「表現の自由」や「多様性」などを声高に語る人に思うこと
私は前職で交通広告に携わったことがあります。
最近、大阪の駅構内での広告について色々と話題になっているのを目にします。
新聞やテレビをあまり見なくなったので詳細は見ていませんが、思ったことを書かせていただきます。
「表現の自由」や「多様性」とかを声高に語る人って、「自分中心」な意見が多くないですか?
今回の広告では女性イラストが性的に見えるということがジェンダーの観点からという話のようですが、当該の問題提起をされたかたがTwitterで広告を撮影し発信されたりして、「見せてはいけないと思っているものをSNSで不特定多数の人」に見せてもいいの?、とまず思ってしまいました。
また、駅の広告には各鉄道会社の審査があり、不適当な内容があれば問答無用で差し戻されてしまいます。当該広告についてもきちんとした審査がなされた上で掲示されているのでしょう。
それならば、問題は女性軽視やジェンダーの問題ではなく、審査基準の話ではないかと思います。ついては、鉄道会社に対してきちんとした形で問い合わせをするべきで、多様性やらジェンダーがどうとかをいう前にすべきことがあるでしょうという話です。
各企業はお金を出して広告を出稿しています。審査も通しています。そこには何も不法な行為はないはずで、現在の経済活動のルールとしては問題はないと思います。
それを個人の感覚を理由にして不適当だと広めるのは問題ではないでしょうか。
残念ながら、多様性に寛容ではなかったり、性差についても理解があまりない状況は日本だけではなく世界的にあるかもしれません。
しかし、このようなルールに則らないことをしている方々がそれを謳ったところで、誰が信用して協力しようと思うでしょうか。
相手を思いやり、相手の事情等も鑑みた状況で行動や発言をすることが理解を促し、ひいては多様性や平等につながっていくと私は思います。
このようなことをされる方って「人に優しくないなぁ、そんな人が語る多様性とかジェンダーってどんなもんかなぁ」と思ってしまいます。
本当に、このようなニュースを目にするたびに「こんなことをしてたらいつまで経っても本当の意味での多様性やジェンダー平等は難しいだろうなぁ」と思う今日この頃でした。
今日もご覧いただきありがとうございました。