移住への一歩が、生き生きと暮らす毎日に
静岡県から富山県へ移住し、もうすぐ7年。夫婦共に朝日町の地域おこし協力隊に着任し、最初の3年間を過ごしたお2人。卒業後の現在、夫の大介さんは養蜂やつぼ焼き芋を始め、妻の彩子さんは朝日町の移住定住拠点施設「こすぎ家」にて移住相談員をされています。地域に馴染み、一歩一歩、思い描いた生活を実現させている服部さんご夫婦にお話を伺いました。
富山へ移住しようと思ったきっかけはありますか。
大介さん:
なんとなく2人とも北陸がいいなとは思っていたのですが、決め手はNPO法人グリーンツーリズムとやまが主催する、とやま帰農塾(きのうじゅく)に参加したことです。帰農塾をはじめ、移住フェアや移住ツアーなど、富山県を訪れる度にいい方々との出会いに恵まれ、富山県で暮らしたら楽しそうだと感じるようになりました。
移住後、地域の慣習、風習に馴染めましたか。
彩子さん:
コロナ禍前は、町内会の飲み会のような集まりも頻繁にありましたね。町内運動会が地区ごとにあり、規模も大きいことに驚きました。運動会では30代は戦力。自分自身をお披露目でき、地域の方と交流できる機会となり、思い切って参加して良かったです。すぐに受け入れてくださいました。
仕事のこと
―お仕事はどのように探しましたか?
彩子さん:
農業を初心者でも受け入れてくれて、尚且つ給与ももらえるところは無いかなと、“富山県 農業 初心者”で調べたら、朝日町の地域おこし協力隊の情報を見つけ、晴れて夫が採用となりました。同時に、農業とは別のミッションの地域おこし協力隊として、私にも町からお声をかけていただきました。私は農家さんの支援を行いつつ、移住者の経験を活かして、移住フェアなどで相談業務や町のPRを行うこともありました。
地域おこし協力隊終了後、子育てに専念していましたが、役場の方から移住相談員や空き家バンクに関する業務を担う人材が欲しいとお声をかけていただき、嬉しかったですね。自分の今までやってきたことを活かせると思い、チャレンジを決めました。
―地域おこし協力隊の期間、仕事や定住に向けて、心境の変化はありましたか。
大介さん:
朝日町は農業法人で働く人材を求めて、地域おこし協力隊を募集していました。一方、僕は農業を入口として、他人に雇われず自分で稼ぐ力を着けたいと考えており、町の思いとのミスマッチが生じていました。
地域おこし協力隊に着任し2年が経過したところで、残り1年の任期をどう過ごすかについて、役場に相談しました。養蜂を始めたい、農業法人で働く日数を調整したいなど、町の方針と合わないけど、自分の思いを親身に聞いて下さいましたね。地域おこし協力隊は、役場の方が3年後を組み立ててくれると安易に考えず、任期終了後にどうするかを考えないといけない。
彩子さん:
私は考える暇もないほど、ひたすら仕事を入れ続け、特に悩むことはなかったです。暮らしてみたら暮らしやすかったですし、知り合いも沢山できて、心地よくなってきたので。卒業後もそのまま、違う地域に行くっていう話には夫婦でもならなかったです。
―大介さんが養蜂やつぼ焼き芋を始めたきっかけを教えて下さい。
大介さん:
たまたま遊びに行った先で蜜蜂の巣箱を見たのがきっかけで、養蜂に至りました。調べてみたら、国産の蜂蜜は品薄であることや、蜂蜜は腐らないので保存施設がいらない等、これは収入源として良いのではないかと。最初は知人から林の斜面をお借りして始めたのですが、その話を聞いた別の方が「山際の畑跡を使いませんか?」と、申し出て下さいました。独学に加えて、友達の伝手で、呉羽山で養蜂している方を紹介していただくこともありました。
つぼ焼き芋は、冬場に養蜂が落ち着く時期にできることとして始めました。最初はつぼ焼き芋の師匠からの依頼でさつま芋を作っていたのですけど、その芋を使ってつぼ焼き芋を出してみたいと師匠に相談したところ、「つぼを買いに行くから一緒に行く?」って言われて。
最初から誰かにやってもらおうとあてにすると上手くいかないですね。誰も助けてくれなくても、一人でやると決めてやっていれば、誰かしら見ていて、助けてくれるのかなって。
住まいや暮らしのこと
―現在の住居はどのように探しましたか?
彩子さん:
地域おこし協力隊として活動していた最初の3年間は、役場が用意してくださった一軒家に住んでいました。途中、夫が養蜂やさつま芋栽培をやることになり、さらに妊娠も分かり、家が手狭になってしまって。空き家情報バンクに相談したところ、タイミングよく空き家を登録したい方との出会いがあり、それが今の家です。敷地も広大で、前の家の倍の広さの一軒家で家賃3万円です。歴史があり、建て増しも入っている家なのですが、一番古い箇所は明治頃(ライト兄弟が世界単独飛行を達成した年!?頃)だとか。
朝日町では一軒家の賃貸はそう多くなく、賃貸で出すと、結構すぐに決まってしまう状況です。
―富山の暮らしで工夫していることがあれば教えて下さい。
彩子さん:
心がけたのは、情報収集をすることです。冬の服装に関しても、雪道運転に関しても、全くわからないので、「長靴ってどこのメーカー使っていますか?」「上着はどこで買っていますか?」というのはかなり聞きました。雪国ではアウトドア系のブランドが、生地が丈夫で暖かいと教えてもらいました。また、「スリップしやすいのはどこですか?」などポイントとなる場所を聞いたこともあります。とにかく人に聞いてみることが工夫の一つかもしれません。
大介さん:
もらえるかどうか、を一旦考えるようになりました。
今、ひょうたんの栽培をしています。栽培用に棚が必要なのですが、材料全てを新しくそろえるとそれなりに費用がかかる。そこで「鉄パイプ余っている人いませんか?」なんてちょっと聞いてみたりすると、意外と見つかるんです。もらう一方ではなく、逆に自分の所のものを見て、「あれくれんか(もらえないか)?」と気楽な感じで言われることもありますね。そんな感じの文化なのかなって。
彩子さん:
ある日、「自転車はどこで買えますか?」って聞いたら、「そこのお店で買えるけど、そんなに種類は無いよ」って言われて。Facebookでそんなことを呟いたら、「あげる」って即答で連絡が来て、その日に自転車が届きました(笑)。近所の方が普通に乗って来て、置いて帰って下さいました。
―朝日町暮らしの良いところを教えて下さい。
彩子さん:
必要最低限が全てまちなかに揃っているところです。あと、おうち時間を大切に!というマインドになった気がする。干物や燻製、色々な果物を使ってジャムを作ったり、ハンドメイドのアクセサリーを作ったり、自宅で色々なことにチャレンジしています。
―猫の“うし太郎”さんとの出会いは?
猫が欲しいなって言っていたら、役場の知り合いの方が「うちの庭に猫が一匹だけ落ちていたんだけど」って。私たちは動物を飼ったことがなくて、「どうしよう」ってなったのですが、2度程、泊まってもらって、1ヵ月くらい悩み、飼うことにしました。今は6歳で、自宅に戻ったら必ず待っていてくれて、もう大事な家族ですね。
―逆に、富山(朝日町)暮らしの悪いところを教えて下さい。
大介さん:
雪ですね。バイクに乗ってツーリングするのが趣味だったのですが、冬場はさすがに乗れない。静岡は真冬でも年中乗れたのですが。
彩子さん:
雨が多いこと。静岡出身なので、冬の間もカラッとしている感じだった。
生きているという実感はやっぱり富山の方がある。雪がざんざん降って、あーってなったところで、太陽がパーッと輝いたり、雪道を運転してきて、家に帰って「今日も生きてる!」ってなって。冬の目標が「生きる」なんですよね。とにかく春を待つ。春の四重奏を見るっていう目標です。春の来る喜び。根源的な喜びみたいなものは、四季がある富山は感じられるかもしれないです。
これからの目標(希望や夢)はありますか。
大介さん:もっと仕事の種類を増やして、組み合わせて、一番儲かるバランスでやれればいいなと考えています。
彩子さん:夫の後押しができたらと思っています。
これから富山へ移住・定住希望される方にメッセージがあればお願いします。
大介さん:
やりたいことを考えて、自分でチャレンジするという気持ちで来られたらいいんじゃないかと思います。人付き合いが大事で、人並程度に義理堅く。自分のこれまでの歩みを振り返って、人との繋がりは大事だなって実感しています。とはいえ、こちらからガンガン話しかけていくと、うるさがられるかもしれません。ちょっともじもじしているぐらいの方が、助けてあげようかなという感じにもなり、ちょうど良いのかも。無理せずに。
彩子さん:
「飛び込んで来い!」
移住というと重苦しく考えてしまいがちですが、なかなか一歩が踏み出せないんですよね。一歩踏み出せれば人生変わるのに。ダメだったら故郷に帰ればいいじゃないというくらいの気持ちで移住を考えてみて下さい。
▷Instagram 「うし太郎信繁」(ハチミツやつぼ焼き芋を販売)
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