全体的にざっくりOK
今朝のツイート、自分の予想以上にうなずいて下さる方が多かったので
今回は続きを書きたいです。
今朝私はこんなことをつぶやきました。
何をそんなに面倒くさがっていたかというと、仕事です。恥ずかしながら3か月放置してしまいました。いえ、間違っても誰かを困らせる種類の仕事ではありません。大丈夫。
期限が長かったからつい放置してしまったけれど、11月頃から気がつけば「終わらせたいなあ」「今日こそやろうか」といいながら3か月が経ってしまった。それで、そろそろ約束の時期が迫っていたので今朝(つまり日曜日の早朝)に取りかかりました。本当に気が重かった。でも、やってみたら所要時間はたったの30分。子供たちが起きてくるまでに終わらせられてしまった。
びっくりです。やろうと思えば30分で終わるのに、3か月暗い気持ちで抱えていたのですから。自分にあきれる。早くやっておけば良いのに。こんな簡単なこと何で悩んでいたのかしら。
それで反省も込めてツイートしたら、うなずいて下さる方が多くて救われました。気を良くして、他にもそんなことはないかしらと考えてみました。
①酔った後の、または寝起きのお風呂
入るまでが地獄の苦しみだけれど、お風呂上りは「こんなにさっぱりするのに何で今まで迷っていたのかしら」となります。
②人と会う前の日~待ち合わせ場所に行くまでの時間
約束を取り付けて、準備して楽しみにしていたはずなのに、その日が近づくにつれてだんだん怖くなります。実際に耐え切れずにドタキャンしたことがあります。ごめんなさい。
いざ会ってみると「こんなに楽しいのに何を怖がっていたのかしら」と妙にテンションが上がります。
③家事(主に掃除)
あのカビと汚れを、なぜ放置していたのかしら。洗剤をシュっとするだけで消えるのに。
④ダイエット
さっさと運動して食事に気をつければ、あのズボンがまた履けるのに何で私はポテトチップを食べているのかしら。バリボリ。
…あるあるネタで終わらせないために、自分なりの考察を書きたいと思います。
この現象の原因はもしかして「完璧にやりたがりなのではないかしら」と思うのです。
一度何かに取り掛かるとそればかりしか集中できなくて、極端な話、寝食を忘れてやらなくては気がすまなくなってしまう。
そんなことはないでしょうか。
集中している時は何でもなくても、人間疲れが溜まります。それで終えた後は、もう疲れたからと次のことに取り掛かるまでに時間がかかってしまう。無意識の自分が「やりはじめたら終わらないぞ、気をつけろ」と警告を発しているのかもしれません。それで、面倒くさくなってしまうのではあるまいか。やるからには完璧にやりたいとか、そんな考えもあると思います。
でも、この頃の私ですがそうも言ってはいられなくなりました。身上的に、しがらみや両立するものが多すぎて一つを完璧にやることが難しいのです。
例えば、家事を完璧にやろうとしても仕事に行かねばならないので色々中途半端になります。さらに、子供が熱を出せば、仕事も家事も中途半端。その上、子供が悩み事でも言い出した日には、お風呂上がりで干からびた頬に化粧水を叩きこむのも適当に済ませて聞いてやらねばならない。
例えるなら、作りかけの料理をあちこちに放置しながら洗い物や片付けもしつつ、同時に7品くらい作っている状態。どれも美味しいかは別として7品を作りながら暮らしている状態です。(だから、今朝の仕事のように全部やりきれずに取りこぼしを放置しているのだと言い訳します。)
できるだけ人様に迷惑はかけないようにしているけれど、色々迷惑をおかけしています。その話はまた別の機会にですが、とにかく中途半端で回している生活がかれこれ10年続いています。
中途半端にしながら、できるところから進めていくのは疲れるし完成度も低いけれど、以前のように一つを集中してやっていた時よりも、全体的にざっくりOKな感じで身の回りが進んでいくようになりました。
同時進行ざっくりOKで進めると、必要ないことは自然と遠ざかっていきます。そんなものです。それに、疲れて寝てしまう時もあるけれど、没頭していた時に感じていた種類の頭の疲労は少ない気がします。
よく歴史に名を残す人が「一つのことを一心不乱に」とか「一本道をまっすぐと」とおっしゃるのを聞きます。高い完成度を求めるならそれが一番かもしれない。
でも、この頃は「どれも少しずつ適当に同時進行」もありかなあと思います。そのやり方だと、バランスだけは良く毎日が進んでいく。一つ一つの品質を求められたら何も言えないけれど。
だから反対に、好きなことに没頭できることが贅沢に思えます。
どちらの生き方が良いとか肯定も否定もするつもりはありません。ただ今の私自身の生活が没頭しにくい環境でざっくりOKにしないと回らないだけのこと。この次に色々なものに没頭できる状況になったら、寝食を忘れて何かに打ち込みたいと思います。
物事への向かい方も、人の数だけ、生活の仕方の数だけ色々あるものだなあと。そんなことを考えた一日でした。