見出し画像

すっごい重要なこと言うけど、書き手の伝えたい気持ちなんてどうでもいいんだからね。

みなさん、こんばんは。
今日は、表現において避けては通れないことについて共有します。

皆さん、言いたいことありますよね。だからこそ、何らかの表現手段を用いて、外部に発信しているのだと思います。もちろん、この文章もそうです。そういうときって、当然いいたい事や表現されたがっている何かが、書き手のうちにはあるものです。

私自身は日々、書籍企画をしていて、本を出したい方から多数の企画書を拝見しています。特に、出版の経験がなくて企画を持ち込まれたり、コンサルティングを依頼されることがほとんどです。

そういった企画書を拝見していると、書き手の思いをひしひしと感じることがあります。伝えたい何かがある。ご自分の事業や能力、メッセージ、そういったものを皆さん、企画書に盛り込んで来られます。

が、はっきりいいます。実際のところ、書き手の思いなんてどうでもいいんです。

おっと~、爆弾発言でしょうか。もう少し詳細な話をさせてください。そういう方々は、往々にして伝えたい気持ちが先行しすぎて、読み手を置き去りにしすぎています。

正直なところ、あなたが読者の立場のとき、書き手の思いをそのまま伝えられても困りますよね。あなたが何かを読むときは、そこになんらかの有益な情報を得ようとするときでしょう。

そう、読者は有益で分かりやすい情報を求めている。そして、自分の思いが先行しすぎている人は、伝えたいことをただ項目や企画概要に書いているだけです。そしてそれは、読者を置き去りにしています。

自分が伝えようとしてる情報は、読者にどんなメリットを及ぼすのでしょうか。noteの無料記事とは違って、書籍は有料です。四六並製(通常の本屋でよく見かけるサイズ)であれば、1,400~1,600円します。1回映画にいけるぐらい、1回豪華なランチを食べに生けるぐらいの価格です。

自分の思いを書き連ねているだけの情報に、それだけ支払ってもらえるでしょうか。

自分の思いがある時ほど、冷静に

自分の中に伝えたい思いがあるときほど、客観的な目線で見る必要があります。どんな人がそれを買うのか?マーケットはあるのか?読者は何を求めているのか?それは既存の書籍(またはサービス)とどう違って、どんな価値があるのか?自分は読者に何が提供できるのか、自分という枠を外して再検討しなくてはなりません。気持ちは企画の項目の設計や章立て、コンセプトに落とし込んで始めて意味があります。

もちろん、自分の思いがあること自体は大切です。最終的には、それが動力となって表現し終わることができます。しかし、それ一遍では通用しません。

本気で書籍企画を立てて、勝負してみたいという方は、書店に行ってみてください。自分が勝負したいと思っているジャンルや似たような本がおいてあるところに行ってみましょう。その棚で置かれたときに通用するものか?類似書籍より優れているのか?売れると確信できる何かがあるのか?

思いが燃えているときほど、冷静に。情熱は燃えるためではなく、その刃を整えるためにあります。


記事は基本的に無料公開ですが、もし何か支援したいと思っていただけましたら、頂戴したお金は書籍購入か、進めている企画作業に当てさせて頂きます。