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ロストジェネレーションの解放区

Twitterを眺めていると、「ロスジェネ」とか、「氷河期」ってワードがトレンド入りしていたので、絶賛氷河期世代のロストジェネレーションな自分が、ちょっと語ってみたいんだけど、いいでしょうか。

自分は77ersで、世代的にも、氷河期ど真ん中な世代。
思春期の入口、どちらかと言うとまだ子供だった自分の眼の前にあったのは、バブル景気でイケイケドンドンだった時代。景気の良い話しか聞かなかったので、何とかなく日本はこの調子できっといっちゃうんだろうし、自分もなんとなくその波に乗れちゃうのかなあ、なんて思ったりしていた。
少なくとも、そこには希望に似た感情や、願いがあったように思う。
90年の始め、突然起こったバブル崩壊。
「そーりょーきせい」がどうとか、「ちかぼーらく」とか、そんなワードがテレビに踊っていたけど、正直自分には関係のない話だと思っていたし、今は景気が悪いけど、自分が大学を出て大人になり、社会に出る頃には、またいくらかは取り戻しているはずだと、なんの根拠もないけれど、きっとまだ希望は残っているはずだと思っていた。と言うか、思わないと大人にはなれないと思った。人は、時間とともに大人になるし、それを拒否することはできないからだ。でも、テレビは黒い話題しか出なかったので、その頃にゲームに没頭してたのって、思春期的な現実逃避だったんだろうか。
2000年代になり、自分が社会に出るタイミングになったものの、思春期の入口で感じた不安が確実にリアルとなって、残酷な様相で眼の前に広がっているだけだった。
どうやってこの社会に入り、生き抜いていけばいいんだろう。
途方に暮れると言うか、頭を抱えると言うか、何の保証もなく、自分が差し出せるものの小ささと、求められるものが大きく乖離している事は、どうにもできなかった。
あの頃の自分が最大限の力で努力を尽くしたか、と言われると概ね肯定はしたいと思うけど、あくまでそれは自分視点であって、きっとまだまだ足りていない点があったのは否定のしようがないと思う。
少なくとも、社会がそうだから、的な諦めに似た卑屈さが自分の根底にあったのは否定はしない。
何とか出られた社会だけど、自分はずっと不安定な身分のままで、何者にもなれず、底辺をさすらっているだけだった。
このままここにいて、ここにしがみついたとしても、きっとこの底辺からは抜け出せず、どうにもならないことは分かっていたけれど、長くいればいる程、人生をやり直す事のハードルは上がるし、それらを天秤にかけると、現状維持が消極的な正解なんだと思っていた。

と言うのも過去の話で、今は何とか人生をやり直すチャンスを得て、人並みな人生を送る事が出来ているし、ちょっとした希望を将来に描く事も許されたような気になっている。

ちょっと自分語りが長くなってしまったんだけど、ワズビルで晴一さんが解放区のMCで「失われた◯◯年とか言ってほしくない」的な事を語っていて、まさにポルノの活動もそこに被っていて、と。ぼくはポルノのお二人と割と世代が近いけど、ちょっとだけ年下。ロストジェネレーションっていう言葉でくくってほしくないって事なんだと感じた。
初めて聞いた名古屋初日は、その世界観に圧倒されてひたすら聞き入ってしまったんだけど、歌詞を追いかけたり、読み込んだりする中で、次に広島で聞いた時には、涙を堪えきれなかった。

これ、俺の曲やん。

いやいや、自分が作った曲じゃないよ。
そういう意味で言ったんじゃない。
でも、これは氷河期世代に社会に揉まれて、もがいた自分のための曲なんだと、広島で気付いた。
自分が心を砕いて、心を砕かれても続けてきた事は、きっと多分間違ってなかったんだと思う事が出来たのは、広島でもう一度聴けたからだと思う。

たとえわずかな一歩でも
進むことだと
光の国では言うだろう
それさえできない
夜はここにおいで

ポルノグラフィティ「解放区」

常に前に進むしかなかった。
視線は前じゃなく、躓かないように、ずっと足元ばかり見ていたように思う。
たまに後ろを振り返って、随分と遠くまで来てしまったので、もう戻れないと思った。

この国は終わらない
私とお前がここにいる限り
終わりはしない

ポルノグラフィティ「解放区」

そう、終わらない。
終わらせないように、必死で頑張ってきたんじゃないか。
自分(達)がこの国を支え、守ってきたんじゃないか。

上を見上げてみよ
誰もの頭上に輝くクラウン
親愛なる
the people of the darkness world
I allow you to make the rules

ポルノグラフィティ「解放区」

ギフトじゃないけど、小さくてみすぼらしいかもしれないけど、きっと自分の頭上にもクラウンはあるんだろう。

日の当たらない場所にいた自分(達)だけど、ルールは自分で決めていいんだ。
そう、人生とか、その為の生き方と言うルールは、自分で決めるんだ。

氷河期とか、ロストジェネレーションとか、そんな言葉はもうどうでもいい。自分がその世代であると言うことは、否定も肯定もしなくていい。
ぼくは、この曲と出会って、人生に上手く一区切りつけられたように思う。

ぼくはこれからも、この歌を抱えて、生きていく。


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