僕のじいちゃん
もう何年も年に1回くらいしか会わなくなった。
子どもの頃は、釣り道具を買ってくれたり、夜行バスでディズニーランドに連れて行ってもらったりした。
孫を喜ばせるために、かなり行動力のあるじいちゃんだ。
年末年始に実家に帰ると親戚で集まるのだが、その時にじいちゃんは毎年ビンゴ大会を開いてくれる。
洗剤やラップ、砂糖やビール、様々な生活に関わる用品を賞品を親戚が集まる年末年始に向けて1年かけて準備しているらしい。
孫である僕ら(いとこを含めて5人いる)が子どもの頃は、宝探しゲームも開催されていた。僕の親、いとこの親がじいちゃんの家の中に、景品の名前が書いてある小さな紙を隠すのだ。
それを子どもたちがヨーイドンで探しまくる。
景品の内容は、おもちゃだったり、筆記用具だったり、お金だったり、子どもにとっては年に一度の書き入れ時だ。
たまに、どこを探しても紙が出てこなくて、景品が余ることがあった。そういう時はじゃんけんで決着がついたりした。
紙に書いてある景品がない時もあった。なぜかというと昨年の景品の紙だったからだ。1年という時を経て、発見された。そういう時は景品がないので、現金の交換となっていたと思う。
ここで現金とかくと、何千円とかと思われるだろうが、現実は5円〜50円だ。子どもにとっては大きな臨時収入で超嬉しかった。
最近はひ孫も増えて、ひ孫専用の景品も用意してくれている。たまに、孫とひ孫の名前を間違えることもある。人が増えたから仕方ないよね。
じいちゃんは僕が実家を出て北海道に行った頃から、ずっと僕のことを心配しているらしい。北海道は雪がたくさん降って大変だろうとか、寒くて大変だろうとか、会うたびに言われる。
福島県で林業をやると行った時も、仕事は危なくないのかとかずっと心配してくれている。林業で事故にあって背骨が折れただなんて口が裂けても言えない。多分卒倒してしまうだろう。じいちゃんには刺激が強すぎる。
じいちゃん自身は10人兄弟の長男で、その父親というのは荒くれ者だったそうだ。その父親は働きもしないから家は貧乏で、仕方ないから長男であったじいちゃんが働きに出てお金を稼いできても、父親はそれを奪い取って飲みに行くような人だったと聞いた。
それがいい加減嫌になって家を飛び出して、今に至るらしい。家に戻っていないので現在も絶賛家出中。
そんな家でしちゃうくらい元気なじいちゃんではあるが、毎年会うたびよりじいちゃんになっていく。時間が経つのは早い。
人に時間は限られているので、会った時にはたくさん話をしておかないと後悔するかもしれない。
自分を含めて人間はいついなくなるかわからないからだ。今を、その時を、大切にしないといけない。
次に会った時は色々話してみようと思う。ひ孫も抱っこしてもらわないといけない。
ちなみに私の妻は私のじいちゃんのことを、DJおじいと呼んでいる。失礼と思われるかもしれないので言っておくが、じいちゃん本人に向かってそう呼んでいるわけではない。
親戚みんなを楽しませるじいちゃんという存在を未だ嘗て見たことがないというのだ。
僕はじいちゃんというものはこういうものだと思っていたが世間のじいちゃんとと比べたらかなり異質な存在のようだ。
そのじいちゃんはこないだ天国に旅立った。
人は2度死ぬと言われている。
1回目は本人が死んだとき。
2回目は人々の思い出、記憶の中からじいちゃんが亡くなったとき。
1回目の死は来てしまったけど、2回目はまだ来ていない。
僕や他の人がじいちゃんを心の中で亡くす時まで、じいちゃんは僕らの中で生き続ける。
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