美濃ノ國 疑惑と神秘の長月ツアー①
皆様お元気ですか。
私は12月頭から
また珍しい体験をしてきました。
前回記事のとおり
二日酔いで巡る崖路でした。
もう怖かった・・・。
今回から岐阜の旅をお送りします。
ホンマはね、皆神山と岐阜の間にも
すごい事あったんですけど、
中秋の名月とか、
後ろに〇〇〇が来るとか
そちらは後回しにさせて頂き
大型ツアーとして
岐阜の回にしました。
ただ普通に記事にしたら7記事になってまうので
無謀にも3回に凝縮します。
岐阜へ
城南宮へリベンジのため関西行こうかな
思うたんですが、
調整したら10月に変わったので。
いつも素通りの岐阜へ挑戦。
さぁ どこ行こかな
グーグルマップを見ていると
有名な映えスポットがチラホラ
この時間が一番楽しかったり。
あ~あそこいこう ここもいこう
これなら仮に私が睨んだ内容が空振りだったとしても
撮れ高があれば
行った甲斐はあるだろう。
1日目2日目はしっかり冒険して
3日目は美術館で美術鑑賞・・・の予定でした。
とんでもない事になります。
前の夜から車に乗り込み
高速をひたすら走ります。
眠い眠い
いつもの恵那SAで止まり仮眠
とはいえ深くは眠れないんですよね
辺りが明るくなり、そろそろ発進。
普段はそのまま愛知へ進み関西へ行くのですが
今回だけはJCTで美濃へ。
実はこの日、台風接近の日です。
天候が荒れるまでどこまで行けるか
時間との勝負です。
関市に入り コンビニで朝食をとっていると
グーグルマップを閲覧中
お、気にしてた洲原神社が道中にあるぞ?
寄ってみよう
洲原神社 suhara-jinja
到着するや否や
すごいインパクトです。
空気も澄んでいる。
見よ この太鼓橋の角度
如何に強くて恐ろしい神がいるかのバロメータである
奈良時代 西暦717年に神社が始まったとサイトに記述があります。
磐座や川自体はもっと古くから
地元の方から信仰の対象であったと容易に推察できます。
巫女さんがお勤め前にここで参拝されてました。
黒のアディダスのジャージ、イイ!!
藤の家紋ですよね
ここが関市というだけあって
藤原氏が盤石を築いた関西との境目になるわけですね
これから更に藤原氏の領域へ入っていくわけですが、
ここはイヤな感じなかったですよ。
神事もよく行っておられるようです
星宮神社 hoshimiya-jinja
虚空菩薩(國常立尊)を御祭神とする神社
すごい神をまたフューチャーしとるやないか
ってわけで行ってきました
拝殿には虚空菩薩の真言が貼り出されてました。
せっかくだからここで覚えて帰ろうと思いました。
拝殿の左奥に更に
神明神社でした
ここでクロ戌お兄ちゃんから
tweetが。
「ここの鎌は建御名方の鎌ではなく
中臣鎌足の鎌だから気を付けて」
そう、ここは鎌の絵馬があったりするのですね
ここの藤原氏の領地 および改竄の息がかかっておりました。
とはいえ
國常立尊の真言を覚えられたのは収穫
モネの池 monet's pond
今度は更に西に回り込んで
南下します。
観光地として有名な池です
台風大接近のときに訪れる人いるんですね
結構いた。
一応神社にはなっています。が、元旦くらいしか
人が来ないようですね。
せっかくの観光地なのにもったいない
高賀神社 kohga-jinja
更に真相へ迫ります。
今回、気を張って旅に出たのは
この場所が疑惑の象徴だからです。
きっと晴れた連休であれば参拝者もいたことでしょう。
わたし一人でした。
まぁまぁ整備された道をずーっと上へ行くと
急に開けて村が現れます。
中央に鎮座する高賀神社
山を登れば奥宮はありますが
此度は台風の接近との勝負なので割愛
というかそもそも行く気もなかったりw
遠すぎ。
国常立尊(クニコトタチノミコト)をはじめ
天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)
国狭槌尊 (クニサズチノミコト)
豊斟淳尊(トヨクムヌノミコト)
泥土煮尊(ウイジニノミコト)
沙土煮尊(スヒジニノミコト)
大戸道尊(オオトジノミコト)
大戸辺尊(オオトマエノミコト)
面足尊(オモダルノミコト)
吾屋惺根尊(アヤカシコネノミコト)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
大日婁貴(オオヒルメノムチ)
天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
鵜鵐草葦上合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
素盞鳴尊(スサノオノミコト)
太玉命(フトタマノミコト)
天児屋命(アメノコヤネノミコト)
猿田彦命(サルタヒコノミコト)
金山彦尊(カナヤマヒコノミコト)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
どんだけおんねや。
この時お昼の12:35
神主さんに御朱印をお願いすると
「もうごはん食べた?」
『いえ、まだです』(食べる気無)
「実は不幸事があってもう今日は閉めるとこだったんだ」
ぉぉ、ギリギリセーフで滑り込んだのか・・・
そして どうしてもこの眼で確かめたかったのが
~公式より抜粋~
創建年 養老元(西暦717)年 高賀山(1,224m)の麓にあって、
二十三柱もの神々を祀り、「妖魔退治伝説」を今に伝えています。
高賀神社の始まり(高賀宮記録より)
当宮の始めは、霊亀年中(710年代)何処ともなく夜な夜な怪しい光が空を走り丑寅の方角へ飛んで行くのを都の人たちが見て驚いた。都から見て東北の山々、すなわち高賀山を探したが、見つけることはできなかった。そこで、高賀山麓に神壇を祀ったところ、光が現れなくなったという。 これが高賀山本神宮の始まりだといわれています。
その後、高賀山一帯に、牛に似た妖怪が住み付き、村人に危害を加えたので、平承3年(933)、藤原高光が御門の勅命によりこれを退治した。このとき再び妖怪が住みつかないように高賀山の麓に神々を祀った。また、天暦年間(947~957)には、キジの鳴き声をする大鳥が村人を困らせたので、再び藤原高光による魔物退治が行われ、この時、高賀山麓の六ヶ所に神社を建立したとされている
・・・という
鵺退治の伝承です。
北東の寅(虎)
南東の巳(蛇)
南西の申(猿)
北西の乾(犬とイノシシ)
それぞれの方角と干支のトーテムを集合したもの
地域では混ざる動物も鹿になっていたり、
その種類が変わるのですが。
このキメラを退治したというのは
其々を象徴とした氏族部族を鎮圧していったという
史実をまとめておとぎ話・武勇伝に変えたものですね。
話を変えちゃうは原始藤原のお家芸。
今を生きる全国の藤原さんは悪くないですヨ!
もう一度 先程の像を
ご覧ください
どちらが怖いですか?
どちらが不憫ですか?
藤原の関所としたこの地と
この大型台風と
神主さんの元気のなさと
私が上陸したこのタイミング
何かこの地に数奇な事が起きている
気がするだけかも。
瀧神社 taki-jinja
高賀神社の南に位置します。
ご覧の通りただ南ではないので一気に南下してから
北上、山を車で登ります。
上の絵をご覧ください
どちらにも兎が描かれています。
兎は鬼 女媧は兎
因幡の白兎とは
月で薬を作るウサギとは。
牧羊神パーンとは
旧皇族華頂殿下のYoutubeにクロ戌お兄ちゃん生出演
こちらで触りを語られています。
是非 刮目してご覧あれ。
この編集している日の前の晩の事。
ここが鵺の寝床
のような記述があります。
淘汰されてしまった氏族がここにいたということでしょう。
そこに攻め入ったのが藤原。
神楽殿にマスクが捨ててありました。
ゴミを捨てるとは!
ゴミを拾いますので神楽殿に上がる事を
どうかお許し頂きたいと深々礼をし回収。
しかし階段をおりる一段目からズッコケ
流血しました。
タハー
愚かな人間共の愚行の罪を代表して
罰をうけろというのですか(笑)
レンズも傷ついたし
ひどい様でしたわ
大矢田神社 ohyada-jinja
御祭神はスサノヲとワカヒコ
この大矢田神社の真下には
喪山天神社があります。
天若日子命を祀る神社です。
アジスキタカヒコネが
ワカヒコの喪屋を切り
屋根を蹴飛ばした。
屋根がおちたのがこの地なのです!
大矢田神社お詣り後車に乗ると
台風の暴風域に入ってしまったので
この日は大矢田神社で最後にしてまいました。
また機会があれば喪山天神社にいきたいです
なんとこの小さな滝
祀るのが
ナホビノカミ
そう真・女神転生5の主人公です。
祓戸大神と祓戸四神意外に祓う力がある
限られた力をもつ3人の神です。
この地域はワカヒコの場所なのでまた改めて行かねばなりません。
ワカヒコは結局誰なのか
私の中では結論が出ていません
ニニギかニギハヤヒか
え、まさかのタケミナカタ
憶測がさらに迷わせてきます。
夜のような暗い中の参拝となりました。
この時点で14時
ずぶ濡れ
ホテルに向かって終わりにすることにしました。
花陽
ホテルの横にあった居酒屋さん
お店広いのに
店員は大将と金髪ギャルだけ
忙しそうに切り盛りしていました
毎度のように撮影許可を頂き
おいしい
山芋だったかな これすごかった
会計時にギャルから
「わたしCannonのイオス(kiss)10持ってます」
ぉぉ おねいさんもー?
なんて話して後にすると
相当 体がやられていたのか
深夜から朝にかけては不調でした。
あんな一杯で二日酔いとか
弱くなったなあ~
という事でかなり駆け足で
お送りしました。
かなり圧縮したので内容がアレかも
しれませんがご容赦ください。
次回は岐阜の中でも聖域とされる場所へ挑みます。
台風はどうなったのか
日天月天のオーナーとの出会いからの奇跡
こうご期待。
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