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「脇システム」と「先後の差」~自戦記 高野(智)五段戦~
モバイル中継のついた将棋でした。
私の先手で矢倉に進み、組み上がりは「脇システム」とよばれる形になりました。
最近では、3月に行われた王将戦第5局で登場しました。
全くの先後同形で、形勢はもちろん互角です。
脇システム
この局面は、手元のデータベースによると、昭和60年7月に初めて出現し、それから公式戦で100局くらい指されています。
脇謙二八段が得意とされ、定跡の筋道を立てたことから、この局面は「脇システム」と呼ばれています。
ここから▲6四角△同銀▲2六銀と棒銀で攻めを目指すのが定跡とされた手順。
対して△6九角と打ち込むのがこれも定跡とされた反撃手段。
先手は▲1五歩と端攻めを開始します。△同歩と取ったところが一つの分かれ道です。
ここで多数派は▲1五同銀。香ではなく銀で突っ込むのが端攻めの基本とされています。
昨年12月の叡王戦本戦でも登場しました。
私はここで▲1五同香と指しました。
この手は少数派で、最後に指されたのは2013年1月。7年半も出ていない手です。
研究のスピードと精度が上がる時代には、皆が指さなくなった手は大抵ダメな手としたものです。
しかし腰を据えて研究してみると、指されなくなった理由がわかりませんでした。
仮にダメな手があったとしても、7年半も出ていない手を相手が研究している可能性は低く、実戦で脇システムに遭遇したら指そうと決めていました。
17年以上前の前例
そこから手は進み、迎えた25手後の図。
▲1五同香と取って、後手が妥協なく突き進んでくるとこの図になります。
手順にご興味ある方はモバイル中継でご確認ください。
激しい展開ですが、まだ5局の前例があります。
最後に登場したのは17年以上前。
この局面の優劣が、▲1五同香の成否にかかっています。
もしこの局面が後手有利であれば、▲1五同香は成立しません。
私が知らないだけでこの局面が後手有利という結論が出ているのかもしれない、そういう怖さを抱いていました。
ただ、こういう時に将棋AIの評価値が頼りになります。
研究段階で将棋AIを使って検証し、形勢に大きな傾きはないと調べていました。
勝負はこれから、という局面です。
さらにここからの展開も研究しており、「こういう展開なら勝てる」「こういう展開だと負ける」といった筋道をいくつか持っていました。
これを持っているかどうかは、形勢以上に大切です。
実戦もそれを生かし、勝てる展開に持ち込んで制勝しました。
先後の差
プロアマ問わず、強い人ほど勝つ展開を持っています。
「自分の得意な展開」「研究している展開」に持ち込むと、勝つ展開に結びつくのです。
この高野五段戦の午後に増田康宏六段との対戦があり、「相手の得意な展開」に持ち込まれて完敗しました。
「相手の得意な展開」で、かつこちらの研究が薄い展開だったこと。
そして時間を使って対処したため、秒読みに追い込まれたこと。
それにより、形勢は微差でも勝てない展開でした。
これには先手と後手の影響があります。
先手と後手では形勢に大きな差はつきづらいものの、先手は主導権を握りやすく、必然的に「得意な展開」に持ち込みやすくなります。
高野五段戦は先手だったのでこちらの研究している展開に持ち込んで勝利し、増田六段戦は後手だったので相手の得意な展開に持ち込まれて負けました。
研究のスピードと正確さが増す時代には、この「得意な展開」に持ち込む重要性が増しており、そこに先後が大きく影響してくるのです。
先手では「得意な展開」に持ち込んで勝ち、後手では相手の「得意な展開」に持ち込まれても耐えて勝つ人が勝率の高い人です。
私にとって、先手でも後手でもまだまだ多くの課題を抱えています。
将棋界では6月に入ると大きな勝負が立て続けに行われます。
特に注目されるのはタイトル初挑戦を狙う藤井聡太七段でしょう。
先手でどう戦うのか、後手でどう戦うのか、その点にも注目しながらご観戦ください。