第14回「山谷・簡易宿泊所の聖者たち(上)」
かつてドヤ(簡易宿泊所)で生活していたことのある異性の友人が、プライバシーのないドミトリーよりドヤのほうが個室だから快適だとすすめてくれて、やってきたのがJR常磐線南千住駅にほど近い旧山谷地区です。
このような施設はほぼ全て男性専用で、女性でも泊まれるところは数えるほどしかありません。見つかったのは本当にたまたまでした。やっと私だけの個室で眠れたときには、心底ホッとしました。
山谷と同じく、日雇い労働者の集まるドヤ街として有名なのは西成やあいりん地区でしょう。高度成長期の土建業が元気だった時代はともかく、いまのドヤ街は生活保護を受給している老人やホームレスが9割で、労働者の街とはいえないのは山谷も他も同じではないかと思います。
ここ山谷の「三三ハウス」で私に割り当てられた部屋は二階の202号室。
札幌の福祉事務所のケースワーカーに、
「もう東京に夜逃げしてきて、戻りません。こちらであらためて保護を受けたいので、札幌での生活保護を廃止してください」
と連絡しても、なんだか説明が要領を得ず、「新しい住民票を送ってくれないと廃止できない」と意味のわからない嘘をつかれました。
三三ハウスは簡易宿泊所ながら住民票も置けるので住民登録をすると、なぜか札幌のケースワーカーは連絡なしに急に保護を廃止。先に廃止証明書というのを送る義務があるはずが、それもありません。
翌月から急に保護費振り込みがなくなってしまい、所持金数百円だったので難儀しました。
そして台東区の福祉事務所にて新たに保護申請をしたのですが、ここで生まれてはじめて水際作戦に遭いました。これは本当にひどかった! 通帳のコピーだの何だの、大量の書類を用意しないと申請ができないように見せかけてきたり、無料定額宿泊所に誘導したりとコスい小細工をしかけてきたのですが、申請書を提出すれば先方は断ることはできないという知識がこちらにはあったので、その日のうちに無事申請できました。けれどその知識が無いばかりに、申請を断念してしまった人が同じドヤにもいました。
セーフティネットたる公的機関の役人が人をだますために堂々とウソをつく姿は私には衝撃で、この出来事は上京後、はじめて浴びた洗礼としてとても印象に残っています。
「東京ってやっぱり弱肉強食なんだな、こうやって人を不幸にしないと生き抜けない場所なんだなあ。あの相談係のおばさん、水際作戦で、何人自殺に追い込んだんだろう……」
まずは私の住みついた「三三ハウス」の話からにしましょうか。
入れ替わりも激しいのですが、住んでいる人間は常時、二十人程度だったと思います。1部屋3畳の狭さ、光熱費込みで家賃は5万ほどと安くはないのですが、何といっても審査も保証人もなしでその日から入居できるのが魅力でしょう。
トイレは男子トイレのみで共同、シャワーと大きなキッチンも共同。数人ですが女性もいます。
人にもよりますが、料理しながら世間話をしたり食べ物をおすそ分けをしあったりと住人どうしの関係は濃厚で、建物内がまるでひとつの村のようです。新しい住人が入ってくると、根掘り葉掘り素性を聞き出してそれを触れ回る『情報屋』のジジイがいるので、話の伝播もスピード感があり、それもまた村社会を彷彿とさせました。
私は女性でしかも30代と若かったし、年上のフトコロに飛び込んでかわいがられるのは昔から得意だったので、食べ物をもらったりととても親切にしてもらいました。
たまたま私の隣の部屋だった、いかにも好々爺という雰囲気のおじいさんは特にやさしく、最初は缶コーヒーひとつから始まって、次第にお弁当を私のぶんまで買ってきてくれるようになりました。「これで何か食べな」と千円札をくれることもよくあり、とても驚きました。(彼には隣のじじい略して「となじじ」というあだ名を心のなかでつけました)
ななめ向かいに住んでいた、仲野さん(仮名)という女性とも仲良くなりました。きっかけはキッチンで会話しているとき、お互いの年齢が、70歳と35歳だと明かし合ったとき、
「じゃあ、テニスのダブルスコアですね」
と私が表現すると、それがウケたのか、それ以後「私たちダブルスコアだから」などとよく持ち出されました。竹を割ったようなハッキリした性格のおばあさんで、その頃まだまだ気弱ながらも自分で人生を切り開こうと奮闘している私を気に入っていただけたようでした。
きちんとしたアパートが見つかるまでほんの数か月間だけ滞在する予定でしたが、このようないい出会いがあった事も手伝って居心地よく感じ、予定を変更して、ズルズルと住みつづけてしまいました。結果的に、なんとまるまる2年間という長さでした。
試練がつるべ打ちに続いてもなんとか戦い抜いてこれたのは、縁に恵まれたおかげだと思っています。このドヤで体験した出来事を今から順番に並べると同時に、この「となじじと仲野さん」についても詳しくお話ししていきたいと思います。
試練①台湾のおばさんにタカられる。
50代くらいのおばさんが私と同じく2階に住んでいました。「仕事が見つからずに家賃を数ヶ月も滞納しているから、持ち物をフリマアプリで売ってお金を作りたい、ついてはアプリの使い方を教えてほしい」という用件で最初は相談されました。
同性ということもあり警戒もせず、同情心を刺激された私はあれよあれよという間に自分が代理でアプリに出品する仕事をさせられることになりました。
私は彼女に生活保護の受給を強くすすめましたが、なぜだかいつもしぶられます。
「食べ物はありますか? ちゃんと食事できてますか?」
心配すると笑われました。「食べ物はあるけど、タバコがないと手が震えてイライラするの。お金貸してくれる?」
それは苦しかろうと渡したのは500円玉。彼女がアプリに出品してほしいと頼んで手渡してきた荷物はゴミのようなものばかりで、売るのに苦労しました。返してももらっていないうちから、次の無心の金額は1000円に上がりました。
このような甘ちゃんな私に怒ったのは前述の仲野さんです。
「タバコが無いと手が震える?! じゃあ禁煙すればいいだけでしょ。絶対そんなの返してもらいなさい」
私も反省し、「勉強代と思ってあきらめます」となおも甘さを見せると、キッと無言でニラまれてしまい、私はあわててつけ足しました。
「スイマセン、ちゃんと返してもらいます……」
私はその通りにしました。カモがつかまったといいようにタカられていることに気づいた私は今更ながらおばさんと距離を置き、代理出品も中止し、ゴミの詰まった段ボールを返品しました。
おばさんはドヤを去ることになりました。あとから知った話ですが、家賃の滞納は数ヶ月でなく半年にもおよび、また、国籍が日本ではなく台湾だったことで生活保護は受けられなかったのだそうです。おばさんの苗字から、仲野さんは最初から外国人と見抜いていたそうです。
おばさんがこれまでどのような人生を歩んできたかは、永久に分からずじまいです。
普通の人はなんとなく社会的弱者に対して、かわいそうな被害者というイメージを持っていると思います。しかし住む家をなくし、ホームレスのような状態になっている人間にはそれなりの理由があります。約束が守れないとか、ウソをつく癖があり人と信頼関係を構築できないとか、そういう一癖も二癖もある人物が集まるのがこのような場所です。
今から考えると私の生まれ育った北海道ってだいたいみんな人が好くて親切で、優しくておおらかだったと思う。悪く言えばぬるま湯のような環境でした。
まるで赤ちゃんがいきなりジャングルに放り込まれたようなものでした。
でも本来、自分の身は自分にしか守れないと自覚することが自立への第一歩です。私はいつも、この純粋で心のきれいな自分を汚い世の中から守ってくれる神のような誰かを探してしまっていたように思う。
私が悪かったのは、人に親切にしたらそのぶん相手も自分に良く『すべき』である、世の中はそうなっている『べき』であるという思考にこだわっていたこと。一見、おばさんが私をタカっていたように見えて、私も善意を押し付けることによって、おばさんに自分に感謝してもらおうと、自分の都合のよいように動かそうとコントロールしにかかっていました。
タカっているのは私のほうでした。
私の心はキレイなんじゃなく、誰にかれにもいい顔をつくって、人の心を買おうとする詐欺師でした。私の軽蔑した買春おじさんは、私自身でした。