1周回ったような自分のインターセクシャル性
小2で性同一性障害を強く自覚。
22歳ごろに性同一性障害と性分化疾患(クラインフェルター症候群)の同時診断。
25歳で男性から女性への性別適合手術。
手術は概ね満足
でも痛いのよ。
S字結腸を移植して膣にして、前はペニスを反転して女性器にして。
前側の痛みはすぐ取れたんだけど、やっぱ膣口はいまだに痛い。それを抑えてる皮膚が特にね。
でも男性とされてた性別が女性になったことには満満満足〜一本満足〜!
なんだけどさ、どんどん加速していくのよね、ここのところ中性さへ。
感じる(女性らしさの)窮屈さ
ギラギラの女の子、女性になることに窮屈さを感じてきて。
前の神奈川県立病院をやめたのもそれが大きいかも。
先生は「その中性さも女性の範囲内でしょ!」って対応だったから。
たぶん私はそれに満足がいかなかったんだと思う。
いやーもうずっと満足してなかったんだと思う。
もっというと性同一性障害の治療しかされてねーんだな!って怒りをどこかで感じ続けてたのかもしれない。
なんか一時期はもうわけわからなくなっていったのさ
膨らむ胸は嬉しい。
でも男性から女性としてみられることもはじめは嬉しかったけど、だんだんなんていうんだろう、女性として査定されてく感じが嫌になったというか。
もうこれは痴漢とかセクハラの一つだと捉えてきたけれど、どうやらそうじゃなくて自分の内側からのものだと、過去にある事件からも思えてきた。
レズビアンと精神疾患の集まりの中で、ふきちゃんはフェムだよ〜!と。
その時私は「性分化疾患性も大事に生きていきたいなぁと思ってて、ボイってほどじゃないけど、中性だと思ってて」って話をしてたと思う。
もう最後は妙に悔しくなっちゃって。
どんなに仲間そうなLGBT界隈でさえも、見た目で判断されるんだな…心の中なんて言っても尊重されないんだな…って。
でもやっぱ私は私なのよ。
性分化疾患の大きな団体さんから批判を受けようとも、私は男でも女でもないところから生まれてきて、その価値観や生き方を大事にしたいんよ。大事にしてきたからこそ見えてきた、男らしさと女らしさの狭間の生きづらさにも気づけたし、トランスコミュニティに馴染めなかったし。
きみは性分化疾患らしくないなんて言われる筋合いないのよ。
自分らしく生きてくから。
ひとそれぞれに人生の答えがあるから。
だから言い合ってジャッジする必要が本来ないと思うんだよね。
じぶんの人生だもの、自分で決めていきたいね。
そのためにいろんな構想を立て始めました。
それは近いうちに。