【発売記念!「はじめに」全文公開】『魔窟 知られざる「日大帝国」興亡の歴史』
『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』、『国商 最後のフィクサー葛西敬之』など、社会に斬り込む書籍を世に送り出してきた森功氏の最新作『魔窟 知られざる「日大帝国」興亡の歴史』が12月18日に発売となりました。
日本大学では、「アメフト部薬物事件」をはじめ、総事業費1000億円の医学部附属病院建て替えプロジェクトでの背任事件や、重量挙部・陸上部・スケート部の「被害額1億1500万円超」の金銭不祥事など、数年前から不祥事が絶えません。日本一のマンモス私大「日本大学」の歴代トップが歩んできた日大の歴史を紐解きながら、転換期にある日本の私大問題を掘り下げます。
今回は、本書の「はじめに」を全文公開いたします。また、2025年1月13日(月)まで、本書を10名様にプレゼントする特別なキャンペーンを実施中!こちらもぜひチェックしてください。
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はじめに
ふだん低音のスピーチをする彼女にしては高揚感に溢れ、尖った声だった。
「この1年は、後始末に明け暮れる年でございました。まず、株式会社日本大学事業部の解散、そして校友会の方々のお力を得て、校友会組織を新しくつくることができました」
2023(令和5)年7月11日、紺のスーツに身を包んだ学校法人「日本大学」理事長の林真理子が記者会見に臨んだ。ワンマン理事長として知られた田中英壽体制の下、理事が背任事件を引き起こした日大では、田中自身も脱税に問われ、大学を追放された。代わって日本最大のマンモス私立大学を率いるようになったのが、芸術学部OGである小説家の林である。林は22年7月、運営トップに就いて大学改革に乗り出した。
彼女にとってはそれからちょうど1年を経て、意気揚々と臨んだ記念すべき記者会見になるはずだったに違いない。東京・市ケ谷駅近くの日大本部の会見会場に集った記者団に呼びかけるかのようにボルテージをあげ、鼻孔を膨らませながら言った。
「私としてはすべての膿を出し切ったと思っております」
しかし、ここから事態が暗転する。
実はこの記者会見の1週間ほど前、日大内部ではアメリカンフットボール部の薬物問題が発覚していた。林が会見時にそれを知っていたかどうか。少なくとも当事者たちはこのときすでにハチの巣をつついたようなパニックに陥っていた。そんな渦中の理事長会見だったのである。
やがてマスコミに日大アメフト部員の大麻使用疑惑が漏れ出す。7月末から取材が殺到した。月の明けた8月2日朝、自宅前で質問攻めに遭った林真理子は記者たちに苛立ち、彼らの口を封じるかのように思わず言い放った。
「違法な薬物が見つかったとか、そういうことはいっさいございません。なんとか学生を信じたい気持ちでいっぱいでございます」
この大学トップの頑なな全面否定が、迷走の始まりだった。晴れやかな理事長就任1周年会見からわずかひと月のちのことだ。林は部員の逮捕を受けた直後の8月8日、学長の酒井健夫や副学長の澤田康広を引き連れ、大学本部で緊急会見を開いた。執行部がそろって会見に臨んだ3首脳会見である。
それが文字どおりの「炎上会見」となってしまう。順風満帆の大学改革をアピールしてきた林たち日大執行部はここから狼狽え、収拾がつかなくなっていった。
なぜこうなってしまったのか。私自身、薬物事件の記者会見に駆けつけて質問しながら、そこを考えていた。とどのつまり林たちが危機を招いた原因は、大学組織におけるガバナンスの欠如、さらには旧態依然とした大学の隠ぺい体質にほかならない。
3首脳がそろったこの会見で、理事長の林は次のように語った。
「酒井学長、調査をした澤田副学長は適切な対応をしたと考えております」
しかし、現実には彼らの甘い見立てとは真逆にことが進んだ。警視庁は逮捕された北畠成文だけでなく、大麻を吸った4人の部員たちを次々と立件していく。すると、記者会見に臨んだ3首脳は仲間割れした。理事長の林一人が大学に残り、学長の酒井と副学長の澤田が大学を去る羽目になる。
日大帝国を築き、その絶対的な権力者として君臨してきた元理事長の田中英壽が一連の事件で一敗地にまみれて大学を去ったあと、人気作家の林が火中の栗を拾い、大学の再建に取り組んだ。当初、世間は概ねそう好感をもって受けとめた。だが、日大という巨大組織を運営するのはたやすくはない。
日大という日本一のマンモス私大を知るうえで、田中と林のほかに忘れてならない人物がいる。かつて「日大の天皇」として名を馳せた古田重二良である。もともと早稲田大学や慶應義塾大学と並び明治の国策高等教育機関として創設された日大は、法律専門学校からスタートした。太平洋戦争が始まると他の私学と同じく、学生たちを戦地に送り出している。米軍機による日本本土の空襲がキャンパスを焼き尽くし、終戦後は廃校の危機に瀕した。
古田はそんな激動のさなかに日大トップに就いた。古田の大学運営は早稲田や慶應のそれとは質を異にしたといっていい。自ら新設した会頭ポストに座り、終戦後は大学の拡大路線に突き進んだ。古田は戦前の法律専門学校から脱し、医学部や工学部、文学部などを加えて日本最大のマンモス大学を築いた。
また保守思想の持ち主でもあった古田は、戦後の日本復興期に日本政府中枢や右翼団体と一体化し、私学助成制度の新設を働きかけた。文字どおりの中興の祖である。
のちに理事長となる田中は、その古田の会頭時代に日大に入学した。そこで大学紛争に直面する。日本が日米安保に揺れた時代だ。東京大学と並び称された日大紛争では、会頭の古田が左翼学生たちの標的にされる一方、相撲部のホープとして期待された田中は、古田に目をかけられ、古田を師と仰いだ。日大紛争では、田中もまた他の運動部員とともに左翼学生たちと対峙してきた。
学生横綱やアマチュア横綱のタイトルを手にした田中は、プロとして角界入りするのではなく大学職員として出世する道を選んだ。やがて理事、常務理事、理事長へと昇りつめるその間、師である古田の大学運営を継承し、さらに日大を大きくしていった。その人脈は、政界や相撲界、実業界にとどまらず、裏社会にまでおよんだ。
120万の卒業生を日本社会に送り出した日本最大の私学である日大は、私学の歴史そのものを投影しているといっていい。光の裏に潜む知られざる暗黒史もまた、日大の歴史といえる。
【目次】
第一章 期待の「林真理子体制」迷走の始まり
第二章 中興の祖「古田重二良」の罪
第三章 日大紛争が生んだ怪物
第四章 ワンマン理事長「田中英壽」の原点
第五章 地下水脈に通じた田中帝国の誕生
第六章 裏社会との腐れ縁
第七章 不祥事
第八章 流行作家理事長の誕生
第九章 ジレンマを抱えた改革
第十章 薬物事件の真相
終 章 パニックの果てに
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