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脳瘤ができた我が子に、私が決断したこと(2/2)
※中期中絶、人工死産に関する表現があります。
上記に対して不安、不快な思いがある方は閲覧しないでください。
精密検査の結果、私のお腹の中の赤ちゃんは「脳瘤」を抱えていることが確定しました。特に小脳が外に出ている状態で、医師からは「運動機能に何かしらの障害が残る可能性が高い」と言われました。ただ、それがどれほどの影響を及ぼすかは生まれてみないとわからない、とも。
「障害が出るかどうかは誰にもわからない。」
この言葉が私の心に重くのしかかりました。
もし障害が残った場合、この子を一生支える覚悟が必要です。それでも夫と私がいる限りは、どんな困難も一緒に乗り越える自信がありました。しかし、どうしても頭を離れなかったのは、「私たちがいなくなった後」のこと。
この子の世話を誰がするのか。
真っ先に浮かんだのは長男の顔でした。まだ小さな彼に、大きすぎる責任を押し付けることになるのではないか。そんな未来を思い描くたび、心が引き裂かれるようでした。
最後に下した決断
悩みに悩み、泣いて泣いて、夫と話し合い続けた末に、私たちが下した決断は「堕胎」でした。
これは簡単な選択ではありませんでした。私の中には、「この子を守りたい」「きっと愛せる」という気持ちがあったからです。それでも、家族全員の未来を考え、最善だと思える道を選びました。
促進剤を使った分娩の日がやってきました。生まれてきたのは、24cmの小さな天使でした。顔は小さいながらも、長男にそっくりで、目に涙が溢れました。
その子と病室で2日間一緒に過ごし、ただただ話しかけていました。
「可愛いね、ごめんね。」
何度も何度も伝えました。おもちゃも作ってあげて、それを一緒におくる準備をしました。でも、その時間はあっという間に過ぎ、すぐに火葬の日がやってきてしまいました。
火葬の日
小さな我が子を抱えながら、「どうしてこんな経験をしているんだろう」と思わずにはいられませんでした。親が子どもを火葬するなんて、本来あってはならないことだと感じながらも、現実を受け入れるしかありませんでした。
写真を撮る勇気がなく、結局1枚も残せなかったことは、今でも後悔しています。でも、不思議とその子の顔は、今でも鮮明に思い出すことができます。
正しかったのかは、今でもわからない
この決断が正しかったのか、今でもわかりません。
もしこの子を産んで育てていたら、どんな未来が待っていただろう。きっと幸せな瞬間もたくさんあったはずです。それでも、当時の自分にはこの選択以外が見えませんでした。
私たちの選択が、その子にとって、そして家族にとって何を意味するのか。この問いはきっと、一生私の中に残り続けるのだと思います。