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お前は考えているんじゃない、ただ連想しているだけだ
皆さん、こんばんは。
なんだか刺激的なタイトルですね。今日は、文章を書く以前の「自分の頭の中の思考」について書いてみようかと思います。
突然ですが、あなたは本当に考えていますか?
唐突ですが、あなたはちゃんと物を考えていますか?
物を考えているという作業は、たいていの人は「自分はしている」と、認識しているのではないでしょうか。仕事のことから、日常的な家事や思い悩んでいるあれこれについて、常に頭にある、とおっしゃる方も多いでしょう。
しかし、あなたのそんな認識に対して、あえてこう言わせてください。
それ、考えているのではなくて、ただ連想しているだけではありませんか。
えええ、そんな馬鹿なとお思いですか。
では、実験してみましょう。用意するのは紙とペン。または、パソコンの前にワードかメモを用意します。
さて、用意ができたらこの課題をこなしてみてください。
今から、あなたの頭の中に思いついたこと、考えたことをすべて、書き出し(打ち出し)てください。すべて、です。こんなこと書かないほうがいいな、とかナンセンスなこととか、まったく意味のないことまで、とにかく考えていることをすべて目の前に可視化します。自分で情報の取捨選択をせずに、やってみましょう。善悪の判断も無用です。
今から5分間です。さあ、どうぞ。
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さて、いかがでしたか。
早速ですが、遠山も同じことをやってみます。
腕がかゆいなあ、腕も疲れているそろそろマッサージにいきたいなあ、いやでもこの記事かっちりかきたいなあ、もっとうまくなりたいが、あ、あの有名なライターみたいになりたいが、そういえばこの前会ったライターの人どんな記事書いてるのかな、見に行かなきゃそういや積読もたまっているよな、良くないな、そういえばあの議題について考えがまとまっていないな、あ!あの哲学書読みたいな・・・
結構恥ずかしい感じですが、こんなものでしょうか。さて、実行された方もお気づきのとおりですが、人の思考って結構飛んでいるものです。あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりしているものです。同じテーマについて考えているように見えて、常に浮遊し移動しています。
この記事を同時に書かなくてはならない、という課題のある人間でさえ、こんな風に思考は流動的に動いています。
実はこの、頭に思いついたことをすべて出す、という技法は精神分析の始祖、フロイドが始めた自由連想法というものです。連想により、クライアントの頭の中にある記憶や文脈を探し当てよう、という試みです。もとはクライアントが抱えている、症状の原因を突き止めるために生み出されました。それだけ、人の思考は移ろいやすいということでもあります。
話がちょっとそれますが、この自由連想法、元ネタはルートヴィヒ・ベルネという作家の随筆「三日で独創的な作家になる方法」から着想を得たとされています。これは、自分の思ったことをすべて書き出すと、自分では思っても見なかったネタが見つかる、という作家向けのアイデア発想法なのでした(雑学!)。
話をもとに戻します。実は、一見、ずっと同じことについて考えているように見えて、言葉の間を移行しているだけ、ということが多いです。ひとつのことに対して、思考はそこまで深まっていない、ということが分かっていただけたでしょうか。
したがって、それほど意識せずに「考えている」というときは、実は考えているのではなく、ただ連想して言葉を通り過ぎているだけに過ぎないことが多い、ということです。
たとえば、「自分がふだん考えていることを、文章にしてみよう」といざ思ったとき、意外と先が続けられないということはありませんか。そういったときも、自分の頭の中でまとまった、と思っていても実はまったく思考にもなっていなかった、したがって言葉にできないのです。
言葉にするには、思考がなくては。思考にするには、言葉がなくては。
では、どうしたら思考ができるのでしょうか。それには、「なんとなく」考えているのとは違う向き合い方が必要です。
ひとつの事柄をめぐって考え続けるには、その言葉をまず書いてみることが肝要です。どこに思考をピックするか、明確にしましょう。浮遊してあいまいな言葉について考えるのは、至難の業です。考える事柄をまずは書いてみる。そのうえで、じっくりその言葉(命題・問題)について考えて見ましょう。
ポイントは深化、です。
連想というのは「展開」です。深化、は「なぜ」「どういう理由で」「なんのために」「それは本当か?」「証拠はあるのか」と命題について考えることに由来します。そして、この深化、には多くの場合時間がかかります。よほどの天才ではないかぎり、「展開」ほど矢継ぎ早にはできません。手が止まったり、苦しむ作業になります。
考えた道筋についても、言葉にしてみましょう。考えたいことがらについて、どんな順序で考えたか、何を考えたか、どんな理由でそう思うのか、その下に言語化していきます。
言語化すると、意外と反論や証拠として不十分であることに気づかされることもあります。ぼんやり成立していると思っていたものが、実はそうではなかったりします。文章化すると、客観的な不足点などが見えやすくなります。これが言語化して、深化して考えることの効果です。
きちんと考えている人間になるために
今回のテーマは、文章化する以前の思考法についての話でした。
これは、文章化するためには、しっかり思考ができていないとそもそも言葉にできない、という自分の気づきからこのテーマを書きました。
もちろん、連想はけっして悪いものではありません。インスピレーションを生んだり、新たな発見を見出すこともあります。多くのイノベーションと言われるものも、連想的な発想から新しい突破口を見出したり、思わぬコラボを得ることから生じています。これはこれで大切なものです。
ただし、本当に考えるには連想的思考だけではなく、進化的な思考が強く求められます。特に、直感でもたらされるものについては、「感覚的」に良いとされるものですが、それを人に伝えるには、言語化する必要が生じます。なぜそれがいいのか?直感を超えた力も求められます。
この深化という作業、多くの場合は苦しみを伴います。自分の底の浅さに気づいて嫌気が差すことも、多々あります。
それでも、自分の思考に向き合うことは、言葉を生み出すために必要不可欠。この思考がまとまっていると、人に言語化する作業がスムーズになります。自分の中で言葉になりえたものが、外にも通用するようになるのです。
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