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大好きな海に抱かれて

茶山さん夫妻は氷見に来てから古民家カフェをオープンしました。カフェに生まれ変わったのは公伸さんの父が生まれた家で、建てられたのは大正11年ということです。お話を伺うために氷見市北大町にある古民家カフェ「彦右衛門」を訪ねました。


海が取り持ってくれた縁

氷見市の中心商店街の北端あたりが北大町。かつての網元の家を改築した古民家カフェがここに誕生したのは令和元年のこと。経営するのは茶山公伸さん、彩さん夫妻。茶山家は平成28年の春に氷見へ移って来ました。それまで暮らしていたのは外国船が行き来するベイエリア、横浜市。海の景色はすっかり変わったけれど、夏には家に居ながらにして氷見の海上花火が爆音で楽しめます。

夫妻は海と縁があります。彩さんが東京都府中市にあるスキューバダイビングスクールに通っていた時、インストラクターとして目の前に現れたのが公伸さん。交際を重ねて2人はやがて結婚し2人のお嬢さんを授かりました。名前は愛海(あいみ)さん、心海(ここみ)さん。子供たちにも大好きな“海”を一文字ずつプレゼントしました。

氷見漁港沖の唐島と劔山

空の様子も彩さんには新鮮に映ったそうです。横浜では高層ビル群の隙間に見えていた空。氷見では遮るものが少ないからか、ずっと広く大きく見えたと話します。海の近くで暮らせるし、食べ物も美味しい。移住を決めた理由の一つがそれでした。氷見に来て、彩さんは夢だったカフェ経営を実現し、公伸さんはかつて夢にも思わなかった仕事に就きました。

我が家の移住大作戦 ~夫、公伸さんの場合~

古民家カフェ開店までの物語の主人公は妻。しかしその前段として移住を計画し、実行に導いたのは夫のほう。というのもカフェへと変わった古民家はもともと公伸さんの父の実家でした。茶山家は代々、氷見の漁師さんたちを束ねた網元の一つ。公伸さんの父はこの家の次男として生まれました。

カフェ「彦右衛門」外観

進学を機に富山を離れた父はそのまま都会で仕事を見つけ、以来ずっと横浜暮らし。だから息子の公伸さんも富山に住んだ経験がありません。大きな梁、漆塗りの板戸、いくつもある畳の間。少年時代の公伸さんにとってこの家のインパクトは相当なものでした。「海に行けば見えたはずの立山連峰の絶景に気づいたのも大きくなってからでしたね」、公伸さんは話します。父の実家を継いでいた叔父、その後祖母も他界して、“氷見の家”には叔母、千枝さんひとり。氷見への移住は人生を左右する決断でしたが、今思えば不思議なくらいすんなりと決めることができました。妻も前向きに話を聞いてくれたので迷いはありませんでした。千枝さんも喜んでくれました。
この引越しで公伸さんの人生も劇的に変化しました。銘酒「曙」で知られる高澤酒造場の蔵人へと転身を果たします。酒造場はカフェ兼自宅とは目と鼻の先。ある日「うちで仕事をしてみませんか」と、酒造場の高澤社長から声をかけてもらったのだとか。人生はいつどこで何があるかわかりません。

我が家の移住大作戦 ~妻、彩さんの場合~

横浜市か、氷見市か。ひと悶着ありそうな決断ですが話は前へと進んでいきます。というのは妻のほうも富山暮らしが嫌ではなかったからです。東京生まれの彩さんもある時期から豊かな自然に惹かれるようになっていて、その周辺に見え隠れするスローライフも気になっていました。「時代の最先端」を追いかけるより、茶道、着付け、伝統的な建築様式等、「和の文化や情緒」を大事に思うようになっていた彩さん。堂々とした和の住まいに悪い印象はありません。

カフェ「彦右衛門」居間

むしろ夢を叶えるためにはうってつけ。彩さんには「いつかカフェを開いて、地域の人が気軽に立ち寄ってお話をしたり、くつろいだりできる場所にしたい」という思いがありました。

横浜ではコーヒー教室へ通い、引越してからも高岡の古民家カフェやコーヒー専門店で修行。さらに叔母の千枝さんから茶道を教わり、覚えのあった抹茶のメニューにも磨きをかけました。それでも不安と背中合わせの毎日だったと、開店準備に追われていた頃を彩さんは振り返ります。

平成28年、茶山家の敷地内に新居が完成。続いてカフェの開店準備にも手をつけました。伝統的な和風建築の母屋がお店へと改装されていきます。

カフェ「彦右衛門」土間668×992

在来軸組家屋のよさをできるだけ残しつつ、ところどころに現代感覚も採用することにしました。電気・水道工事の資格を持つ夫の公伸さんはリフォーム工事でも大活躍。茶山家の氷見ライフは古民家カフェの完成と同時にさらに大きな変化を迎えることになりました。

カフェ「彦右衛門」は水曜、木曜、金曜、土曜の午前10時から午後6時まで営業中。やがて築100年という古民家を改装しただけに随所に風格が漂います。土間に置いた行灯が漆塗りの板戸に光を映し、誘われるように畳の間に作られたカウンターへ。中庭には季節の花が彩りを添え、渋い琥珀色の空間に粋なJAZZがしっとりと溶けていきます。素敵な空間で頂く自家焙煎コーヒーと、和スイーツは訪れた人たちから好評です。

カフェ「彦右衛門」スイーツ 668×992

移住を成功させるためには

開店から2年。酒造場の仕事がお休みの日はカフェの仕事もするという公伸さんに移住を成功させる秘訣を伺ってみました。「あまり細かいことまで気にしないことではないですか。僕が実際そうでしたから」。郷に入っては郷に従え、というスタイルでしょうか。公伸さんはこちらに来てから余暇の時間が増えたそうで、子供たちと一緒に過ごしたり、家庭菜園や海釣りで田舎ライフを楽しんでいるということです。

一方、「家族みんなで仲良く暮らすことが一番大切なのではではないでしょうか」と、こちらは彩さん。頭の中はカフェの経営のことでいっぱいと話しながらも家族みんなの暮らしのことを考えています。日曜、月曜、火曜はカフェの休業日。というのも妻として、また母として、家族のためにやるべきことをする日に充てているから。「子供たちと一緒にいる時間を犠牲にしてまでお店はやりたくないですから」、開店した時からそう決めています。

そして引越しの話を切り出した時は富山行きを渋ったというお嬢さんたちへの思い。彩さんは「大好きな友達と離れ、寂しい思いをさせることになるのは痛い程わかった」と話します。「氷見に行ったら犬を飼って一緒に暮らそう」、子供たちにはそんなふうに伝えたそうです。だから氷見の茶山家には愛犬がいて、横浜時代にもまして賑やかです。「それからね」と、彩さん。「大きくなってからでいいから、子供たちもここで暮らせてよかったと思って欲しいな」、公伸さんのほうに少し目をやってお話をされました。

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