クレームに対する考え方
声が大きい人が得をするようなことってありませんか?
企業でも普段は大したことをしてなくても会議の時だけ偉そうにする人とか。
一人の意見に周りが振り回されるってすごく健康的とは言えない状況ですよね。
長野市の公園が一人の住民によって取り壊しになったというニュースを見ました。
公園で遊ぶ子どもの声がうるさいということで張り紙や自分ルールを押し付けたりしていわゆる「クレーム」をされていたようです。
遊ぶ場所がなくなったことで、市としては「使わない公園に税金を使えない」ということで取り壊しになるようですが、これってどうでしょうか?
市は「一人の意見」で「多数の子どもたち」の遊ぶ場所を無くしたことになるのですが、長野市は子どもはいらないという考え方なのでしょうか。
見たところでは、この公園は環境も良く、車などによる危険性も低い、子どもたちが遊ぶ、住民の憩いの場として最高の場所のようです。
長野市としては、この場所が「不要」とされたようです。
私は、本当のところは「不要」と思ったわけではなく、「一人の住民」のクレームを対応しきれなかったと思っています。
使わなくなったのも、この一人の住民によるものという報道を見ました。それは、「使わなくなった」のではなく、「使えなくなった(その住民が周辺の住民にとって危険なものとなった)」のではないでしょうか。
意見を伝えるのは問題ないと思います。うるさいならうるさいと発する自由はあります。ただ、市としては、それが必要なものなのか、不要なものなのかをきちんと判断し、適切な対応をすべきではないかと思います。
このように、クレームに対して人は過剰に対応をします。よくあるのが、飲食店での客に対する対応です。捻じ曲げられて伝わった「お客様は神様です」の言葉の下に何でも言ってもいいと思っている客が多くいると思います。
私は、はっきり言ってやればいいと思っています。
「あなたの考え方は間違っています」「その考え方は認められません」「気に食わないなら帰っていただいて構いません、お客様はあなただけではありません」「あなたはお客様ではありません」と。
発言する方は責任を持つべきだと思います。言うからには、上記のようなことを返される可能性を含まれていると言うことを。
今回の長野市の公園がまた使えるようになることを切に願います。
一人の理不尽なクレームに屈しない、信念を持って対応をするようにしてほしいと思います。
今日もご覧いただきありがとうございました。