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【阿尾城(氷見市)】断崖絶壁で守られる天然の要害がスゴすぎる!
阿尾城(富山県氷見市)の紹介動画を作成したので、振り返ってみましょう。
城の詳細や写真については、以下のサイトをご覧ください
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阿尾城は富山湾に突き出した独立給料に築かれた天然の要害。
周囲は急峻な地形で守られ、特に東側と南側は断崖絶壁となっており、まるで旧日本海軍の空母のようです。
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この壁は高さ30メートルを悠に超え、実に攻めにくい城だったことでしょう。登れっこないです。
麓に案内板と駐車場、トイレが設置されています。ここから登っていきます。
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阿尾城は、富山湾を監視する位置にあり、また能登へ向かう荒山道と、石動山へ登る大窪道の起点となる位置で、交通の要所でした。
築城時期に関してはハッキリしません。この地を治めていた屋代氏が利用していたのでしょうか。
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屋代氏は能登・七尾城をめぐる攻防で没落し、その後、菊池氏が阿尾城に在城しました。菊池氏は肥後の出といわれ、上杉謙信に属していました。
しかし、謙信の死後は織田信長に属し、佐々成政の越中統一により佐々の支配下に入りました。
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天正12年、成政と加賀の前田氏が対立すると、前田利家は阿尾城の菊池武勝を引き込もうとします。
菊池武勝は妻子を成政の元へ人質に出していたのですが、天正13年5月、ついに離反。阿尾城に前田軍が入ります。
この時、あのかぶき者・前田慶次郎がいたと伝わります。
怒った佐々成政は、翌6月、神保氏張の兵5000をもって阿尾城を攻撃します。しかし、堅固な阿尾城と、前田の援軍により、神保軍は退却せざるをえませんでした。
佐々成政が降伏した後、菊池武勝は前田利家より阿尾城在城と知行一万石を安堵されました。
菊池氏は前田氏の家臣として阿尾城にいましたが、家督を継いだ嫡男が慶長元年に死去し、妻子も金沢へ召し出され、そのころ阿尾城は廃城になったと思われます。
発掘調査によって、16世紀を中心として、14世紀から16世紀末の遺物が出土していますので、慶長年間も使用されていたことがわかります。
ちなみに、阿尾城の北側の集落でも発掘調査が行われ、中世の遺物や遺構が検出されています。城下町があったのでしょう。
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伝三の丸にたどり着きました。まずは、城の西の端に位置する榊葉乎布神社へ向かいます。
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神社脇で土塁のような遺構が残っています。
ここは伝三の丸を見下ろす高台になっており、城の西側を守る櫓台などがあったと思われます。しかし、神社が建てられたことで遺構は破壊されている模様で、元の姿を判別することは難しいです。
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西の端を、麓から見上げてみました。上に神社の屋根が見えます。
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伝三の丸は非常に広い空間となっています。ですが、伝二の丸と合わせて、以前は相撲場や畑になっていたので、それによる遺構の破壊もあると思います。
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伝二の丸は、いくつもの段が存在し、居住区としての曲輪が存在したことを物語っていますが、本来の姿かどうかは判然としません。城の案内板での伝二の丸、また別の資料では上の白峰神社がある曲輪が伝二の丸とするものもあります。
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白峰神社への石段を登っていきます。石段の脇に、曲輪が存在します。この石段は、かつての城道だったかどうかは分かりません。曲輪には、堀の後が検出されているそうです。
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石段を登りきった曲輪には、張り出し部分があります。この張り出しは下の曲輪を監視し、また石段に対して横矢を掛けていますから、おそらくは原型をとどめているのではないかと推測されます。
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白峰神社へ向かいます。斜面に対して、わずかに土塁が残っています。
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神社脇を通り、いよいよ伝本丸へ向かいます。本丸へ向かう途中、さらに登ります。阿尾城内での最高所があり、かつてはそこに白峰神社がありました。見張り台としての曲輪だったのでしょう。
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素晴らしい眺めです。虎口状になっているところを、さらに登ると、以前の白峰神社跡があります。
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動画撮影で訪れた時には、崩落があり本丸へは通行止めでした。2023年現在ではすでに解除されていますので、本丸へ行くことができます。
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途中、堀切状になっており、非常に攻めにくく守りが固い構造になっています。
通路から外れてはなりません。一歩間違えば、海にまっさかさまです。死にます。
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伝本丸跡です。二段の構造になっていて、先端には灯台と展望台が建てられています。柵から出ないようにしましょう。出たら、そのまま死です。まさに天然の要害ですね。
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