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Book of the year 2024

源平合戦の「一ノ谷の合戦」から840年。
源義経が決行した「逆落しさかおとし」のような、圧倒的な勢いと強さで価値観や哲学を変容させる良著と巡り会えた一年でした。


数百年を超えても色あせない祈りから「ありのままで他者と事象を包み込む眼差し」を学んだで賞/
古川日出夫訳『平家物語』河出書房新社,2016年.

アニメ『平家物語』を鑑賞、温かな共感と冷静な観察眼が織りなす人物譚に感動し「原作も読みたい!」と思って読み始めた一冊。
(さすがに原文は難しかったのでまずは現代語訳版から読むことに)

長い休みの度にコツコツと読み進めてきた大長編を読んでいて感じたのは、語り手の絶妙な距離と角度。
浅く捉えれば「驕って滅びた一族」と思ってしまう一族の物語を語り手は過度にラベリングせずに淡々と語っていく。
一人一人の生き様を、清濁や栄枯盛衰を行き来しながら紐解き、慎重に紡ぎ直すことで、当時の人々の生き様と丁寧に向き合うことができた。

語り手の視点の転換も見事だ。
武家や貴族、さらには庶民に至るまで多様な人々の声を盛り込むことで、当時の暮らしや社会情勢が色鮮やかに描くことができている。
故に、圧倒的に男性社会だったにも関わらず女性たちの生き様も丁寧に語られている。
(琵琶を弾きながら語り歩き、方々の人々と対話するうちに色んな視点が盛り込まれたのでは…つまり、聞き手の声を受け、語り手が物語を作り直すことで物語が深く、豊かになったのではないかと妄想している)

敬虔とも言える丁寧な語り方は「祈り」を感じる。
多くの人が語り継ぐことで磨かれた物語は、祈りという温かさと客観的という冷たさを併せ持った不思議な共感で包み込まれている。
数百年を超えても色あせない祈りから、「ありのままで他者と事象を包み込む眼差し」を学んだ。

完読して、なぜ数百年の時を生き残って現代まで伝わってきたのかがよく分かった。
「古典」として教科書に閉じ込めておくのにはもったいない名作である。

(余談 : 『平家物語』完読のための良きパートナー)

  • 西沢正史『平家物語作中人物辞典』東京堂出版,2017年.
    同じような名前の人が何度も出てくるので、家系図や人物のプロフィールがまとまっているこの本は完読の強い味方となる。合戦が起きた場所と年月日をまとめた地図があるのもありがたい。

  • 平安時代版 京都の地図
    舞台の2/3ほどは京都が舞台となっており、「~通ってどこ!?」となるので当時の地図があると便利。

  • アニメ『平家物語』
    語り手たちの祈りや語られた者たちの想いを丁寧にすくい取り、かといって鵜呑みにはせずに作られた作品。「完読のパートナー」という観点で言うと、予め主要人物の表情や声音をイメージできるので読み進める際の強い手助けとなるに違いない。

「思考停止して作り上げてしまった当たり前」を完膚なきまでに破壊してくれたことに感謝したいで賞/
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』岩波文庫,2003年.

1 世界は成立していることがらの相対である。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』岩波文庫,2003年.

からはじまる、命題を体系的に整理することで思考や知識について思索を深めた1冊。それぞれに番号が当てられた命題たちを1つずつ読み解くことで、「分かる・考える・語るとは何か」ということを考えさせられる。

序文において筆者は本書を以下のように要約している。

本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』岩波文庫,2003年.

「何を語ることができて」「何を論じえないか」ということを考える機会は中々無い。
故に、本来語ることができない領域で不毛な議論が繰り広げられたり、丁寧に論理を積み重ねたはずなのにとんでもない方向に思索が至ってしまったりする。

ソクラテスは「無知の知」を説いたが、
「この世界には自分の知らないことがある」や
「知らないことを考えることすらできないこともある」
ということを理解するほどは難しい。

思考や認識には限界がある。
この本はその現実を淡々かつ残酷に突きつけ、いつの間にか自信や社会の中に作り上げてきた「当たり前」という構造物を、その土台から完膚なきまでにたたき壊すのである。

「知っていること」に謙虚であろうと思わせてくれる、厳しいながらもありがたいことを気付かせてくれる恩師のような存在の1冊だった。

「世界」は「知っている世界」と「知らない世界」でできていると思いがちだ。
(かつ、「知らない世界」が存在するということですらつい忘れがちである。)
だが、この「世界」は「考えることができる世界」の向こうに
「考えることすらできない世界」が広がっているのだ。

こんな時代だからこそ「対話:違いを積み重ねることで意味をつくり出す営み」がさらに必要とされていると考えさせられたで賞/
デヴィッド・ボーム『ダイアローグ』英治出版,2007年.

物理学者のデヴィッド・ボームによる「対話」の思索をまとめた1冊。
意見やコミュニケーションの本質を徹底的に考えることで、異なる意見を持った者同士が意見を衝突させずに、新たな意味を作る「対話dialogue」という営みのあり方が考えられている。

対話では、人が何かを言った場合、相手は最初の人間が期待したものと、正確に同じ意味では反応しないのが普通だ。というより、話し手と聞き手双方の意味はただ似ているだけで、同一のものではない。だから、話しかけられた人が答えたとき、最初の話し手は、自分が言おうとしたことと、相手が理解したこととの間に差があると気づく。この差を考慮すれば、最初の話し手は、自分の意見と相手の意見の両方に関連する、何か新しいものを見つけ出せるかもしれない。そのようにして話が往復し、話している双方に共通の新しい内容が絶えず生まれていく。

デヴィッド・ボーム『ダイアローグ』英治出版,2007年.

著者が物理学者ということもあり、ところどころ
(あ…物理・数学的に考えられているな)
という場面もあった。
例えば上の引用は次の2つの数式で簡単に表すことができる。

対話とは自分と相手との意味の差を積み重ねる営みである(aは自分の、a'は相手の意味)

1+1を2より大きくできるのが人間の良いところであり、言葉という技術の効用であると思っている。
だが、言葉を使ったコミュニケーションは己の正しさを証明したり、自分と相手との違いを過度に証明したりする武器として使われがちである。

多様性を豊かさとするのであれば、できるだけ多くの意見をまとめ、新しい意味を作ることで世界はもっと豊かになるはずだ。
「分断」という言葉が使われがちな現代だからこそ、人と人を繋ぐ接着剤である言葉やコミュニケーションを見直したい。
人間が言葉というツールを苦悩しながら使い続ける限り、あるいはコミュニケーションというものについて悩み続ける限り、「対話dialogue」という視点でそれらの苦悩や悩みに伴走してくれる1冊である。


※昨年のBook of the year:LINK
※サムネイルの画像:photoAC


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