【富崎城:富山市の山城】二重の横堀に守られた、居住性の高い平城のような山城?
富山市婦中町の富崎城をの動画を作成したので、ふりかえってみたいと思います。
詳細は、以下のサイトもご覧ください。
富崎城は滝山城とも言われ、射水・婦負二郡の守護代神保氏の重要拠点として知られています。
地元では、もっぱら「滝山城」と呼ばれてきたそうで、「富崎城」の名前をつけたのは県外の人なのだそうで。
現在は、丘の夢牧場に隣接し、大変訪問しやすくなっています。
この牧場建設前は、尾根の中腹に位置する城跡でした。城の北側は山田川が流れ、斜面も急峻で攻めにくいのですが、他三方はなだらかな地形なので、その方面は横堀や切岸を設けて徹底して防衛しています。
さあ、道路から城跡に入って行きましょう。入口にトイレがありますが、現在使えないようです。
まず最初に目に飛び込んでくるのは、この虎口でしょう。非常に高い櫓台に監視されています。
虎口に入って行きましょう。
この奥では通路を直角に折り曲げています。横からも正面からも矢を掛けられる恐怖の場所です。
通路が折り曲げられた先も切岸で守られ、この先の土橋通路に辿り着くまでは、長時間、横矢を掛けられるので、攻め手は甚大な損害を被ることでしょう。
土橋通路に辿り着きました。ここから城内に入ることができます。しかし、この先は藪がひどいです。一旦、虎口外に戻ることにしましょう。
城の東側は高さ2、3メートルもある切岸で守られています。立派な切岸で、これは簡単に登ることはできません。
さあ、富崎城の案内板が設置されている通路から入って行きましょう。ここは内枡形虎口になっているそうですが、先ほどの折れのある虎口ほどの工夫はなく、古い時代のものではないかと推測されるそうです。
土橋通路になっています。登っていきましょう。
城内に入りました。きちんと削平された、非常に広い曲輪です。
この曲輪から、北の斜面を降りる曲輪が認められます。この下には、山田川の船着場があったのでしょうか?
主郭手前で段差を設けています。この段差の脇は窪みが残っており、かつては横堀が存在した跡なのかもしれません。
主郭に入りました。「神保城趾之標」という石碑が立っています。
主郭の奥には井戸が残っています。非常に深くて大きな井戸ですね。場内は綺麗に削平されており、おそらくは館が存在して生活もできたのでしょうね。
では、主郭を取り巻く横堀へ行きましょう。立派な横堀です。この横堀は、東側で折り曲げられています。
主郭の端は高くなっており、この横堀を厳しく監視しています。大変見応えのある場所ですね。
この横堀には、主郭に入るための土橋が存在します。
この土橋の先、少し分かりにくいですが、小規模な曲輪が存在します。ここは一段高くなっており、馬出し曲輪として機能したと思われます。ここも富崎城の見どころの一つです。
それにしても、藪がひどいです。ここらでよく野生の鹿に出くわしますよ。藪を避けて、内側の横堀から外側の横堀を目指しましょう。
外側の横堀にやってきました。この部分、城外には櫓台が存在し、おそらくはここに木橋を掛けて南側尾根の入口としていたのではないかと思われます。非常時には木橋を取り除いたのでしょう。
この長大な横堀は徹底して南側の尾根筋を守っており、外側に土塁を設けていますし、また城側にも浅く土塁が残っています。
さらに、横堀には折れを設けて、強固な防衛ラインを築いています。東側へ向かえば横堀が不明瞭になりますが、かつては深い堀が存在したのでしょうね。
城の南東の端までやってきました。ここには土塁も残っています。以前は、この下にも切岸が残っていたそうですが、牧場建設により破壊されたと思われます。
ちなみに、東の離れた位置に四隅突出型古墳があり、地元では「鐘突堂」と呼ばれているそうです。かつてはこの東に堀切が存在したといわれ、鐘突堂を含めて東側尾根を守る機能があったのかもしれません。
また、南東方向に派生する尾根を守る「銀納砦」が存在しますが、それについては別の動画で解説しましょう。