全てはここから始まった
昨年の24時間テレビは、初めて地方で募金を行なった。2日目に山梨放送の会場(山日YBS本社)に行き、500円を寄付したのである。
しかし、その直後に系列局の日本海テレビでの募金横領問題が起き、不透明な事態となった。さらに、メインパーソナリティを務めてきた旧ジャニーズのタレントが逆風に見舞われた。
それを受けて今年のテーマは、「愛は地球を救うのか?」になった。敢えてメインを置かずに、賛同した芸能人をリレー方式で繋いでいく内容に変わった。
思えば24時間テレビの始まりは、混乱続きであった。深夜の11PMの延長線上で作られたからである。11PMというとお色気路線のイメージがあるが、大橋巨泉さんが司会の時は硬派の路線を度々放送していた。しかし、当時はテレビにそんな事が出来るわけがないと世論の目は冷ややかであった。
それを受けて大橋巨泉さんが総合司会、当時人気があった萩本欽一さん(欽ちゃん)をパーソナリティーに据えた。テーマは高齢者に対しての愛の手を差し伸べようというものであったように思う。最初は1回限りで終わろうとしていた日テレ上層部も、盛り上がりの大きさを鑑みて夏の終わりのイベントとした。
その後、フジテレビが対抗してFNS27時間テレビをスタートさせた。お互いに切磋琢磨しつつも、フジテレビは夏の始まりとともに日テレは夏の終わりとともに同じような長時間テレビを作り出した。
それを受けて、24時間テレビは1992年にマラソンやサライの大合唱での大改革に踏み切った。だが、感動したという声がある一方で批判の声がある。さらにコロナ禍ではフジテレビが休止、日テレは無観客となった。それが変わったのが昨年。5類に移行となり、フジテレビが復活した上日テレの方にも観客が戻ってきた。27時間テレビでは、100キロマラソンに対抗する形で100キロサバイバルマラソンを始めたが、こちらは酷暑の中での開催が問題視されている。
来年以降はどうなるか? 2つの長時間テレビが今問われているのである。