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スーパーGT 第3戦鈴鹿 つちやエンジニアリング 応援記②

公式予選

(応援記①から続く)
午前のセッションでシフトチェンジ用のコンプレッサーの不具合でコース脇にマシンを停めたHOPPY team TSUCHIYAの25号車。
メカニックの皆さんの懸命の作業で無事に修復を終え、公式予選に挑みます。
GT300クラスの予選はA,Bの2グループに分かれ、それぞれタイムアタックし、上位8台はPP〜16位までのグリッドを決める2回目の予選に。9位以下は17位以下のグリッドを決める2回目の予選にそれぞれ臨む、という形式です。まずはグループ8位以内を目指すことになります。25号車はAグループ。予選1回目はまずBグループから始まりました。
 Bグループはブルーのシャツを着込んだ熱烈なファンの後押しを受けるスバルBRZと、大魔神こと元メジャーリーガーの佐々木主浩氏が総監督を務めるアストンマーティンが激しいトップ争いを演じました。最後に唯一1分57秒台を叩き出したアストンマーティンが1回目Bグループトップで通過。2位BRZ、3位にレクサスLC500hが入りました。ここまでが1分58秒台の好タイムでした。
 さあ、いよいよAグループです。25号車は公式予選1回目は菅波冬悟選手で臨みます。午前のトラブルをよそに爆音でエンジンスタート。コースインしていきます。昨季のこのレースではQ2に進んだ25号車。ただ、なかなかタイムは伸びてきません。このグループではサクセスウェイトのハンデが少ないジェイドレーシングのGR86が好タイム。逆に54kgのサクセスウェイトを積むmutaレーシングのGR86もわずか0.093秒差で3位につけるなど好走。菅波選手は4周目の最後のアタックで2分00秒台までタイムを上げましたが上位8台には届かず、Aグループ13位でした。

予選2回目は松井選手がステアリングを握ります。松井選手も懸命のアタック。タイムは2分1秒台も、第2グループの4番目。全体20位で予選終了。日曜日の決勝に臨むことになりました。

 予選後には小さなお子さん対象のキッズウォークが。25号車のガレージ前では、お手製のアヒルすくいやガシャポンで子供たちにファンサービスが。そしてドライバー3人のサイン会には多くの行列。ときおり武士監督もサインと写真をお願いされてました!きっとまた来たい、と思ってくれたのではないでしょうか。

ガシャポン 何が出た?
アヒルすくい大会!

 ガレージでは明日に向けての作業が行われていましたが、しばらくすると武士監督、木野エンジニアに菅波選手、松井選手、佐藤選手の3人のドライバーを交え、ミーティングが始まりました。  
それぞれが身振り手振りを交えて真剣なディスカッション。少し距離があったので内容は聞こえませんが、ブレーキングやコーナリング時の荷重変化時のクルマの挙動について話している様子に窺えました。
ディスカッションは熱を帯び、夜9時頃まで続きました。

武士監督(左端)、木野エンジニア(中央奥)と菅波、佐藤、松井の3選手(手前左端から)

 武士監督にミーティング時間が長かったことを聞くと「セッティングをね、どうしようかと」。ちょっとだけ無線で聞こえた中ではトラクションがかからないような話だった、と向けると「んー。ていうか前も後ろもだね。全然バランスが。明日はかなり大きく変えるつもり。かなり極端にやるよ」とのこと。そのセッティング変更が吉と出るか。
 翌日の決勝に向け、すっかり暗くなったサーキットを後にするのでした。

おまけQ&A
Q.サクセスウェイトはどのくらいからがシンドイですか?
A.菅波選手「んー、(ちょっと考えて)50kgとかは正直シンドイと思います。20、30kgまでは、もちろん影響はありますけど、まあまだ大丈夫ですかね。やっぱり40、50ってなってくると辛いと思います」
とのことでした。

6/2 決勝!

いよいよ決勝の朝。
サーキットに向かう車のフロントガラスにパラパラと水滴が。
ウェット?ドライで行ける?など気を揉むような天気になりました。

GTの前に午前のF4の決勝レース。曇りながらもドライでのレースになりました。
F4は若いドライバーの熱いバトルが展開されていて、見ていてどの選手も応援したくなります。こちらはまた機会があれば。

さて、GTですがガレージを歩いていると各チーム、溝付きタイヤの準備もされています。見ると、各タイヤメーカー、かなり溝が浅いんですね。
武士監督に「あれはインターミディエイトなんですか?」と聞くと「あれでレインなんだよ、今は」と。
今は昔のいわゆる「(ヘビー)レインタイヤ」みたいなものはないということでした。

いよいよレース当日

ところが!昼前にやや強い雨。
慌ただしくウェットの準備が始まります。
つちや25号車もレインタイヤ装着してウォームアップ走行へ。
しかし結局その後、太陽が出てきて、決勝レースのスタートはドライコンディションになりました。

コロコロと変わる天気…。

いよいよスタート!

さあスタート。スタートはピット上のスタンドからウォッチ。

スタートを待つホピ子


スーパーGT初観戦の私としては、ローリングスタートを生で見るのは初めて。
昔グループCカーのスタートはテレビで見てましたが笑。ポルシェ956とかですね。フロムAカラーとかアドバンカラーとか、懐かしいですね。個人的にはワコール童夢85Cのカラーリングが好きでした。
話が逸れましたが、ともかく500も300も長い隊列がスピードに乗った状態でメインストレートを駆け抜けていく様は圧巻ですね!
つちや25号車はスタートドライバーは菅波冬吾選手。無事1,2コーナーをクリアして3時間の戦いに入りました。
GT300クラスは元メジャーリーガーの佐々木主浩さんが総監督を務めるアストンマーティンが快調に周回を重ねて、それをmutaレーシングのGR86、フェラーリ296が追う展開で進んでいきました。25号車もラップタイムペースは上位チームには叶わないものの、着実に周回を重ねていきます。

 大きなトラブルもなく周回を重ねた25号車。50周を終えたところで菅波選手から松井選手にステアリングが託されます。

 レースは終盤に入り見せ場が訪れます。松井選手が前を走るパシフィックレーシングのメルセデスAMGとの差をジワジワと詰めていきます。「よしよし、追い上げてる!」ガレージでモニターを見つめるサポーターも盛り上がります。そしてついにオーバーテイク!「おー抜いたー!」クラス17位に上がります。そのままフィニッシュか、と思われましたが、最後は抜き返されましたがクラス18位でしっかりと走り抜きました。
 フィニッシュ時はガレージで見守っていたサポーターの皆さんからも拍手が上ががりました。チェッカー後には土屋監督がスタッフ一人一人と固い握手を交わすと、サポーターの1人1人のところにもやって来てくれ、ガッチリと握手を交わしました。「お疲れー」という安堵も混じった労いの声がガレージのここかしこで上がっていました。私は見ていただけですが、なんだか少しジーンとする瞬間でした。

レース後の談話

レース後、少し落ち着いたところで武士監督に昨夜からのセッティング変更について聞いてみました。
武士監督
「冬悟は『良くなった』って言ってたけど、孝允は最初は『まだキツい』って言ってた。でも、途中で(合う走らせ方を)見つけたみたいだね。ラップタイムが一気に上がったから。面白いねー」
とのことでした。
 当の松井選手にそのことを聞きました。
松井選手
「とにかく今日は無事に持って帰ってくることが第一だったので。そこまでプッシュはしませんでした。まずまずというところかと思います」

さらに菅波選手にもお話を聞きました。
菅波選手
「土曜日のセットはタイヤに上手く仕事をさせられないような状態でした。それを今日は思い切って振ってみたら、昨日よりは良いね、という感じでした。ただ、レースではペースがあるわけではなかったので、可もなく不可もなく、という感じですかね。ただ、こういうふうにするとこうなる、という貴重なデータは取れたレースだったと思います」
「レース前の雨については、自分たちの試したいことをやりたかったので、ドライでやりたいな、という気持ちはありましたが、雨なら雨でチャンスがあるかもしれないので、まあ、どっちに転んでも良かったです。特に何か迷ったりというのは無かったです」

そして25号車ファンの皆さんが気になっていらっしゃるマシンの仕上がり具合について、生みの親の木野エンジニアの話です。

木野エンジニア
「登山で言えばまだ二合目くらいかな。勉強に例えると、数学というより国語をやっている感じです笑。数値的根拠に基づいてやっているというより、こうしたらこうなるんだ、ああしたらこうなるんだな、みたいな、作ったものを読み解いていく、という、読解力が求められている感じですかね。面白いからやってるんですけどね。
(決勝に向けての大幅なセッティング変更について)こういう方向のクルマにしたいのなら、理論的にはこうしたら良いのではないか、ということで敢えて極端にやってみました。まあ狙い通りの方向にはある程度行きました。ただ、これが正解なのかどうかはまだわからない中でやっているので、うまい料理にするための材料を一つ見つけた、という感じですかね。
 (去年のデータは使えるものですか?)去年のマシンとは全く同じではないですが、データなどはある程度使えています。ただ、レースから離れた半年の間に周辺の環境が結構変わってしまったので、たとえばタイヤとか。単純比較ができないのは厳しいですね。やはり少しずつ、今回のようなことをやって積み上げていかないといけないのかな、と思っています」

ということでした。
レースを終えると一気に撤収作業。この辺りもさすがプロの皆さん。あっという間に道具類がトラックに積み込まれていきました。

ホピ子頑張りました!

日が暮れて周囲が暗くなった頃、最後に戦い終えた25号車もトラックへ。カウルには汚れがベッタリと付着していました。いや、長い戦いの勲章というべきなのかもしれませんね。

武士監督、二日間ありがとうございました!


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