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泥だらけのぬいぐるみ
陸前高田市民歌という歌がある。その歌の出だしは「黒潮の香に明けそめて」から始まる。わずかに沖を流れている温かい黒潮。その影響で、岩手県陸前高田市は温暖な地域で採れるゆずの北限となっている。
陸前高田にゆずをはじめ、多くの恵みをもたらしている太平洋。今から13年前、その太平洋が全てを奪い去った。3月11日、東日本大震災のことである。
あの日、高校生の私は東京にいた。度々襲う余震に怯えながら、朝まで東北の惨状をテレビで観ていた。北海道にある大学へ進学した後もずっと被災地のことが気になっていた。
震災から四年後の2015年、まずは被災地の現状を知ることから始めようと思った。思いついたのが、被災地を鉄路でたどる旅。青春18切符を使い、青森県から福島県まで距離700キロを7日間で巡った。
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旅は多くの出会いに恵まれていた。例えば、堤防が破壊された田老で、震災遺構となったホテルの主人が、津波が堤防を越える様子を撮った貴重なビデオを観させてくださった。
陸前高田を訪れたのは3日目の3月12日。ガレキがほとんど片付けられた市街地は見渡す限り枯れ草が拡がっていて、所々に黄色の花が添えられていた。
歩いていると、道端にまだ片付いていないガレキがあるのを目にした。畳一畳分くらいのガレキの中にカエルのぬいぐるみがあった。泥だらけでボロボロなのにニコニコと笑っていた。そのぬいぐるみを手にした途端、止めどなく涙が流れた。
誰かの宝物が泥だらけになっている残酷さ。ぬいぐるみの無邪気な笑顔で思い出した、旅先で出会った人々の優しさや悲しさ。旅で感じたことや考えたことが一気に押し寄せて涙が止まらなくなってしまったのだ。
ふと、被災者はどこで泣いているのだろうと考えた。本音を語り、涙を流す場所はあるのだろうか。心を受け止めてくれる場所はあるのだろうか。泣くことで感情が少し整理され、気持ちを受け止める場所の必要性をこの身で感じた。
心の復興に関わりたいと思い、大学を休学。宮城県で教育を通した復興支援活動に1年間携わることになった。ある生徒は、
「放課後、友人やスタッフと語っているときは、狭い仮設住宅で家族に気を遣う辛さを忘れることができた」と語っていた。学校でも家でも無い、子ども達がのびのびと過ごせる居場所。そこは、心の復興の最前線であった。
活動が終わる頃、あのぬいぐるみにもう一度会いたくて陸前高田を訪れた。だが、出会った場所は盛り土で埋まっていた。
家一軒分ほど高くなったその場所から周りを見渡した。かさあげされた土地には、見渡す限りの枯れ草が拡がっていた。
※サムネイルの写真:photoACより
※この文章は「宣伝会議 編集・ライター養成講座 総合コース」の「旅について文章を書く」というお題で書いたものです