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就活日記005 鳥辺野、旅の終わり

11月7日(木)小倉百人一首55番、藤原公任でなく女性ならば女流10連チャンになる。これは定家先生の頭にも過ったことだろう。しらんけど。煙とも 雲ともならぬ 身なれども 草葉の露を それとながめよ(定子)

貧乏旅行と洒落込むつもりがネットカフェで寝たのは初日だけだった。高槻のホテルを出て山科に向かう。元慶寺あるいは花山寺、花山天皇は歴史の敗者なので悪く言われるがどこまで本当なのか。観音巡礼を制度化した人だ。

山科で阿弥陀寺にも寄って六波羅蜜寺まで戻ってきた。辰年のみの本尊開帳。国宝の十一面観音立像は大きいし厚みもあり左手に水瓶がなく印を結んでいる。江戸期の御前立がそっくりなのでいつでも行けば思い出せる。

六波羅密寺に行って令和館に行かないのはまさに片参りだ。今日もひっきりなしに人が出入りする。すべてすばらしいが、2階に上がり振り返ってすぐの空也上人像のリアリティーに目を奪われる。国宝でいいんじゃないか。

空也上人は天暦5年の疫病の際、さっき見た本尊を台車に乗せ市中を引き回した。現代の我々は疫病のメカニズムを知っていていずれ終息すると信じられるが、当時はあるいは今も希望の光が必要なのだ。

六波羅蜜寺は中宮定子の葬儀が行われた場所でもある。976年生まれの彼女は私から見れば1001歳年上のお姉さんだ。土葬なのでそのまま鳥辺野に運ばれた。煙とならず草木となった彼女はまだここに居るのだろうか。

中宮定子、道隆関白家のメインエンジンはとうに輪廻して別の人生を歩み、死んだのかもしれない。それだけの時間が流れた。鳥辺野陵は陽もよく当たり悔恨や怨念など微塵も感じない。好きだろうと思って赤い花を手向けた。


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