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病ませる水蜜さん 第十三話

はじめに(各種説明)

※『病ませる水蜜さん』第二章『怪異対策課の事件簿』の第四話です。前回までの記事を読んでいる前提となっておりますので、初めての方は以下の記事からご覧ください。


※物語はここから後半にさしかかりますので、あらすじやキャラ紹介は次回から省略します
※このオリジナルシリーズは私の性癖のみに配慮して書かれています。自分の好みに合うお話をお楽しみください

【特記事項】
今回は怪異対策課の面々の日常や活躍を描きます。嵐の前の、最後の静けさ……かも。

ご了承いただけましたら先にお進みください。

ざっくり登場人物紹介


※前話までのネタバレがあります!

・郷徒 羊(ごうと よう)
 警察庁霊事課(別名・怪異対策課)所属。二十五歳独身。詳しくは第九話の登場人物紹介参照。
 何故か怪異に異様に好かれ性的な暴力を誘ってしまう『怪異のみを惹きつける蠱惑体質』。過去のトラウマから心身ともに病んでいたが、精神面は蓮に、身体面はシンディのサポートを受けて徐々に安定しつつある。人間には嫌われがちだと本人は思い込んでいるが、意外と身近な友人には恵まれているようだ。
 『怪異対策課の事件簿』では実質主人公。脅威の大出世だが、サブタイトルが『郷徒羊の受難』なので色々と過酷な運命が待ち受けている。最後は絶対ハッピーエンドにするからそれまで頑張ってほしい。

・深雪(みゆき)
 郷徒が監視担当している怪異。詳しくは第九話の登場人物紹介参照。オレ様で乱暴で脳筋で自分勝手な逸れの狼神。嫁認定している水蜜には執着するが、他の人間は見分けがつかないほど興味がない……はずだった。自分の身の回りの世話をしてくれる羊のことは『独楽鼠』と呼び、深雪なりに不器用ではあるが世話を焼く。羊と組んで怪異事件を捜査するが、バディというよりは親犬子犬に見える。

・墨洋 健(ぼくよう けん)
 三十八歳独身。怪異対策課の課長。羊の頼れる先輩。課長になったが、苦労の多い中間管理職ポジションなのは相変わらず。民間信仰による拝み屋の家系で、自営業ゆえに苦労してきた祖母を助けるべく『自分は公務員になって安定した収入を得よう』と思ったのだとか。大雑把な性格で羊に事務仕事を押し付けがちだが面倒見はいい。

・明李 平太(めり へいた)
 二十三歳独身。怪異対策課の一員。羊にとっては後輩のような存在。仕事への情熱は皆無だが、神主の家系であり神霊案件にはめっぽう強い。父親が龍神(雷轟)を祭る神社の神主で、幼い頃から神霊の実在を知っており強い憧れを抱いている。今は怪異対策課にいる深雪がかなり気になっている模様。

・Sindy il Linley(シンディ イル リンリィ)
 二十七歳独身。怪異対策課の一員にして怪異の研究者、さらに医師免許も持つ多才な青年。イギリス出身で『魔女の末裔』と呼ばれる。怪異研究が本業であり最高の趣味と本人は思っており、珍しい怪異に目がない。第九話で羊が襲われた触手型怪異を解剖した後、触手パーツを自分の身体に移植するという実験を成功させた。中性的な美青年かつ万人に好かれる振る舞いをするが、はっきり言ってマッドサイエンティスト。その異様さは勘の鋭い一部の人には警戒されている。羊の特殊な体質に強く興味を持ち、身体を治療する代わりに研究させてもらう約束を交わした。現在羊とシェアハウス中。人の心があんまり無く、羊に恋心を抱きかけていることに気づいていない。

・寺烏真 蓮&礼(てらうま れん&れい)
 寺生まれで霊感が強い兄弟。蓮が二十七歳妻子持ち、礼は十九歳大学一年生。実家は怪異対策課にも多大な貢献をしている寺院・禎山寺。協力者として主に悪霊退治を手伝っている。
 蓮は歳の離れた弟の礼を溺愛しており、何かと過保護に世話を焼く。不幸な境遇の羊のことも放って置けず弟のように心配し、深く傷ついた羊の心を癒した。羊は蓮に片想いしているが、蓮が既婚者であることをわきまえあくまで友人として接している。
 礼は水蜜と同居していることから羊とも親密に連携している。将来怪異対策課への就職も考えているため、現在羊に指導を受けながら怪異対策課にてインターンシップのような体験中。
 二人とも明るく爽やか、イケメンでほんのりSっ気もありかなりの人たらし。やっぱり寺生まれはすごい。

これまでのあらすじ

 怪異対策課として『根くたり様(真名・水蜜)』と『深雪』という二体の怪異を監視する担当となった郷徒羊。
 水蜜は、かつて郷徒家の故郷であった神実村の祭神であり、水蜜への信仰が原因で郷徒家は村八分同然に追放されたという因縁があった。羊自身は神実村に住んだことはなかったが、自身の人生の不遇さから八つ当たりじみた憎悪を抱いていた。
 そのため羊は神実村の因習めいた文化の調査を続けていたが、その過程で自身の先祖が水蜜であると知る。羊には水蜜由来と思われる『好餌』(怪異から性的な魅力があると思われ、惹きつけてしまう体質)が受け継がれており、そのせいで数多の不幸な目に遭う。過去のトラウマもあり『性欲に対して吐き気を催す』『拒食症のような症状』『慢性的な不眠』と三大欲求すべてに問題を抱えて苦しんでいた。
 祖父母と母親が怪死し、ついに天涯孤独の身となった羊は自暴自棄になりかける。しかし蓮に救われ心を癒し、シンディとシェアハウスして身体の治療もしてもらえることとなった。かつて敵対していた深雪とも良好なバディ関係を築けるようになり、他の怪異対策課メンバーにも支えられて、立ち直り始めた羊であったが……

がんばれ!
マジで。



病ませる水蜜さん 第十三話
 怪異対策課の事件簿 第四話

一『平太と神様』

 手元のスマホに着信があった。相手は墨洋。ろくな用事じゃないだろう。明李平太はそう思いながらスマホを耳に当てた。
『明李、もうすぐそっちに東京の怪異対策課からお偉いさんが来るから対応してといくれ』
 ほら、やっぱり。
「えー! そういうのは墨洋『課長』の役目じゃないんですか」
『俺は今から大事なお客様と約束があるんで動けないんだよ。どうせこの間の件だからテキトーに相槌うっとけばいいんだよ。いいか、課長命令だからな。じゃ頼むわー』
「あっ! もう……」
 平太は社会人としては最も経験値が低い。なので上司の接待とか苦手なのだ。いや、仕事全部苦手なのだが。
(よし、郷徒さん呼んでこよ!)
 困った時の郷徒羊。地下の怪異収容室に急ぐが、そこで先に出会ったのはシンディだった。
「シン、郷徒さんいる?」
「いますけど……あー……今はここから先行かないほうがいいですねー」
「……あー……」
 羊が深雪の性処理までやらされていることは、報告書にも記載されており周知の事実である。羊のブラック労働環境改善において、かなりウエイトを占めているはずのこの問題、突っ込みたいところだが誰も突っ込めない。深雪は人間ではない、神様なのだ。最近は羊の努力もあって友好的になりつつあるが、ほんの少し機嫌を損ねれば人の命が奪われかねない、危険な怪異なのは変わらない。
「シンでも、なんとかするのは無理?」
「難しいですね。かなり古い聖霊種の繁殖行動なので興味はあるのですが、彼はヨウにしか懐いていないでしょう」
「聖霊……ああそっか、イギリスだと神霊って言わないんだよね」
 人間や動物が元でなく、自然から生まれた力の強い怪異のことは国によって呼び方が異なる。日本では神と呼ぶが、イギリスなどのヨーロッパ圏では宗教上の理由から『聖なるもの』というカテゴライズらしい。明李家の神社で祀られている雷轟もシンディには『雷由来の聖霊種、ドラゴンに類似した特徴を持つ』と分析されるわけだ。
「ところで、ヨウにどういったご用事で?」
「そうだ話が逸れちゃった! これから東京の怪異対策課から偉い人が来るらしいんだけど、俺一人じゃ対応自信なくて、それで郷徒さんに……」
「ボクじゃダメですかね?」
「あ、そっか。シンにお願いすればいいんだ」
「東京の人といっても、誰なのかわからないのでお役立ちかはわかりませんけどねー」
 可愛らしい顔立ちとユルい日本語で忘れがちだが、シンディは墨洋の次に年長者である。早速シンディに同行を頼もうとしたが……そこで、シンディのスマホに着信が入った。
「おー……ごめんなさいヘータ、ボクは別のお仕事があるそうです。レイも連れて行きなさいとボスのご命令ですので、これから彼に連絡してミーティングですね。ヘータもがんばってください」
「そ、そんなあー」
 結局誰にも助けを求められぬまま、約束の時間が訪れようとしていた。東京から新幹線で数時間ほど、わざわざ偉い人がやって来る……平太はビビっていたが、実際来たのは四十手前くらいの人当たりの良い男性だった。
「警視庁怪異対策課課長って言ってもね……東京の怪異対策課は京都に比べたらお飾りみたいなものだから。君んとこの新課長殿は京都のお客様を優先しただろ? だからそんな緊張しないで。一回は見にこなきゃなって思っただけだから」
「は、はい……」
 墨洋先輩は京都の誰かと会ってるんだ。そういうことも教えてくれないんだものなあ…… 墨洋の簡潔な指示書を思い出しながら、とりあえずオフィスへと案内する。
「すみません、今俺以外誰もいなくて」
「大忙しだね。怪異事件がひっきりなしか」
「東京の方が忙しいのでは?」
「いや、そんなに」
「そうなんですか」
「怪異と呼ばれるモノの個体数は多いかもね。でも、我々が手を出さなきゃならないくらい危険なのはそうそう出ない」
 東京は、怪異が多けりゃ人も多い。いわゆる心霊の類は、生きてる人の思念に押しつぶされて縮こまる。小さな怪異がどれだけ集まろうが何も起こらない。例えば、統率のとれた軍隊みたいになれば話は別だが。有象無象の怪異が、右向け右と同じ目標に進むなんてあり得ない話だ。
 もしそんな脅威が実現するとしたら、大量の怪異を無理矢理従わせられるようなカリスマ性があり、なおかつ人間を害したい邪悪な怪異が世界征服でも目論むとか。妖怪漫画みたいな展開を望む、そんな怪異が存在すればの話だが。
「あるいは、どんな怪異も食いつく美味そうな餌でもぶら下げて、一塊のでっかい呪いにまとめられる呪術師がいたら……それはもう怪異テロとでも呼べる、国家レベルの大事件になるかもな。どっちにしろ夢みたいな話だよ。ははは」
「怪異が食いつく、餌……ですか……」
 一瞬、嫌な想像が頭を過ったが。あくまでオカルト雑誌の陰謀説みたいなものだと、平太はその思考を掻き消した。
「それで……墨洋課長はわかってるけど、他の人は今何を? 件の郷徒さんは?」
「ええ、と……担当してる神霊のお世話というか、なんというか……今地下の怪異収容フロアで手が離せないっていうか……離してもらえないっていうか……」
「あー……今時逸れの神霊抱えてるってのも、すごい話だよね。京都の陰陽寮とか、出雲みたいに頼れる大社もそばに無いし。この辺は確か雷轟神の管轄かな? ちょっと遠いけど」
「雷轟様をご存知なんですね」
「そうか。君が……」
「父が宮司です。俺は家を出てここに就職したんで、家の仕事には何も関わっていませんが……」
 幼い頃から慣れ親しんでいる雷轟が有名なのはなんだか誇らしかった。ただ神社の息子というだけで、何か継ぐわけでもない平太にはあまり関係のないことではあるが。それでも、一目置かれるのは嬉しかった。
「君の方で働きかけて、なんとかしてやれないか。雷轟神の傘下に置いて、新規でお社を建ててもらうとか」
「それは無理です。雷轟様の支配下に置く、というところがダメなんです。件の神霊……深雪様は、雷轟様のお話によれば兄弟神で、深雪様は弟なので喜んで面倒を見ると。雷轟様は仰られているの、ですが……」
「なんだすごい偶然だな。あの雷轟神と同格の神霊が今年までノーマークだったというのには背筋が凍るが……ともあれ、兄弟が再会できたんならそれでいいじゃないか」
「それが、深雪様はそのお話を全く信じておられなくて。記憶が……どこの出身とか、真名とか、覚えていないと。深雪様というのも、真名が思い出せないので新たに決めたものなんです。雷轟様に対してはかなり警戒というか、敵対心を露わにされて」
 以前深雪を雷轟に会わせたときの話をすると渋い顔をされた。
「そうか……。では、雷轟神の影響の無い県に働きかけてみようか」
「それも難しいです。深雪様は、うちで監視してるもう一柱の要注意神霊……水蜜様と離れる提案は受け入れないでしょう」
「例の神実村ってとこの案件か。もうぐちゃぐちゃだな。んでそのぐちゃぐちゃに、郷徒さんは巻き込まれてると」
「その通りです……」
「ありがとう。ようやくここの厄介さが実感できてきたよ。すまないが、深雪神の件はもうしばらく預ける。いい解決策が思いついたら相談してくれ。言った通り東京の怪異対策課はハリボテだが、見捨てはしないから諦めないでほしい」
「はい」
 色々言われはしたが、結局状況は変わってない。郷徒さんもがっかりするだろうな。平太はそう思ったが、それ以上は何も言わずに話を切り上げた。

 何か、できることは無いだろうか。仕事に情熱が無いのは自他ともに認めるところの平太にしては珍しく、真剣に悩んでいた。
 郷徒羊は同期だが年上で、一番身近な先輩のような存在だった。墨洋よりも気軽に話せて、ついちょっとしたことでも頼ってしまうけれど……羊が倒れて、アパートの部屋を目の当たりにして、かなりショックを受けた。それから灰枝直毅の事件も詳しく知り、羊が怪異を惹き寄せる特殊な血を持つことも知った。
(神様の特別になるには、こんなに辛い思いをしなきゃいけないのか?)
 最初に、羊が深雪の担当になると決まったとき。京都から陰陽師が来ても蹴飛ばすくらい、深雪が羊を気に入っているらしいと聞いたとき。羨ましいと思った。平太は、ずっと神霊に憧れていた。神に特別視される覡になってみたかった。
 物心ついたころには、すぐそばに雷轟がいた。雷轟は強い神霊の中でもかなり人間に友好的な神様で、幼い平太も可愛がってもらっていた。だが、成長した平太は知ることになる。神は人間の見分けなんてほとんどついていないということを。人間の、特に子どもは平等に可愛がるが、それ以上でもそれ以下でもない。宮司の息子といっても、特別に何か対応が変わるなんてこともない。神社を出て別の進路に進んだのだから尚更だ。だから、深雪が羊のことを他の人間とははっきり区別していて、羊でないと嫌だと言い出したときは本気で羨ましいと思った。
 だが、その後の羊の様子は、どこを切り取っても羨ましいとは言い難いものになっていった。今もし、深雪の『特別な存在』になれるから羊と代われと言われても無理だ。でも、せめて……羊の負担を軽くできないか。深雪の関心が、少しでも他に向いたら楽にならないだろうか。羊を助けることで、神様に近づけないだろうかと。そう思うようになった。
「深雪様って、雷轟様の支配下に入ってお社や信仰を恵んでもらうとか、絶対嫌じゃないですかぁ」
「当たり前のことを聞くな」
 羊が休みの日、平太は深雪に話しかけた。無視されるかと危ぶんでいたが、深雪は墨洋や平太のことを多少認めるようになっていた。シンディについては、得体が知れないと避けている節がある。外国人には慣れてないのだろうと、平太は解釈していた。
「しかしおまえ、そんなことを言って良いのか。あの龍の庇護下の分際で」
「俺一人のことなんて意識してるわけないですよ。雷轟様はとても広い領土を守護されていて、大勢の人間の信仰を集めているのですから」
「だろうな。あれが人間の友であるように振る舞うのは、あくまで信仰集めのための芝居でしかない」
「やっぱりそうなんですね」
 雷轟は強大な力を持つ神霊だが、人間一人一人をいちいち助けてはくれない。最低でも村ひとつくらいが脅かされる脅威がいなければ動かない。そのあたりは冷徹に切り捨ててしまう。大きな神様とは、そういうものだ。
 一方で深雪はセオリーに縛られることなく、人間を見ている。興味がなければ無視するし、気に入らなければ理不尽に暴力を行使することすらある。しかし、人間の個体差に興味を持っている。
 ずっと神様として扱われなかったから、要領よく信仰を集める方法を知らない。神社に祀られている神々からすれば、無知で野蛮な神霊だと呆れられるだろう。事実、雷轟は深雪のことを神霊にしては未熟な精神だと侮っており、自身の支配下に置くことが愛情だと思っている節がある。しかし、平太はそう思わなかった。雷轟に支配されて言うことを聞くより、今のままの深雪の変化を応援したい。羊にとってもその方が、絶対いいに決まっている。そう考えて、提案してみることにしたのだ。
「深雪様も負けずに信仰集めしませんか」
「どこに神社を建てるつもりだ。奴がすぐ嗅ぎつけて口を出してくるぞ」
「大丈夫です! 雷轟様の領域内でも、干渉されない場所があるってご存知ですか?」
 まず、雷轟と同等以上の信仰で対抗できる神霊。神実村と水蜜は少し異質ではあるが、これに該当する。山奥で千年以上、徹底的に外界から隔絶された信仰を保ってきた水蜜こと『根くたり様』は、本体こそポンコツだがこういうときは強い。深雪も村に間借りさせてもらえれば万事解決だが、水蜜への求婚が受け入れられる見込みが無いのでこの案は置いておく。
 次に、他宗教の土地。禎山寺のようなお寺、教会など、宗教法人の施設。理由は簡単、雷轟を信仰していないからである。
「他にも色々条件はありますが、身近な場所がもう一カ所あるんです。ここです!」
「警察のことか?」
「はい! 怪異対策課は国に管理された場所。ここに干渉するってことは、人間の政治に口出しするってことになるので。慎重な雷轟様は、滅多なことじゃここまで入り込んで来ないでしょう。そんなことあったら大騒ぎですもん。元々俺も実家と関係ないところに行きたくて、墨洋先輩のスカウトを受けたし……」
「ここから出られんのは窮屈だと思っていたが……居心地は悪くなかった。そういうことか」
「かもしれませんね。たまに脱走……お出かけされるときも郷徒さんが必ず一緒でしょ。色々手続きしてるのは、深雪様を守るためでもあるんですよ? 警察の所属じゃなく、好きにそのへんで過ごしてるときのまま雷轟様に見つからなくて良かったですね。有無を言わさずお持ち帰りされて、誰も文句言えなかったでしょうから」
「……」
 苦々しく黙り込む。強がってはいるが、今の深雪では雷轟にとても太刀打ちないことは本人もよくわかっているのだ。
「それで、おまえは何を企んでいる」
「聴いてくれますか! このオフィスを暫定の神社にしようかと思ってるんですよ!」
「ん?」
 深雪には意味がわからなかった。
「流石に神社を建てることは出来ませんから、大きめの神棚を設置しようと思ってます。それでも、神様としての安定した拠り所が何も無い今よりはずっといいです。月極さんも虎の神様のためにそういうことしてるんですよ。まあ、不動産王で大富豪なあの人の真似は無理ですけど」
「あんな若造が大きな顔をしていられるのも、陰陽師どもの信仰を得ているからか」
「ですです。確かな地盤は大切なので。すでに署内では、他の課の人でも深雪様の存在に気づいてる人が結構いるじゃないですか。暇つぶしにちょっとした手助けとかしてますよね」
 本来、深雪は地下の収容室から出てはいけないのだが……警察署の外に出られるよりはマシと、ギリギリ署内をうろつくことは許されていた。普段は姿を消しているので、霊感のない人々には見えないのだが。
「なんか今は怪奇現象扱いっていうか、怪異対策課には本物の幽霊がいるとか都市伝説みたいになっちゃってるんですが……そこは幽霊じゃなく、ちゃんと神様がいらっしゃるんですよと俺が説明して回るんで。このままじゃもったいないんです。まず署内の人だけでも存在を認知してもらえば、それでも立派な信仰の第一歩です」
「よくわからんが……必死で説明しているおまえからは悪いにおいがしない。そうすることで独楽鼠の仕事が楽になるのなら、好きにするといい」
「あはは、深雪様はやっぱり郷徒さんのこと大好きですね」
「死なれると面倒なだけだ」
 一抹の寂しさは感じたけれど。いや、まだこれからだ。こんなに話を聞いてくれただけで十分嬉しい。
「それで、神棚の大きさや形を考えてて……その中に置くお神札の代わりに深雪様から何か頂きたいのですが」
「何か?」
「ええと、髪の毛とか、爪の垢でもいいんですが……身体の一部ですね。いつも身につけてるものがいいんですけど」
「これでどうだ」
「えっ、これは……」
 手渡されたものを見て、平太ははじめは戸惑ったものの。深雪の反応を見て満面の笑みを浮かべ、それからしばらく仕事の合間を縫って神棚の設置を急いだ。

 しばらく経って……怪異対策課のオフィスの中で一番明るく見やすい壁に、立派な神棚が完成した。
「こっそり実家の伝手で宮大工さんにご協力いただきまして。かなり良い感じになったと思います」
「ほほう。これはこれは……」
 墨洋も感心した様子で見上げている。
「なんかイメージより横長だな」
「それはですね。深雪様にいただいたご神体に合わせたんですよー」
 平太は脚立で上に登り、真新しい木の香りのする神棚から、お神札の代わりに置いたご神体を取り出して見せた。
「短刀か? 深雪様も随分太っ腹だな」
「そいつが髪でもいいと言うからそうしたまでだ。刀は折れようが失くそうがいくらでも出せる」
 深雪は羊のデスクの横、オフィスの模様替えをして新たに設置された深雪滞在用のソファでのんびり寝転んでいる。近頃地下にシンディがいるので落ち着かなく、羊のいる側の床で寝たりするようになったのでこうなった。オフィスで大型犬を飼っている風情である。こんなことを言ったらぶっ飛ばされるだろうが。
「あの刀って爪みたいなものだったのか」
「すっごくカッコいいです! 神棚の奥でキラッと光ってて最高ですよね! うちの課には本物の神様がいらっしゃるって実感がすごいです!」
「明李さんが一番はしゃいでますね」
「ま、それも無駄じゃないんだがな。こいつの信仰も深雪様の栄養にはなるんだから。アホみたいな提案とは思ったが、一般人相手に怪異対策課の活動をアピールする手法としては案外悪くないかもしれんな」
「おれは少しでも力が欲しい。小僧狸の浅知恵でも少しは腹の足しになろう」
「郷徒さんはネズミさんで、俺はタヌキなんだー」
「どうしてちょっと嬉しそうなんですか」
「えー、だってニックネームつけてもらえるの嬉しいじゃないですか」
 平太のこの思いつき、それこそ一夜の狸囃子かとも思われたが、予想以上に署内の評判は良かった。シンディが珍しがったこともあり、外国人の彼に正しい日本の文化を見てもらおうと、怪異対策課に立ち寄った他課の職員も真面目にお参りする文化が定着。深雪も興が乗ったようで、拝礼した職員には姿を消したままイタズラのように『ちょっと運のいいこと』を仕掛けた。それが『ご利益』と捉えられ、思ったよりも上質な信仰が集まったのだった。
 後々ある事件がきっかけでお上が動き、深雪にも小規模ながらお社が与えられることになるのだが。そうなった後もこの平太特製神棚は怪異対策課で代々大切に手入れされ、ほのぼのあたたかい信仰を深雪に届け続けるのだった。

二『白き雛たちの夢』


 警察署から車を一時間ほど走らせたところ、県内の一部には熊の出現情報もあるような自然豊かな山があった。大学生の礼は、怪異対策課にお試しで入ってから初めての実地体験をすることになった。その引率として指名されたシンディも、異動してきて初めて実地となる。異色の二人組が山奥までやって来た。墨洋からの命令で、ある噂の調査にやって来たのだ。
「あなたが猪狩さんですね。本日はよろしくお願いします」
 高校時代までやっていた部活仕込みの声で礼が挨拶すると、やや気難しそうな中年の男性はハイハイと気怠げに返した。
「墨洋くんからは、『東京から異動してきた仕事のできる中堅』と『金の卵な学生』が来ると聞いてたが……どっちがどっちなの、あんたら」
「よく若く見えるねって言われます! でもレイのほうがかわいくてフレッシュじゃないですかー? ボクもう二十七才ですし」
「俺は寺烏真礼といいます。父と祖父の紹介で、今怪異対策課に仮で在籍してお手伝いさせていただいている大学生です」
「おう、禎山寺の子か! 上の子が小学生くらいのときに、もう一人生まれたって話を聞いたのが最後だが……下の子の方? へえ、時間が経つのは早ぇもんだ」
「父とお知り合いなんですか?」
「知り合いってほとじゃあないが、随分世話になったよ。なるほどあそこの家の子なら金の卵だわな。ガタイもいいし、しっかりしてるみたいだから学生っつっても心配ないか……」
「父ほどではありませんが、除霊は少しできるのでがんばります!」
「そりゃ助かる。で、そっちの外人さんが東京から来たって方か」
「はい、彼は正式な怪異対策課メンバーのシンディさんです。捕まえた怪異の研究をしていて、お医者さんでもあります」
「よろしくおねがいします、Mr.イカリ。怪異は得意ですが野生のイノシシさんやクマさんとは戦ったことがないので、そちらは助けてくださいねー」
「はあ……よくわからんが、あの墨洋くんが新人と組ませたんなら腕は確かなんだろうな。いいか、山の中では俺の指示が絶対だ。言うこと聞いてくれなきゃ守れねぇから、そのつもりでな」
「Yes,sir! 日本の森の中、初めてです。不思議なにおいがしますね! ドキドキします」
「日本語わかんないことあったら俺に聞いてくださいね」
「やっぱどっちが学生なんだかわかんねーな……まあいいや。日が沈むまでに済ませなきゃならねえから、早速行くぞ」

 ことの始まりは数日前。
 東京の怪異対策課課長を明李に任せてまで墨洋が会いに行っていたのは、京都からある案件を持ち込んできた月極紫津香だった。
「お忙しいところを、えろうすいまへんなあ」
「全くですよ。新米課長なもんで毎日必死です」
「あらご謙遜を。以前から木偶の課長を盾にして、同じ仕事を平然とこなしてはるのは知っていますよ。さすがあの姐様のお孫さんやわ」
 陰陽寮も寺も神社も後ろ盾に無い、民間の拝み屋などインチキを除けばほとんど生き残っていない。墨洋に言うと『そんな大した家系じゃない』と多くを語らないが、彼の祖母は月極にも一目置かれる霊能者だった。
「まーそれはいいとして。京都のボスが随分頻繁にこんな田舎までいらっしゃってくれますが、今回はどういったご用件で」
「それな、今回は水蜜の件と違うねんけど、いやちょっと関係あるかもしれんけど」
「炎天」
「すまんすまんこっちの話やった。今回はまったく新しいお話やで。新興宗教案件なんやけどな……」
 ソファに腰掛ける月極の背後に立っていた炎天が前に出て、墨洋の前にいくつかの資料を置いた。表紙に書かれたある宗教団体の名を見て、墨洋はあからさまに面倒そうな顔をした。
「これね……少し前、郷徒にちょっと関わらせましたけど。正直やめたいんですよね。東京でも京都でも持て余してる案件でしょ、これ。うちに背負わせるのはどうなんです」
「まあまあ、話は最後まで聴いてや。この教団……信者を頭から足の先まで漂白するとかなんとか、けったいなとこなんやけど」
「知ってますよ。でも怖いのはそこじゃない。ここが関わってるとこは刑事課もだんまりだし、下手うちゃ政治家の皆さんまで口を出してくるから社会的に殺される。そこが恐ろしいんでしょうが」
「その通り。人間同士のいざこざじゃ一切隙の無い胡散臭い団体や。けどここが怪異案件ちゃうかって、怪異対策課の一部が細々と調べとってな」
「怪異の事件なら、最優先でうちが動けますからね……でも、あちらさんも簡単に尻尾は出さないはずだ」
「それがな、本体やないけど、末端組織がちょっとした手がかりを残してくれてな。その調査対象として上がった二箇所が、どっちもこの県にあんねん」
 炎天の話によると、その教団の幹部の一人が独立。新たな宗教団体として、はじめは教団の下部組織として働いていたそうだ。しかしすぐに本性を現し、教団の財産や信者を奪えるだけ奪い上層部との連絡を絶った。
「そうなったらもうトカゲの尻尾切りってんで、情報が警察に流れてきたわけやな。今回追って欲しい組織の名前は『白き雛たちの夢』。白という名前だけを借りてコソコソやってたみたいやけど、中身は宗教でもなんでもない。騙した信者を怪異の餌にして飼い慣らしてる、怪異を悪用した犯罪組織らしいで。知らんけど」

 などということがあって、『白き雛たちの夢』が怪しい活動をしているという目撃情報があった二カ所を調査することになった。二つの場所のうち、そこに土地勘がある協力者がすぐに手配できた場所を先に調査することになり、シンディと、以前羊と共に件の宗教がらみの事件を追った礼が、経験を積ませる狙いも兼ねて同行することになった。
 事前のミーティングで共有された情報はあまり多くなかった。調査地点は以前から不法投棄などの問題を抱えていたが、最近『白き雛たちの夢』の信者らしき人々の目撃情報が複数寄せられたというのだ。人が気軽に歩き回れるような場所でないことから、怪異との関わりを疑われているとのこと。
「信者の方は全身真っ白な服で、髪まで白くなっている人もいるとか。イカリさんは見たことありますか」
「そんなんいたらすぐわかると思うんだがなあ……獣と間違って撃っちまうからしっかり見てるつもりだ」
 今回の協力者・猪狩氏は地元の猟友会のベテランである。農地を荒らすイノシシやシカ、稀に現れるクマを人里から遠ざける……それが表向きの仕事。その一方で、怪異対策課の協力者でもある。彼は怪異をも撃つ。
 怪異との物理的な戦闘を請け負う協力者は全国各地に存在する。以前羊が預かった触手型怪異も、猪狩のように怪異狩りができる協力者たちが命懸けで戦って捕まえた。肥大化して手がつけられなくなった触手怪異の肉を撃ったり斬ったりして削り落とし、小さくして収容できるまでに弱体化させられたのはこうした武闘派集団のおかげなのである。
「そろそろ目撃証言のあった地点ですね。あっ、証言の通り、黒い車が捨ててありますね」
 山道を半ば塞ぐように、朽ち果てた乗用車が横転したまま放棄されていた。
「シン、こっちに看板があるよ。うわ、なんだこれ」
「どれどれ……」
「この先、門外の法、適用せず……? 門って何だろ」
「気味悪ぃな。結構雨ざらしになって色褪せてるが、こんな看板無かったはずだ。このあたりは数日前にも見回りしてるはずなんだが」
「下の方にまだ何か書いてある。愛、に豊って漢字が二回繰り返し。なんて読むのかな」
「レイにも読めないですか? イカリさんは?」
「俺も読めねぇな。このへんにそういう地名があったとかも無い。白きなんとかって連中と関係あるのかね」
「資料には、そのような単語は無かったはず……とりあえず写真を撮っておきましょうか」
 シンディがスマホを取り出して撮影をはじめた。それをそばで見守る礼は、頭上でやけに鳥が騒がしいことに気がついた。それから、微かに生臭ささも。
「シン、ちょっと、あれ……」
「どうしましたか?」
 上を向いたまま唖然としている礼の視線を追い、シンディはスマホの録画機能を起動したままレンズと目を上に向けた。そして見つけた。異様な光景がそこにあった。
 大きなツキノワグマが死んでいる。腐臭はそれのせいだった。問題はその死に様だった。大人でも一人では運ぶのが難しそうな成熟したクマの体が、木のてっぺんにある。それも、口から木の幹に串刺しにされて。その周りを、白く大きな鳥が五羽、輪になってぐるぐる飛び続けている。
「ありゃ鳥じゃねえな」
 そう呟いて、猪狩が手にした猟銃を操作して弾を入れ替えた。怪異を狩るための装備だ。
「まず一羽は落とす。あと四羽、狙いを定める合間でいい。時間稼ぎはできそうか? レイ君でもシンジさんでもどっちでもいいから」
「結界張るんで、足止めくらいなら……」
「イカリさん話が早くてステキです。レイは後ろで待機しててください。イカリさん、どれでもいいから一匹撃ち殺してください。あとはサポートします」
「ほう……じゃ、お手並み拝見といくか」
 猪狩が銃口を向けると、視線を察知したのか怪異たちが回転をやめ、一斉に向かって来た。
「来た……!」
 礼が息を呑む。宣言通り、猪狩は正確に狙いを定め一番速くこちらに到達しそうだった一体を撃った。銃弾は効いたようで、怪異は力無く地に落ちた。猪狩が急いで次の怪異を狙おうとしたとき……残った四羽もほぼ同時に、同じ所に衝撃を受けて撃ち落とされていった。
「何が起こった」
「イカリさんが殺した怪異に起きたコトを、他の四匹にもコピーさせてもらいました」
 猪狩の一歩後ろでシンディが、登山用リュックのポケットから取り出した試験管を掲げて微笑んでいた。

 かつて魔女と呼ばれ、酷い拷問や処刑により次々と殺されていった人々がいた。魔女とは言うが、中には男性が含まれていたとも。彼らが魔女とされた根拠については諸説あるが、中にはいわゆる霊能者もいたと言われている。
「ボクのご先祖様が魔女とされたのは、薬草学に通じお医者さんのようなことができたこと、それから、怪異の力を利用できたからです」
「そうか、やはりあんた……今、怪異の力を使ったんだな。怪異を飼ってるのか」
「いいえ。怪異は飼えません。人間の指示をきちんと聞くわけありません。ボクは怪異の力だけを取り出して、これにしまってもってきたのです」
 そう言って、シンディはいくつかの試験管を取り出した。どれも呪術的な儀礼の施された栓でふさがれており、中には薄い色のついたもやのようなものや、奇妙な色の液体が入っていた。
「怪異の脳にあたるところは切り取り、怪異対策課の収容室の中で必ず処分しています。だから安全ですよ」
「はあ……外国の技術ってのはたいしたもんだな」
「いえいえ、日本のオンミョウジも同じような技術を持つと聞きましたよ」
「あっ、式神だ!」
 礼は月極と炎天を思い出しながら言った。
「あれに比べればボクはまだまだです。聖霊種に命令なんてしたことありませんから。ボクもいつか聖霊種の力を研究してみたいですけどね」
「式神より、シンのやり方はすごく合理的だね」
「あたたかいマフラーが欲しいとき、キツネをそのまま首に巻かないでしょう。毛皮だけ使います。それと同じです」
「そういうものなのかぁ……」
 礼は学生らしいあどけない顔で素直に話を聞くので、シンディは礼にそこそこ好感を持っていた。彼の兄よりはずっと。
「オンミョウジはAstronomyにも詳しいと聞きましたし、彼らは現代の科学者に通じていると思います。ボクも同じです。現代科学と昔からの魔術、両方を使って怪異を研究したいのです」
「それじゃ、早速撃ち落としたアレをシンジ先生に調べてもらおうかね」
「はあい、お任せください」
 猪狩の独特のイントネーションによる呼び方が気に入ったようで、シンディは特に訂正もせずご機嫌で怪異に近づいていった。
「四匹は収納して、一匹はここでよく見てみましょう」
 そう言って、また試験管を取り出して怪異をその中に吸い込んでしまった。いわゆる『神隠し』をする怪異から取り出した能力を道具にしたもので、一番よく使っているのだとか。
「シン、これ……」
「ふむ、見たことのない怪異です」
「趣味わりぃ見た目だな。なんか人間の剥製みたいじゃねーか?」
 白い鳥の翼に見えたものを近くでよく見ると、それは羽毛ではなかった。人の手の皮を手袋のように丸ごと剥ぎ取ったようなものがいくつもつなぎ合わされて、鳥の形に成形されたような肉塊だった。表面は青白いぶよぶよした質感で、首にあたる部分には爪が異様に発達した巨大な指がクチバシのような形でくっついていた。これでクマを啄み、木の上に刺したのだろうか。
「猪狩さんが剥製って言ったけど、俺もそう感じます。なんていうか、自然じゃないっていうか」
「何者かが作った怪異ではないか。レイはそう思ったのでは? 確かに……ボクの個人的な感想ですが、魔女の使い魔のようなものではと思います」
「こいつらがただの手下ってなら、銃弾一発で仕留められた弱さに安心してちゃダメっつーことだな。親玉が近くにいるかもしれん。アイホウなんとかっつー、妙な看板の主か……っ、おい、構えろ」
 猪狩は鋭い視力で気付き、礼は不自然な気配で身構えた。シンディはここまでの現象から次の敵の出現を予測しており、すでに新たな武器の選定をはじめながら木々の向こうを見つめていた。
 人影……のようなものがある。だが明らかに人間のシルエットではない。頭らしき部分が異様に大きく、それにくっついた胴体らしき部分は小さい。両腕は無いように見え、頭部をぐらぐら揺らしながら頼りない脚でよたよたと歩き、こちらに少しずつ近寄ってきていた。そんな怪異が、たくさんいる。囲まれていた。
「ところでレイ、まだハイティーンの少年なのにとても落ち着いてますねえ。あんなにキモチワルイのを見ちゃったのに」
「あー、怖いとは思ってますよ。でも怖さの度合いは瘴気の強さで感じてるんで、あれはそこまで……見た目だけでビビらせてくるのは、小さい頃から見慣れてるし」
「わお! クールですねえ」
 でしたらこれを見せてもビックリされませんね、とシンディがウキウキしはじめたので礼は首を傾げた。シンディが着ていた登山用の上着の前を広げると、その下には袖なしのインナーを着ていた。露出した脇腹には真新しい傷跡があり、そこがもぞもぞと波打ったかと思うと、数本の触手が伸びて一番近くにいた巨頭の怪異を捕獲した。
「うわ! 何それ!」
「これもクールでしょ? 腋の下を切開して怪異のパーツを移植したんです。手と同じか、それ以上にうまく働きます」
「相当バカだなアンタ……」
 猪狩は半ば呆れた様子で、淡々と怪異を撃っていた。脚を撃つとその場に蹲ったので、とりあえず動きは止められている。
「まだ鳥のやつもいる! てかシン、クチバシで触手切られてる! 痛くないの?」
「痛いですよ、神経もあります。でもすぐ新しいのできるので大丈夫」
「なんでそんな平然としてるんですか。ああもう血が出てるしすげー痛そう……シンは前衛だけど、遠くは狙わないでください。長く伸ばすと切られやすいでしょ?」
 お経が効いていたので、あれはまだ少しは人間です。そう言って怪異を睨む礼は凛々しくもあり、悲しげでもあった。
「俺の結界があるから、近づこうとするだけで苦しんでるはずです。猪狩さんの援護もあるし、引きつけてから捕まえてください。弱らせた怪異を説得して成仏していただくのがうちの宗派のやり方なので、殺意バリバリで目の前に近づかれたら俺は身を守る以外の手段がありません。そういうのが出たらシンに任せます」
「Yes,sir! 怪異を『説得』ですかあ……悪魔は『滅ぼす』イギリスの悪魔祓いとは全然違いますねー」
 日本の怪異対策課が一目置くという『禎山寺』。宗教施設であることから、シンディは母国の古めかしい教会を思い描いていた。現代イギリスに魔女狩りは無いし、危険な怪異を取り締まるという志が同じなら悪魔祓いも魔女の子孫も味方同士だ。にも関わらず、いまだに悪魔祓いの連中はシンディのことを悪魔扱いし差別的な態度を隠そうともしない。隙あらば『裏切りの予兆あり』と駆逐の機会を伺う者もいる。だから禎山寺の僧侶たちも、さぞ修羅めいた戦闘集団なのだろうと思っていた。それが実際話してみれば、なんともお優しい一族だったので拍子抜けした。
 なるほど、化け物にすら情けをかけて対話し、天国へ送ってやろうとする慈悲、邪悪のみ灼く清廉な霊気、他人の痛みにも嘆き、広く結界を張って防衛する戦法をとる愛護の精神。そういうのがヨウの頑強な警戒心をバターのように蕩かせる秘訣なわけか。母親の妖しい血も混ざっているし、危険な香りが一層セクシーに感じることだろうね。羨ましいなあ、レンの前では無垢な子供みたいに幸せそうにして、素直に言うこと聞くんだから。なんて鼻歌のように呟くシンディの独り言は、礼には理解できなかった。シンディの癖の強い英語の早口はそうそう聞き取れないだろう。
「え? 今なんて?」
「いいえ、くだらないひとりごとですよ。さて、キレイにお片付けしましょう」
 猪狩が脚を撃った怪異はしばらくその場に倒れていたが、時間が経つともぞもぞ動き始めた。人体の構造を無視した位置に新たな腕や脚を何本も生やして、再びのろのろと近づいてくるようになった。這いずるような動きは、もはや人というより獣……いや、虫のように見えた。
「いちいち仕留めねぇとダメか……やっぱ頭か?」
 頭部に一発、それでもまだ動くので二発、三発。五発ほど打ち込んで、やっと動かなくなった。
「ちっ、デカいから的としては雑魚だがなかなかくたばらねぇ」
「頭を破壊すれば良さそうですね。わかりました。イカリさん、あなたは鳥のような怪異がまた来ないか上の方を警戒しておいてください。弾がもう少ないでしょう」
「ああ、心許ないが……どうするつもりだ」
「まかせてください」
 シンディは上着の内ポケットから新たに怪異入り薬品を取り出した。今度は注射器になっている器だった。それを躊躇いなく自らの脇腹に突き刺すと、細く先の尖った触手が新たに何本も生成された。それがシンディを中心に放射状に広がり、全ての巨頭型怪異の頭に最低一本は突き刺さった。そして。
「……うわ」
 礼が思わず声を上げた。ぱん、と花火のような音がして、怪異の頭が同時に赤くはじけた。
「人間を投身自殺させていた怪異の力の一部です。自身も頭を地面に打って即死だったようで、頭部を破壊する概念が……」
「あーわかったわかった」
 嬉々として語り出しそうなシンディのあしらいにも慣れてきたようで。猪狩は淡々と銃弾を補充して、怪異をすべて殲滅できたことを確認して回った。
「なあ、ちょっと見てくれ。これは……」
「なるほど、人型のほうはタマゴでしたか」
「卵ってぇか……苗床にしてたんじゃないか。人間を」
 巨大な頭を破裂させて事切れた怪異の頭の中、普通の人ならとても見たくないものだが、そこも調査しなければならないのが怪異対策課。覗き込んでみれば、そこには脳漿が飛び散った様子はなく……先程空を飛んでいた、鳥型の異形の小さいものが血塗れで詰まっていた。動き出されると困るので、一羽ずつ丁寧に祈祷済みの短刀で止めを刺すかシンディが収納していった。
「人間の中から鳥の雛みたいなのが……まさか」
「白い鳥みたいな怪異、頭の中に雛鳥」
「白き雛たちの夢、ってか。その線で間違いねぇかもな」
「断定はまだ避けたいですけどね」
「さっき他に怪異がいねぇか見て回ったときに、見慣れんプレハブ小屋を見つけたんだが。方向から見ておそらく、こいつらはそこから歩いて来ている」
「……見に、行きますか」
「ここまできたら……ですが、イカリさんの銃も弾の数が不安ですし、ボクも長期戦のつもりはない荷物で来ました。何よりレイがいます。これ以上は体験授業とはいきません。すでに通り越してると思いますが……」
「先生の言うとおりさな」
 少し様子見して、すぐに下山しよう。そう決めると、三人は怪しい小屋に近づいて行った。外見はごく普通のプレハブ小屋。工事現場で見かけそうな、一階建のシンプルな作りのものだ。窓はあるがすべて真っ黒で、内側から塞がれているようだった。中を見るには、一つだけあるドアを開けるしかないようだった。
「行くぞ……」
 猪狩が引き戸に手をかけた。何か起こったら、俺を見捨てて二人で逃げろと念を押して。そして静かに、手に力をこめた。鍵はかかっておらず、簡単に開きそうだ。そのまま慎重にスライドさせ開いてゆく。中から何かが飛び出してくることはなかったが、すさまじい腐臭で一同顔を覆った。
「動けそうな怪異はいないようだ。みんな腐ってる」
 小屋のなかには、これまた元人間であったと思われる怪異の亡骸が放置されていた。しかし今度は頭でなく、腹部が肥大化したような怪異だった。そしてどれも腹に穴が空き、そこから流れ出た液体が腐臭の原因だった。
 怪異から襲われる心配は無さそうだと安堵したのも束の間。三人はそれぞれタイプの違う霊感の持ち主であったが、全員が命の危険を感じた。小屋の奥に意識を向けた途端にだ。
「ダメですよね……」
「こりゃまずい」
「みなさんすぐ退出しましょう。これ以上奥に入るには、たくさん助っ人が必要です」
 シンディはやや好奇心をくすぐられて視線を寄せていたが、礼と猪狩は本能的に恐れた様子で目を逸らしながら小屋を出て行った。
 小屋の一番奥には……何故かドアがあった。外から見て、窓以外の出入り口は猪狩が開けた引き戸しかなく。そして二つ以上部屋があることはあり得ない広さだった。つまり、そのドアは壁に張り付いているだけで意味のないものであると思われた。だが……彼らは同時に思い出していた。看板に書かれた文面を。

『この先 門外の法 適用せず』
 あれが、おそらく門なのだ。

 猪狩には山への立ち入りを制限してもらうよう頼み、大急ぎで帰還したシンディと礼は墨洋に報告した。持ち帰った映像やシンディの分析から、後に判明した現場の状況は以下の通りだ。
 見つかった人型の怪異は、教祖と共に行方不明になっている『白き雛たちの夢』の信者の一部であることがわかった。頭部が大きい怪異は男性、脳と両腕が失われているが、脚を破壊すると元の人間のものではない腕か脚を生やして移動手段とする。そしてその歪な再生を繰り返すほど、頭部だった部分を腹部のように庇い歩く蜘蛛のように変形していくようだ。最後には、頭部に埋め込まれた『雛』の怪異が羽化して役目を終えると思われる。鳥型の怪異については情報が少ないが比較的容易に対処できたため、信者に雛を植え付けた犯人の使い魔のようなものなのではないかと暫定的に判断された。
 小屋の中にあった亡骸はすべて女性信者のもので、肥大化していたのは子宮であった。そこで育った何かが腹を突き破り、息絶えたと思われる。クマを襲った鳥型怪異がいたことから彼女たちも雛を植え付けられていたと予想するも、それでは数が合わなかった。シンディたちが来る前に逃げた鳥がいたのか……しかしシンディはそうではないと思っていた。鳥を産んだのは男性型怪異で、女性型怪異は別のものを孕まされていたのではないかと。根拠は無いに等しいが……強いて言うなら、小屋の奥にあった謎のドアを見た時に感じた直感、とでも言おうか。女たちの子宮の穴から流れ出た腐肉の染みは、一様にドアに向かって這いずった痕跡があった。まるでそこから出て行ったかのように、ぴったりとドアの真下まで。あのドアはただの飾りではない。もし開けていたら、三人無事に帰っていたかわからないと感じていた。それはシンディだけでなく、礼や猪狩も同じ思いであった。
 墨洋はそこが『白き雛たちの夢』追跡における最重要ポイントと判断し、大規模な調査チームの準備に入った。そしてその前に、月極から渡された資料にあったもう一つの調査ポイント『廃神社』も現地を確認しておこうということになった。
 墨洋は大規模調査の指揮、シンディは持ち帰った情報の精査で手一杯。神社ということで明李が候補に上がったが……『例の小屋周りを封鎖後監視しているが、どうも神霊の力を感じる。小屋はお社の代わり、木に突き刺さった熊は何らかの神事を模したものではないか』と猪狩が報告。明李も山調査チームに組み込まれてしまった。そうなると、動けるのはあと一人しかいない。
「本当に郷徒だけで大丈夫か?」
「私だけではありませんよ。深雪さんも行きますから。むしろ大規模作戦前ですし、深雪さんも置いていったほうがいいかもしれませんが」
「いや、深雪様には一緒に行ってもらえよ。それに郷徒と一緒にいなくて誰が話聞いてもらえるんだよ」
「では、お言葉に甘えて。現場を確認するだけですし、目撃情報も信用度の低い一件のみです」
 情報元は廃神社の土地を引き取った不動産屋で、廃神社で新興宗教の一団が勝手に集会を行って騒がしい、という一度きりの匿名の苦情電話が来たという又聞きの情報のみだった。
「山奥と違い、神社は賑やかな住宅地に近い比較的開けた場所にあります。そんなに危険ではありませんよ」
「だがなあ……」
 墨洋は、何だか嫌な予感がしていた。根拠のない……だが怪異対策課としては見逃したくない、霊感由来の悪寒のようなもの。今、郷徒を一人で(深雪は本当に命の危険が迫るまで放置することがあるのでアテにしていない)行かせるのはやめたほうがいい気がする。しかし、調査対象を放置したり、明らかに危険とわかった山の人員を割くわけにもいかない。
「そういうことなら、小生がそっちに行こうか」
 礼が危険な怪異に遭遇したということで、報告を聴きにやって来ていた蓮が声を上げた。
「前にも言ったろ。小生が都合つけば調査に同行するってさ。今がまさに、そのときだろ」
 こうして、廃神社の調査は羊、深雪、蓮で行くことになった。

次 第十四話

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