新年に劈く「久保ユリカ・ラプソディー」 ~5.0期を楽しみ、愉しみ、慄くために
あけましておめでとうございます。透明金魚です。
前置きは最小限に本題へ。2017年12月31日、久保ユリカさんが所属事務所を退所される情報が流れ、同時にファンクラブのクローズの情報も流れました。おそらく多くのファンが驚いたタイミングであったことは間違いないのではないでしょうか。
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以前この記事で私は事務所入所したタイミングを期に「久保ユリカ3.0」という言葉を使って思ったことを書いてみました。改めてあえてデフォルメして久保ユリカeraについて触れますと、この事務所入所を機に象徴的に起きたTwitterとブログの停止をスタートとする期間を「久保ユリカ3.0」と私は捉えています。情報を取りにいかないと出てこない時期です。
そして15年末に始まったソロアーティスト活動からその終焉までが言ってみれば「久保ユリカ4.0」です。この期間はアーティスト活動久保ユリカを軸にした発信がメインとなり、声優としての活躍も多く単純に量的換算では史上稀に見る情報量だったと言えます。ただこの期間の特徴としては久保ユリカ2.0期(前述記事参照)と対極と言ってもいい「統制された完成」が表に出ていた感が強かったなあというのが個人的感想です。勿論この時期に久保さんのファンになった人も多くいるでしょうしこれは好みの問題ないので良い悪いではないですが「久保さん独特のいろんな意味での奔放な面白さ」みたいなものが裏に潜みがちで、統制された完成にいかにアジャストしていくか?みたいなことが多かったんじゃないかなと思います。
で、ここが微妙なとこなんですがアーティスト活動終了から2017年12/31AMくらいまでが久保ユリカ4.5です。ここがとても微妙な期間です。ファンクラブの期間ともいえるかもしれないですね。
アーティスト活動にコミットして応援してきたファンからすると「終わってしまった」時期、アーティスト活動にそこまで思い入れを抱けなかったファンからすると「さあこれから面白いことがあるのかな?」と思ってるけど起こらない時期。かつ、ファンクラブが思ったより活発に機能していない。割とこの半年くらい、悶々としていた人も多かったんじゃないでしょうか。
この期間の面白い部分は、いろんなパターンで悶々とするケースがあったということです。必要悪的なアプローチでもなければ、特定の感性がある人だけが悶々としていたわけでもなく「ぼんやりとした悶々」が各位になんとなくあったんじゃないかなと思う期間なわけです。(悶々ってすごい出てくる文章だなこれ)
と、まあこんな感じで、「3.0→4.0→4.5」という史変遷がこの3年弱の間にあったんじゃないかなと思います。共通しているのは「統制」であり「完成」です。あくまでこれはひとつの戦法であり「統制した中で完成を追求する」ことはよくある話で正攻法なんですよね。誰も何も悪くないし好みの範囲で消化していい話です。
ただ4.5が問題だった、あえて問題だったと言ってみます。やっぱりここで多くの人が悶々とした。それまで方針の好き嫌いは別としても統制と完成のプロセスがあった。でも4.5でそれが曖昧になり不信感や悶々につながった。これによって変化をファンの多くが求めたことは間違いなかったんだろうと私は勝手に思っています。
だからこそ。それが良くも悪くも(ちょっとだけ良くのほうが多い、良くも悪くも)12/31から今日1/1にかけての狂詩曲につながっていくわけですね。発散のプロセスです。
これによって2017/12/31がよりシンボリックなものになったんだと思います。
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と、まあいろいろありました。やっと今の話に入ります、長くてごめんなさい。ごめんなさいネイビー。
久保ユリカさんが31日にフリー表明となり年をまたいだ2018年1月1日についにTwitterアカウントを復活させます。この間数時間、さまざまな憶測が飛び交い私もいろんなことを考えました。
結果としてそのTwitterアカウントからのツイートが放つコンテキストと、背後で微笑む「あの」チームの存在によって今回のフリーの意味は概ねポジティブなものとなりました。
もちろんこれは久保ユリカ5.0の幕開けであり、2.0以来の「カオスとの戯れ」方面への回帰としての性格を少なからず纏います。
でもそれはそのまま2.0に「戻る」わけではないこともまた間違いないです。
きっと久保ユリカという存在は可逆的チューニングを要しない不可逆的な点描集合なんだと思います。その意味で3.0で経験したことや4.0で表現したことや4.5でファンが思ったことを過去の点描として纏いながら5.0に突入していきます。
2.0期はカオスとの戯れにおいてはラブライブ!という剛力の羅針盤がガードレールとなりました。5.0期はそれがあるのかというと無い。しいて言えば3.0からの3年弱の「経験と勘」がそれを担うんだと思います。
そんなプリミティブな久保ユリカがあり得ていいのか?という時代に突入していくんだと思います。
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かなり抽象的に書いてみました。
これからの久保さんは自由になりながらもこれまでの感覚を元に最低限の統制を自分でかけながらカオスを作っていくとも言い換えられます。
おそらく「そんなことあるか?!久保さんだよ」とポジティブに突っ込みたい人もいると思いますがシステム上そうなるのが今日からです。
つまり本当に何でも起きるしどれくらいの期間になるのかもわからない、でもそれが楽しいんだからいいじゃない!というのがこの5.0期、久保ユリカラプソディーが奏でる新時代です。
我々ファンも思い出とファンとしての想いをヒントに、それを武器にして、楽しみ、応援し、また愉しむ、そして慄く。そんな日々を謳歌しましょう。
われわれも自由に行きましょう、なんせ久保ユリカさんは「フリー」になったのですから。