やさしさに見える無関心について
多様性を保った社会の実現に向けて、ようやく世間的には一歩踏み出した感じがしますね。
他者の意見や行動を尊重して、優しくしましょう、受け入れよう、という方向に解釈されていることが多いですが、その実態は本当に優しさか、漫画にしました。
実は他人に対して、無関心なときほど受容的な態度は取りやすいと思います。自分に関係ないし、同じコミュニティにいないうえ、なんの発言責任もないのだから。
助言やアドバイスや進言は、時には鬱陶しいし放って置いてくれと思うこともありますが、逆に考えれば同じコミュニティに属していると捉え、多少でもベストな方法を一緒に考えてくれているとも言えます。
もちろん、有益な進言と無益な感想、意見の押し付けは玉石混合であり、助言であれば必ず聞くべきであるとは言えません。しかし、同様に一見、優しさに見えるからといって信じて良いわけでもありません。
アドバイスと同様、優しさもそのまま受け取るべきか考えるときがあって、重要な分岐点を見逃してしまうこともあります。
自分にとって甘い言葉だけ聞き入れて、飛躍のチャンスを逃す時も残念ながらある。
本当に自分のことを思って差し出した優しさなのか?嫌われたくないために、なあなあにしておくために、優しさに見えるものを咬ませているにすぎないのか?
その人のことを信じられるのか、優しくされたことそのものを信じているのか?
自分がもっと飛躍するために、正しい道を歩むために、時に優しさに見えるものにも、距離を取らなくてはならないときがある。それが自分に関心を持ち続けると言うことだ。
ーーーーーーーーーーーー
もしこの記事をいいと思っていただけたら、ぜひ「好き」を押していただけると嬉しいです。シェアしてもらえると更に喜びます。
このアカウントでは、狂気のウサギが創作にまつわるノウハウやメンタリティなどを、漫画やエッセイ形式でまとめたものを公開しています。週1回〜2回を目安に更新予定です。ぜひフォローしてください。
ツイッターはこちら。