいません。
今回は大きなプロジェクトということで、メディアの撮影を許可していますが、私や現場の子どもたちにとって、カメラは異質であり、現場を壊すものとの認識を忘れないでいただきたいです。カメラマンさんには最大限の大道芸空間へのご配慮をお願いしたいという事を、大道芸に対する私の気持ちも合わせてお伝えするので一読いただければ幸いです。
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大道芸の観客の中にはDV旦那から逃げていたり、会社をずる休みして見に来た人、不倫中のカップルもいるかもしれません。路上には、カメラに映りたくない、知人に会いたくない、会えない、人が沢山います。
大道芸というのは、路上に居合わせた皆と紡ぐ芸術です。その人がどんな過去を持っていようが、その人はいなくてはなりません。
赤子は泣いてよし、子どもは走り回ってよし、障がい者は大声を出してよし、酔っぱらいは酔っ払ってよし
芸の力でそれを縫い上げます。
また、身なりが汚くとも金がなくとも観覧可能な大道芸空間は、かかわり合いの根源の様なものを私たちに気づかせてくれます。今うたわれている、多様性ってやつです。
私たちが友達だった時代の光景。
みんな別々だが、「居れる」。
傷ついて路上にしか居場所がないような人が芸の場で笑うのを何度も見てまいりましたが、その様な人は、皆といれる(驚きと安心)ことに、希望を見いだしていたように思います。そして私はその様な人を見て、綺麗に清潔に、同じようになってゆく街並みの最中、やはり人間は過去や外見ではない、と、魂から安心するのでした。
どのような一回であろうが、
カメラがあってその様な(日頃、身を小さくしながら生きている)人がそこに居れない(芸を見れない・居ずらくなる)事があってはならないと考えます。
長くなりましたが撮影の際の注意事項です。
①演者スペースにけしてはいらないこと
②演者後方にまわらないこと
③観客が演者を見る視界に出来る限り入らないこと
(最大限の配慮、気配りを保ち続けること)
④観客の顔を抜いたら必ず使用許可を取り付けること。
(観客が無言で立ち去る、既に立ち去り居なくなっている、はNG)
⑤ジャグリング抜き、子どもの笑顔抜き、という単純な図式を用いないこと。
出来る限り、芸や現場で出逢うはじめての感情を形にすること。
「ジャグリング抜き、こどもの笑顔」このメディアの視線・大道芸へのカテゴライズに今日の「大道芸、ピエロさんイメージ」があると考えます。それは子どもに対しても失礼です。
(歌舞伎や能もはじまりは大道芸でした。吟遊詩人の路上歌、路上芝居、口上芸・・・、大道芸は民衆が繋がりあい信頼を深め確かめあう命の発火点なのです。)
この様に、大道芸は雑に扱えない誠に美しいものだと考えますが、「子ども向けの賑やかし」、一つの金稼ぎの手段・職業、と今は誤解されている様に私には思えるのです。
大人が笑うのを見て子どもたちは安心します。考えます。学びます。嬉しくなります。
大人が子どもに戻る瞬間を見て、子どもたちは安心します。自分とおんなじなんだと安心します。
大人が魂から真剣になるのを見ると、子どもは自分の知らない世界がある事実をその身に引き受けます。
大道芸は私たちが単純で真剣だった頃に引き戻してくれる、宇宙の時間です。
現場の私はいつも命がけで、その事だけを考えるのです。それは容易な事ではありません。
大人も子どもも、鮮度に敏感なのですから。
何故私がこんなにもたかだか路上芸について書くのかといいますと、
数名ですが、私は「大道芸人」を知っていて、その人もやはりこの様に書くと思うからです。(現在、大道芸人と名乗るものは二千人ほどいます。)
「大道芸人」とは、目の前の人間、街、宇宙と対峙し、足掻く一人の人間の仮名です。
それは、あらゆる場所から物事を見つめる良識ある方々の、一つに数えられるべき視点だと考えます。
生まれ、育ち、身体、文明的差異に引き裂かれ続ける今日、居場所・広場・芸能の発火点として、大道芸人知念大地を見つめる意義は今後の芸能・芸術・未来空間を見つめる上で、とてつもなく大きいと考える。
最後に、知念大地が豊岡に来たのは平田オリザさんの演劇に感動したからであり、差異を無くす大道芸空間とともに、やはり管理・規制(監督)、行使の重要さ、必要せいについて今一度考えなければならない、学ばなければならないという思いから。
クラウンは王さまがいなければ存在できず、クラウンがいなければ民衆は存在できない。
そして民衆がいなければ国は存在しない。
国とは共同体のことで
誰しもが皆と仲良くいたいのに、はみ出してしまう人間たちだと感じている。
利権の腐敗は街を汚す。
そこでハブれたやさしい人間たちが路上には沢山いる。日常に疲れはてた人間が大道芸空間にはやってくる。
その人たちに、私は生かされてきた。
だから、私たちのありかたについて私はもう一つの頭で考えなければいけない。
私無き後も続く、素敵な居場所をつくりたい。
コウノトリを復活させた豊岡市、最後の冒険を開始した平田オリザさん。その挑戦に私の大道芸や感性が、力になれると信じている。
2020年8月 知念大地
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『続・ひしと』9/9〜22
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知念大地
大道芸人。
国内外の大道芸フェスティバルで活動。Oerol Festival(オランダ)、アンサンフェスティバル(韓国)、LINZER Pflasterspektakel(オーストリア)、ノンテール(フランス)、ドバイバスカーフェスティバル(ドバイ)、他多数。大道芸の傍ら、踊りによる旅も継続中。
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