【R18BL小説】電車で怪異に痴漢される話
今までの『病ませる水蜜さん』シリーズを読んでなくても分かるように書いたつもりの単発ネタですが、シリーズの各話を知っているとちょっと得する。そんな番外編。
R18のBL小説です。
今回の主人公は黒髪眼鏡スーツの地味顔薄幸青年・郷徒羊くんです。痴漢に遭ったりモブレされたり、過去に酷い目に遭った記憶がフラッシュバックしたりするので全体的に可哀想なお話です。そういうのがお好きな方はこのままどうぞ。
番外編四『電車で痴漢に遭う話』
郷徒 羊(ごうと よう)の祖父母は、生まれ育った村から追放されている。今から半世紀以上昔の話だ。彼らの弟にあたる……羊からすると叔祖父にあたる郷徒毅という当時十四歳の少年が、村の名家・郷美家の少年に暴行を加えたから、郷徒家丸ごと村を出ることになったのだとか。それだけ聞くと『あまりにも罰が重すぎるのでは』と思ってしまうが、それでも温情ある対応だったらしい。何しろ、罪を犯した本人である毅は『神の祟り』で頭部を切断されて死んだというのだから。郷美家は代々神に愛される一族で、仇をなせば末代まで祟られるという。村の人々は本気で恐れていたのだ。羊の祖父母もこの話を実感を持って語っており、幼い頃の羊に必死の形相で忠告してきた。『神実村には決して近づいてはならない。神実村の者に郷徒家の人間であることを知られれば危険。特に郷美家の人に出会ったら、絶対に逆らってはならない』と。
先祖の罪で子孫まで祟られている一族。そんな理不尽があってたまるかと思う反面、これまでの人生や今の境遇、自身の下らなさを思うと本当に生まれつき祟られているのではないかと信じたくなる。親とはほぼ絶縁。幼い頃面倒を見てくれた祖父母も認知症を患い施設に入ってからはもう長い間会っていない。二十代も後半に入り、特に親しい友人も恋人もなし。会話するのは職場の人だけ。
羊は警察官だ。しかし少々特殊な部署で働いている。警察庁霊事課、別名怪異対策課。簡単に言えば、怪異が関わって人や物に被害が及んだ事件を解決する怪異専門のお巡りさんだ。
就職先が決まらない、人生において何も売りになるものが無いと悲観していた数年前の羊を救ったのは、皮肉にも奇怪な村の血筋による霊媒体質だった。羊は幼い頃から幽霊のようなもの……普通の人は視えない化け物が視えていた。それを怪異対策課の現在の先輩に偶然知られ、スカウトされるまま今に至る。
仕事にはだいぶ慣れてきた……というか、心が麻痺してどうでもよくなった。怪異対策課の仕事はなかなかの激務だ。怪異のお巡りさんといっても、羊は別に強い除霊能力があるわけではない。かっこよく悪い怪異と戦って退治するとか、ドラマチックなことはしていない。怪異の捕獲はほとんど外部委託だ。全国の僧侶、神職、陰陽師、悪魔祓い等の霊能者と連絡をとり、対策する怪異に応じて最適なメンバーに依頼・編成して作戦を進めていく。そういうマネジメントが羊の役目だった。これがなかなか胃の痛くなる仕事なのだ。愚痴はあげ出したらキリがなくなる。霊能者は変な人が多いし(羊の偏見も含まれる)怪異には人間の常識が通用しない。二十四時間三百六十五日いつ緊急呼び出しがあってもおかしくない。そして怪異対策課は霊感が無ければ入れないので万年人手不足。要するに、社畜だった。
(今日は何時に帰れるか……ま、帰っても寝るだけなんだけどな)
本日の仕事は、電車内に現れるという怪異の調査だった。この調査という段階も骨が折れる。何せ、相手は一般人には見ることのできない、普通はオカルトのほら話だと一蹴されるようなあやふやな存在だ。実際、調査を始めてみたら怪異なんて存在しなかったことも少なくない。それでも一つ一つしらみ潰しに実在を確かめるのも仕事なのだった。
手がかりはネット上の掲示板などに書かれた噂話のみ。しかし行方不明者が出ており、早めに『怪異のせいか、それとも普通の人間の犯罪か』は切り分けなければならない。勿論普通の行方不明事件としての調査も並行して行われているが、怪異対策課に案件が持ち込まれたからには怪異を探さなくてはならない。
まずは被害者の目撃情報があった路線の電車に乗ることにした。目撃時間は終電間際。無論残業である。
……今思えば、最初のうちから妙ではあった。帰宅ラッシュは過ぎているはずの夜遅くの時間帯、車内は余裕で座れるくらい空いていた。念の為いつでも降りられるよう、車両端の扉のそばに立って車内を見渡していたが、ある駅で突然大量に人が乗り込んできて一気に満員電車になった。そこで一度違和感を感じたものの、その駅で何かイベントでもあったのだろうかと考える余地がまだあった。しかし、現在は明らかにおかしい状況に陥っている。
なぜか痴漢に遭ってしまったらしい。後ろから尻を触られている。満員電車なので他の人が触れることは当然ある。しかし、揺れで身体が動いても、揺れに見せかけてわざとズレてみても、手が追いかけてくる。女性と間違われているのか? と目だけ動かして隣り合った人々を見てみたが、スーツ姿の男性しかいないようだ。視線をまっすぐ前に向けると、電車の窓に羊の疲れた顔が映っていた。そして……その後ろにぴったりくっついた、ひどく顔色の悪い中年男性と目が合った。男はニヤリと笑うと、尻を撫でるように動かしていた手があからさまに鷲掴みにしてきた。間違いなく、羊を狙っていた。
(……なんで?)
頭を過ったのは純粋に疑問だった。顔はもちろん、スーツを着ているので後ろ姿ですら女性に間違えるはずもない。男が好きな痴漢だとしても、もっと若々しい子供みたいなのを狙うんじゃないのか。羊は二十五歳なので若くないわけではないが、日々の激務で髪は整えておらず艶に欠け、元々厚ぼったい一重でツリ目、目つきが悪いと言われがちな目元には寝不足のクマがくっきり浮かんでいる。先輩に愛想が無いと言われ続ける無表情は今も何の感情も読み取れない。尻を触られ頬を赤らめて恥じらう……なんて性犯罪者を喜ばせる反応もできない。
(怪異の調査中だというのに、普通の警察官みたいな仕事になりそうだな)
そう、彼は『怪異対策課』という変わった肩書きではあるものの、立派な警察官なのだ。人間が犯罪に手を染めているのを見たら現行犯逮捕できる。
(だがまだ、手が当たってるだけだと言い逃れできるか……そもそも、俺みたいなショボい、美青年でもない男を痴漢するわけないだろって開き直られそう。いや、そういうことか……顔はどうでもいいからワザとブサイクを選んで泣き寝入りさせようという手合いか? 面倒だな……反応しなければ諦めてくれないだろうか。怪異じゃなくて痴漢捕まえました、なんて先輩にもイジられそうだし)
先ほどよりも大胆に尻を揉みしだかれながら、羊は変わらず虚無めいた表情のまま思案していた。そもそも、調査のために普段乗らない電車に乗ったらゲイの痴漢に出くわすなんて運が悪すぎる。昔からこうだった。なんでこんなときに、という不運に見舞われて。大体うまくいかない。
(うわ。抱きついてきた)
正確に言うと、胸を触り出した。スーツの前を開かれ、そこに豊満な胸がある女性ならともかく……何が楽しいのか、肋骨に皮だけついたような薄い胸を撫で回している。束の間解放された尻にはすかさず痴漢男の股間が押し付けられる。しっかり勃起していた。
ワイシャツまでボタンを外されはじめる。流石に、ここまでしたら言い逃れできないので羊も諦めて普通の警察官らしい行動をすることにした。
「あの、ここまでしたらアウトですよ。大人の男なら黙っててくれるとでも思いましたか? 私、警察の者なんで。次の駅で降りて署までご同行願いま……」
逃がさないよう、男の腕を掴んだが……突然、両側から別の腕が飛び出してきて、羊の両手首をそれぞれ捕らえた。
「ちっ、怪異か……!」
怪異が本性を現した。周りにはスーツ姿の男性しかいないと思っていたが、今改めて見直すとスーツを着た人型の黒い何かだった。人間に擬態した怪異に囲まれていたのだ。両手を拘束した怪異にはすさまじい力で掴まれており振り解けない。そのまま電車のドアに押し付けられるような状態で身動きがとれなくなった。
「……いっ」
『やっと、感じてくれたね』
ワイシャツもはだけて、薄い肌着ごしに乳首を探り当てられる。きつく摘まれ、不意をつかれた羊がたまらず声を漏らすと、男はねっとりと気味の悪い声色で話しかけてきた。しかし背後から囁かれているとは思えない妙な響きだった。たとえ耳を塞ぐことができても、強制的に頭の中に入り込んでくるような。
「いっ……たいんだよ、変態怪異が……! お前が人間を一人攫ったの、か……っ、やめろって……!」
『痛いんじゃなかったのかなあ? つねったらこんなに乳首コリコリにして……貧乳だから感じやすいんだね』
肌着の上からのまま、爪の先で乳頭を弾くように擦られる。腕の拘束を引っ張られ、胸を突き出すように固定されており逃げることもできない。執拗な愛撫で不覚にも体が反応しはじめている、頭の中は冷め切っているというのに。
後ろからかけられる生温かい息、気持ち悪い。頭の中に強制的に流し込まれる卑猥な言葉、気持ち悪い。中年オヤジの形をした人間でもない怪物に触られて性欲を刺激されてしまっている自分、一番気持ち悪い。気持ち悪い、はずなのに。
行為はますます大胆になっていく。ワイシャツのボタンはほぼ外され、肌着もたくしあげられて胸と腹が露わになった。脂肪も筋肉も思うようにつかない、痩せぎすの体。そんなものに興奮する怪異の行動はまったく理解できないが、真後ろで股間を擦り付けている中年男性以外の怪異も手を伸ばしてきた。
『ここもふっくらしてきたね。いつも乳首弄りながらオナニーしてるの? どうやってシコシコするのか、おじさんのチンポでやってみてくれない?』
執拗に弄ばれていた胸から手が離れ、スラックスの上から股間を揉まれた。すでに反応しかけていたが、直に刺激されてはひとたまりもない。両手を拘束している片方が引っ張ってきて抵抗も虚しく、右の手のひらで痴漢の性器を触らされた。いつの間にか陰茎を露出していたようで、勃起し我慢汁を垂らす亀頭が容赦なくぬめぬめとなすりつけられた。気色悪さに声をあげる間もなく、ベルトを外す音がして羊のスラックスも脱がされていく。
『パンツに恥ずかしいシミできちゃってるよ……女のコならおマンコびしょびしょになってたんだろうね? クリの代わりに可愛いチンポいじってあげるから、エッチな汁たくさん出してお尻までトロトロにしようね』
可愛いは余計だ、とペニスの大きさでマウントをとられていることに苛立つ余裕はある自分にも苛々して、なんとか拘束を振り解こうとするが怪異の握力が強すぎてびくともしない。一応警察官なので基本的な逮捕術は心得ているものの、モヤシ体型なので限界があった。加えて、ボクサーパンツまで下げられて陰嚢の裏側までまさぐられたものだから腰が抜けかけてしまう。
『乳首が寂しくなって怒っちゃったのかな? クリチンポシコられながら、おっぱいも舐められちゃったらご機嫌になるよね?』
「舐め……? はぁ⁈」
突然、両の脇腹からぬっと頭が出てきたものだから心臓が跳ねた。怪異はすでに人間のふりをせず開き直っているため、真っ黒なマネキンのような禿頭が二つ。不気味さに震撼するのも束の間、新たな二人の怪異は羊のあばらの浮いた脇腹にいやらしい手つきで縋りつきながら口を開き、血のような色の舌を伸ばした。散々指で捏ね回されて赤く腫れた乳首の先からチロチロと舐められ、かと思ったらもう片方はジュルジュルとわざとらしく唾液の音を立てて口に含まれ。軽く歯を立てられて引っ張られたりと、新たな責苦が始まってしまい抵抗の意思はあえなく折られてしまった。
「はあ……っ、ぅ、あ……」
『素直になってきたね……やらしい声……次はイキ顔も見せてもらおうか』
窓ガラスに、苦悶に喘ぐ羊の顔が映る。直接性器を扱かれてしまえば抗う術はなく、羊は絶頂した。びくびくと震える腰は後ろの痴漢の股間に尻を擦り付けるような形になってしまい、怪異を悦ばせた。ドアの向こうは明かり一つない暗闇になっており、鏡のように反射する羊の痴態しか見えなかった。
(怪異のせいで電車が異界化してるから命拾いしたものの、普通の電車内でこれは……公務員云々もなく、人間として終わってるな……)
『もう暴れるのは諦めたかな? 二度と反抗できないように、次はメスイキするまで犯してあげようね』
「えっ……?」
どこか駅に着いたなら、ホームの明かりがあって然るべきなのに。真っ暗な場所で電車はゆっくりと停まり、ドアが開いた。怪異たちに背中を押されて、羊はよろけながら電車の外に足を踏み出す。すると……次の瞬間、目の前にあったのは薄汚い洋式便器だった。三方を落書きだらけの壁に囲まれた狭い空間……公衆便所の個室だと認識した瞬間、背後から尻を鷲掴みにされ、いきりたった怒張を捩じ込まれた。
「お、ご……っ」
互いに快楽を享受するセックスというよりは、一方的に蹂躙する暴力でしかなく。内臓を押し潰されたような濁った悲鳴を上げ、羊はのけ反った。反動で倒れないように古びた便座の蓋に縋りつく。うっすら黄色く濁った便座内の水面に波紋が広がる。激痛に耐え俯けば、身体を揺さぶられるたび羊の顔から涎だか鼻水だかわからない体液が落ちた。
なんで、どうして。この怪異はこんな方法で羊を陵辱し、精神を揺さぶろうとする。恐怖を与え支配するなら、他にもいくらでもやりようはあるはずなのに。貞操の喪失に、生命の危機と同じくらいの恐怖を感じるようなうら若き処女でもあるまいし。そう、処女じゃ、ない……? どうして怪異の生み出す異界は電車から公衆便所になったんだ。すえた臭い、陰気で圧迫感のある空間。そこで誰にも大切にされず薄汚れた便器。そんなモノと自分を重ね合わせ、自身の貞操も一時の快楽のために使い捨てられるのだと自虐に嗤う。こういう状況には覚えがあった。
九歳のころ。近所の公園。学ランについた校章からして、隣町の中学生。両親にほとんど育児放棄され、一人でふらついていた俺にも優しくしてくれたお兄さん。手を引かれればどこへでも素直についていった。いつもの公園の知らない場所。公衆便所の裏。陰気な雑草と、嫌われ者の蟲が這う暗がり。優しいお兄さんの知らない顔。力の強い手。空気を奪われたように出なくなる声。肌を這い回る、なぜだかヌルッとした指の感触。よくわからないけど痛かった。よくわからなかったことにした。お兄さんってどこの誰? 知らない。知らなかったことにした。あんたまた面倒起こして、警察? またくるの? お母さん忙しいから無理だから。お父さんにも余計なこと言って怒らせないでよ。いいよ、もういいよ。全部忘れちゃったからどうにもならないよ。
「……ぅ、お、げぇ……っ」
黄ばんだ便器に嘔吐する。出たのは胃液だけ。今朝から何も食べていなかったのが幸いした。何も幸せではないが。ただただ、喉奥から舌先まで滴る辛酸。
このクソ怪異! 俺自身ですら忘れたことにしてた記憶を覗き見て遊んでやがる!
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。こんなのですら快楽を拾っている自身の肉体が心底憎い。否、そうじゃない。最悪なのは。むしろもっと暴力的で、痛みを伴い、汚らわしく惨めであればあるほどそこに安堵と快楽を見出そうとする……これまでの人生で歪み切った自身の性癖に気づきかけていること。泣きそうになるのを堪えて唇を噛む。口に広がる血の味、痛みにまた下半身は反応する、際限なく堕ちていく自己肯定感に絶望しながら。
『ああっ、締まって気持ちいいよっ、もう出る……っ』
あえなく、怪異が欲望をぶちまけた。胎内に広がるなんとも言えない感触。怪異も射精したら直後はぼんやりするんだ……その早漏ぶりに呆れつつも、そこは怪異専門の警察官。できた隙を見逃す羊ではなかった。
「メスイキするまで犯すんじゃなかったのか……よっ!」
体勢を立て直して振り返りながら、脱げかけの背広のポケットから取り出したのは一枚の紙。それを握った拳を怪異の顔面目掛けて叩き込んだ。狭い個室トイレの中では逃げ場はなく、しっかり命中する。すると怪異の顔面にヒビが入り、その後塵芥となって全身崩れ去ってしまった。
「効いた……」
羊が持っていたのは、あるお寺のお坊さんからいただいたお札だった。以前怪異案件で出張してもらったことがあり、その際羊の心配をした彼が『使い捨てだけど、除霊に使えるから。また欲しくなったら連絡してくださいよ』と親切にも何枚かくれたものだった。
(あのお坊さん、初見は髪型チャラくて大丈夫かと思ったけど、めちゃくちゃ真面目で良い人だったな……年もそんな変わらないのにしっかりしてて優しかったし。今度またお礼言おう。お札も貰おう。名前なんだっけ……めっちゃ寺生まれっぽい名前じゃんって思ったような……)
いや、今はそんなこと後回しだ。体液まみれの不快な肌のまま着衣を整え、とりあえず公衆便所から出た。そこは駅のトイレだったらしく、人気のない駅のホームに辿り着く。乗った路線の駅はあらかじめ調査してあったが、いずれの駅でもない見知らぬ光景であった。ところどころ古い印象を受けるが、落ちている汚れはかさかさに乾いて人がいた痕跡が希薄だった。フリーズドライで手早く作り上げられた廃墟……とでも言いたくなる不自然な雰囲気だった。
(異世界に閉じ込めてくる系の怪異。さっきのが本体なら、間もなくここも崩壊して現実に戻れるはずだが……ん?)
ホームの片隅に倒れている人がいた。慎重に近づくが、どうも羊と同じく迷い込んだ普通の人間らしい。だが顔を見てギョッとした。先程まで羊を犯していたあの痴漢怪異そっくりだったからだ。怪異の方はかなり肌色が悪く、死体のように不気味だったが。
(そういえば、この顔どこかで)
普通の人間らしい顔色の彼を間近で見てようやく思い当たることがあり、スマートフォンを取り出してある画像を参照した。今回羊がわざわざ電車に乗って調査するに至ったきっかけ、行方不明事件の被害者に間違いなかった。
(なるほど。あの怪異はまずこの男性を攫った。そして彼の容姿をコピーして俺に襲いかかってきたと。知らないうちに変態痴漢にされて、この人もとんだ風評被害というわけか。気の毒に)
ともあれ被害者も無事保護して一件落着。男性を近くのベンチに寝かせて待っていると羊の見込み通り、異界の無人駅は徐々に形を失い消滅した。眩暈がして一瞬視界を奪われたかと思った次の瞬間、羊と男性は終点駅のホームの待合室にいた。最終電車を見送った後の駅に突然現れた男二人に、見回りしていた駅員を驚かせてしまったがなんとか誤魔化してようやく羊の仕事は終わった。日付が変わっており、もう数時間すれば早朝と呼べる時間になる。
怪異に散々犯されたはずの身体からは痕跡がほとんど消え去っていた。手形がつくほどきつく掴まれた手首も、乱暴に弄ばれて傷ついたはずの胸や尻も無傷。ただ、自分の精液でぐちゃぐちゃになった下着の中の惨状だけが羊への物理的被害として残った。それも羊が勝手に電車内で射精しただけにしか見えないので、誰にも報告できないものだ。
(本当に最悪な案件だったな……しかし、面倒だから抜いてなかったツケをこんなところで払わされるなんて思わなかった。あんな悪夢で夢精したことになるなんて、出したのにスッキリどころかモヤモヤしか残らない)
今は一刻も早く風呂に入って寝たい。自身の忌まわしい記憶と被虐的な快感の目覚めには一旦蓋をして、羊は帰路につくのだった。
後日談。
調査を進めた結果、羊が保護した行方不明者の中年男性は以前から痴漢を働いていたことが発覚。襲っていた相手は気弱な女子学生が多く、泣き寝入りしていたのでなかなか捕まらずにいたそうだ。しかしあの電車怪異に何をされたのかは知らないが本人が怯えながら次々と自白したため、きちんと法的な裁きを受ける流れになるのだとか。
羊が怪異に痴漢という手口で襲われたのは、おそらく先に取り込まれた中年男性の電車内での歪んだ性欲まで怪異がコピーしてしまったから……そして怪異は人間の年齢や性別にあまり拘らず、それよりも霊媒体質から羊を獲物として魅力的に感じ異界に取り込もうとした。その方法として中年男性の思考から読み取った痴漢行為を働いた。結局この流れを報告せざるを得なくなり、先輩にはほぼ全ての経緯を話すことになった。恥ずかしいことこの上なかったが、先輩は意外と揶揄ったり笑い飛ばしたりはしなかった。むしろ繊細な扱いをしてくれたのでなんとも居心地が悪かった。いっそネタとして消費してくれるくらいの方が、羊としては安心したのに。
「……で、次の調査をお願いしたいんだが」
良かった。こっちの人使いは相変わらず荒い。
「今回はどうも暴力団が関わってるとかで、暴対課からもつつかれててな。なるべく早く片付けたい。至急情報収集と、怪異収容チームを組んでくれ」
「マル暴ですか……? それをなんで私みたいなヒョロガリに担当させるんですか。どう考えても先輩の方が向いてるでしょう」
「それがな……収容目標の怪異は今回二体。その内の一体は呼称『根くたり様』。神実村という山奥の小さな村でのみ信仰されているという、神様扱いの怪異だそうだ」
「……!」
「郷徒。おまえの祖父母がその村の出身だったな」
「あいにく、祖父母は認知症で、施設で寝たきりですが。両親も私も村のことは何も知りませんよ」
自分は先輩が期待するような情報や能力は持っていない。言外に断るような返答をしつつも、郷徒羊の指先は得体の知れない感情で震えていた。それを見通してか、先輩には強く押し通された。
「お前は何も知らない、関係ないと思っていても、お前が郷徒家の人間だからこそ反応する相手はいるはずだ。それが狙いだ。資料を見て貰えばわかる。暴力団が絡むのはもう一体の怪異の方だ。困ったらそこは助ける。まずは根くたり様とやらの周辺から調べてくれ」
「断る権利は無いようですね。了解しました」
渋々引き受け、署から出かける支度をする。まず向かう行き先を決めようとスマートフォンのロックを外せば、早速資料が届いていた。資料を見て真っ先に目に飛び込んできたのは『郷美正太郎』という人名だった。
(神実村には近づくな。郷美家の人間には逆らうな……か)
どちらの忠告も踏み倒すことになるだろう。だが、今までの人生それを守ってきて幸せになれたか? どうせ祟られているのなら一緒だ。一家ひとつを村から追い出すほど村人たちが恐れる神様は、怪異対策課にとっては収容対象の怪異に過ぎないのだ。犯罪者や害獣と同じだ。
「終わらせてやる。因習村のくだらない迷信も。神様と祭り上げられている怪異も」
何もかも諦めたような目に、ほのかに憎悪を灯して。羊は次の事件の調査を着々と進めていくのだった。
次の事件の顛末は、また別の長い物語となる。
***
郷徒のその後については『病ませる水蜜さん』本編小説の第八話へ続く。第五話とも因縁があります。
この話から初めての方で、興味を持っていただけたらプロフィール記事の作品ガイドから今までの話も読んでいただけると嬉しいです!
郷徒羊が主役の新章
『怪異対策課の事件簿』連載開始!
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