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塩の記念日についてのエトセトラ

1月11日は「塩の日」

「しお」でも「エン」でもなく、そもそも語呂合わせでつくられたわけではない「塩の日」ですが、なぜこの日が塩の日になったのでしょうか?

その理由は、遠い昔の戦国時代にまでさかのぼります。
(きっと歴史好きな方が広めたのではないでしょうか。)

きっかけの日1569年1月11日

甲斐(現在の山梨県~長野県あたり)を治めていた武田信玄は、
相模(現在の神奈川県あたり)を治めていた今川氏との同盟を破棄し、
東海方面へと進出していきました。
それに怒った今川氏が、駿河(現在の静岡県あたり)を治める北条氏と手を組み、ほかの地域から武田氏側に塩が入らないように画策しました。
甲斐の国には海がないため、人々は塩が手に入らず生活に困ってしまいました。

この状況を知った越後(現在の新潟県あたり)を治める上杉謙信は、長い間武田信玄と敵対関係にあったにもかかわらず、塩の流通を続けたとされています。
武田信玄の領地である松本藩(現在の松本市)に塩が到着したのが、1月11日とされていることから、この日を「塩の日」と制定したようです。
松本市では1月11日に近い週末に、「あめ市(昔は塩市)」が開かれています。
また、上杉謙信の領土だった新潟県糸魚川から、長野県松本市に続く「千国(ちくに)街道」は、「塩の道」とも呼ばれています。

敵に塩を送る

「苦境にある敵を助ける」という意味で使われるこの言葉は、前述のとおり、上杉謙信が塩不足に悩む宿敵・武田信玄側に塩を送って助けたという逸話が由来といわれています。

この逸話についてはさまざまな説が複数の書物に残されていますが、助ける意図があったのか、流通を続けただけだったのか、事実がどうかは明確ではありません。
いずれにしても、海のない地域で塩を絶たれることは、武将や兵だけではなく、その地に暮らす人々の生活をもおびやかす大事件だったことは確かです。
塩は、人々が生きていくうえで、それほど大切なものだったのです。


毎月17日は「減塩の日」

減塩の日も語呂ではなく、日本高血圧学会と日本高血圧協会が平成29年に制定し、発表しました。
減塩啓発活動を全国展開する目的で毎月17日を「減塩の日」としたということです。高血圧に関する学会が、減塩に着目していることがうかがえます。
実際に高血圧と減塩との関係は多くの論文で明記されていることは、言うまでもありません。

世界高血圧デー(World Hypertension Day) 5月17日

この減塩の日のもととなった世界高血圧デーの根幹は2005年創設され、2007年には宣言とともに、イベントや情報提供活動が広がることになります。
生活習慣の改善と日ごろの血圧測定が重要であることを示すこの啓発活動は、観光地でのライトアップも行っているそうですよ。

まとめ

今回は、塩の記念日について触れてみました。
ライトアップのモチーフは 赤:動脈、緑:静脈 だそうですよ。
今年の5月もやってくれるかもしれません♪
近くでみつけたら”つぶやき”もしていきますね!

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