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病ませる水蜜さん 第五話【R18G】

はじめに

因習村出身の民俗学者・郷美先生が、少年時代の忌まわしい思い出を教えてくれる話。半世紀前……昭和のどっぷりディープな因習村ワールドへようこそ。エロよりグロの比率が高いR18Gです。

『病ませる水蜜さん 第一話』を先に読んでおくこと推奨です。冒頭に簡単なキャラクター紹介も掲載しております。
※このオリジナルシリーズは私の性癖のみに配慮して書かれています。自分の好みに合うお話をお楽しみください。

【特記事項】
今回は 郷美(少年時代)受け。後編で強姦未遂あり
・前編は全年齢。後編でもエロは控えめ。グロが強めのR18G
・この一次創作BLシリーズはCPも受け攻めも固定しません。好きな組み合わせの小説を選んでね!

ご了承いただけましたら先にお進みください。

ざっくり登場人物紹介

・郷美 正太郎
いわゆる因習村(怪奇にまつわる風習や言い伝えがある村)で生まれ育った民俗学者で大学教授。幼い頃から霊感が強く、村で神とされている怪異・水蜜と親しくなる。村を離れ還暦を過ぎた現在も親友である。水蜜とは『蜜ちゃん』『正ちゃん』と呼び合う。
若い頃は絶世の美少年だったそうで、現在もその面影が残る可愛い系のイケおじ。物腰も穏やかで真面目で優しく、女子学生からは『さとみちゃん』と呼ばれ人気がある。少年時代は水蜜を女性だと思っており初恋だったが、現在は妻(霊感のない人間の女性)一筋の愛妻家。完全にノンケ。

・水蜜
郷美の出身村で、独自の神として祀られていた怪異。中性的な外見だが、性別は男に近い両性(男性寄りのふたなり)神様の割に強そうな特殊能力は無く、人懐っこい飄々とした性格のポンコツ怪異。近づいた人を無意識に誘惑して自分に惚れさせる制御不能の能力『蠱惑体質』を持つ。その体質のせいで他の怪異も引き寄せ周りの人を怪奇現象に巻き込んでしまう。郷美が子どもだったころから現在と変わらない若く美しい容姿だった。元人間だそうだが、いつから生きていてどうやって怪異になったのかは謎に包まれている。

・寺烏真 礼
寺生まれで霊感が強い大学一年生。大学進学を機に地元を離れ、霊感のことは内緒にして普通の一人暮らしをするつもりだったが……その大学で教授を務める郷美に霊感があることを見破られ、怪奇現象に満ちた大学生活をスタートさせてしまう。郷美とは霊感体質同士、男同士のドロドロに巻き込まれるノンケ仲間として苦労を分かち合っているため仲良し。ちなみに十数年後、郷美の孫娘と結婚して家族ぐるみの付き合いになる。


一『Do It Yourself 除霊』


「寺烏真さん、生活費に困ったら言ってくださいね。元々蜜ちゃんの居候を頼んだのは僕です。遠慮なく言ってください」
 蜜ちゃんが厄介なのに加えて、十九歳の学生さんには経済的にも大変でしょう。そう言って心配する郷美教授に、礼はにこやかに答えた。
「ありがとうございます! 学費は親に出してもらってますし今のところ問題ありません。ていうか、既に毎月かなり振り込んでくださってますよね……? 十分すぎるくらいで」
 水蜜を助けに行った旅行の際に、礼の口座は郷美に知られていた。『フィールドワーク助手のお礼』という名目で振り込まれた額にも驚かされたし、その後も毎月継続して振り込まれている金額は大学生なりたての礼が動揺する金額だった。
「毎月のは家賃のつもりですよ。蜜ちゃん用に部屋を借りずに済んでいる分なのでお気になさらず」
「あんなに家賃高くないですよ? 実は……あそこ激安物件なんです」
「えっ? 大学にも駅にもかなり近いですし、外観も拝見しましたが立派なマンションでしたよね?」
「中も綺麗で広かったよ! 学生さんの一人暮らしとは思えないくらい。梅と杏のお部屋まで用意してくれるって言ってたけど、あの子達押し入れがお気に入りなのよね」
 郷美に経済的に甘えきっていることは気にしている様子もなく、水蜜は呑気に口を挟んできた。
「確かに普通なら学生一人で住むには贅沢すぎる所です。でも周辺の下手な物件よりダントツ安くて。その理由がですね……前の住民が、五人連続で自殺してるという」
「気にしなければお得な事故物件というやつですか。しかし、本当に大丈夫なのでしょうか? 五人も自殺を招いた何らかの要因があって危険なのでは」
「要因なら内見のときにすぐわかりましたよ。殺意の高い地縛霊がいました」
「ああ……」
 神実村での光景を思い出しながら、郷美はこの話のオチをなんとなく予想しはじめていた。
「自分で殴ったら除霊できたんで。今はもう安心して住めます」
「やはりそういうことでしたか」
 寺生まれってすごい。郷美は改めてそう思った。
「ともあれ、いいことをしましたね。そのお掃除はなかなか他の方には出来ないことですから。次は事故物件でなくなって、不動産屋さんもラッキーですね」
「いや、ダメっすね」
「ん?」
「だって、ほら。人間の地縛霊なんか比じゃないヤツ招き入れちゃったでしょう」
「ああ……」
「実は、郷美先生が自分の家に泊めるって言い出すなら止めようかなって思ってたんです。俺の部屋なら元々事故物件扱いだから、後から入る人もそうそういないだろうってことでオッケーしたけど」
 水蜜を住まわせると、その家には良くないことが起こる。
 新入生歓迎会で水蜜が怪異を呼んだ件が記憶に新しい。あれは居酒屋だったし、周りの人間が恨みを買いすぎていたこと、水蜜が薬を盛られて正常でなかったことが重なって起きた事件ではあったが。水蜜がいる場所に、ただちに何か起こるわけではない。だが、長期的に滞在するとなると話は別だ。
「俺がいるうちはいいと思いますけどね。立ち退く時は、地縛霊の除霊をする前より状態悪くして出ちゃうかも……はは。水蜜さんの痕跡は、未熟な俺では完全に払えないです」
「むー、なんか私がめっちゃ汚いみたいな言い方でやだな……」
「実際穢してるの。神にされるくらいヤバい怪異なの自覚してね」
「そういうのわかんないもーん」
 ふわふわ笑っている水蜜をよそに、郷美は興味深そうにペンを取った。
「はあ……なるほど……神実村でずっとあの社を管理してきたのも重要なことだったのですね。子供の頃から何度か『蜜ちゃんもうちに住めばいいのに。どうせ他の人には見えないんだから』などと思うこともありました。当時は蜜ちゃんが女性だと思っていたので恥ずかしくて言わなかったのですが……実行しなくて良かったわけだ」
「えっそうなの? いいなーそれ、あの頃の正ちゃんの家でお泊まり会してみたかったかも!」
「話を聞いてましたか?」
 何の変哲もないマンションの一室が、神もどきの怪異が住まう社になっているとは。怪異の実在を知る人間が聞けば、誰もが青ざめ『何をやっているんだ』と叱られる案件だろう。だが、他に方法が無かったのだから仕方がない。
「普通に物件を借りていれば、そこを新たな事故物件にする可能性もあったわけですか……いや、本当に寺烏真さんに声をかけて良かった。恐ろしいことをしてしまうところでした」
「いやいや、怪異案件はわかる人少ないから大丈夫ですよ。水蜜さんが引っ越ししたがったらどこにでも行けばいいと思いますよ。郷美先生の奥さんや娘さん、陽葵ちゃんがいらっしゃるご自宅以外でなら」
 怪異が住んだら穢れるなんて一般人にはわからないし、知らない誰かが何らかの被害を受けるかどうかもわからない。何かあったとしても、法律にないのだから責任を負う必要はない。その辺りの判断は礼にしては冷淡なものだった。

 年上にも礼儀正しく、それでいてやんちゃさもあり。人助けに労力を厭わない善性を持ち、周りの人々からは『優しい』『お人好し』と評される。しかし、親しくなってくると見えてくる一筋の冷たさ。総括して、郷美は礼のことを好ましく思っていた。時折昔の自分を重ねてしまう程度には。
「ところで寺烏真さん。次の連休ですが、お付き合いいただくことは可能でしょうか」
「特に予定は無いですけど……村のことですか?」
「ええ。また蜜ちゃんとご同行いただきたいのです。入学前のフィールドワークのときのように、泊まりになりますが……ああ、でも今回は楽しい用事ですよ。実は、『根くたり様』のお社を修繕する費用が揃ったんです」

二『再び、神実村へ』


 初夏の連休。郷美教授と礼、水蜜の三人は再び山道を走るバスに揺られていた。向かう先は雪が積もっていたあの日と同じだ。しかし、今回はあの冷えきった緊張感は存在しない。三人はすっかり気安い関係になっていたし、『長年放置されてきた、根くたり様のお社を修繕できる』というお土産を携えていたので一様に明るかった。参道は荒れに荒れ果て、社本体も壁に穴が開いて放置されていた惨状を思い返せば、村に何の縁も無い礼も嬉しく思う。
「まずは獣道と化していたお社までの道を整備する手配を進めていますが……社の修繕もまとめてお願いしておきたいですね。いっそ全部建て替えますか?」
「え、全部ですか?」
「思ったより予算が多く手に入りそうでして。賽銭箱とか、あとお守りとかおみくじも売れるようにして……今後の修繕費も確保するとか」
「ガチで観光路線ですね。でも心霊スポット期待して来る人的には、あんまり新品にしすぎるとガッカリされませんか? 綺麗にはするけど、古くて厳かな雰囲気は残して、お土産はあくまで旅館や商店に任せたほうがいいと思います」
「なるほど……蜜ちゃんはどう思いますか?」
「一応あれ私の家だし、いつでも泊まれるくらいには綺麗なほうが嬉しいな。あとは正ちゃんがしたいようにすればいいよ」
 村長になる等、村に根を張らされることは断固拒否している郷美だが観光協会の会長としては誰よりも熱心に働いていた。それも軌道に乗って若い人に引き継げるようになれば早めに手を引きたいとのことだが……郷美のパワフルな手腕と村でのカリスマ性を考えると、まだまだフェードアウトはさせてもらえそうにない。
 村に着けば、あいも変わらず大歓迎を受けた。何故か礼も『村の未来を任せたい素晴らしい若者』のような扱いを受けており、今にも移住を勧められそうだったがそこは郷美にしっかりとガードしてもらった。
 水蜜はいつの間にか姿を消していた。村の中では混乱を避けるため『根くたり様が実体を持ち、普通に会話もできる』ことは内緒にしているそうで、首を失っていたときのように気配を隠しているようだ。
 お社の改装計画は順調に進み、日が沈む前に郷美と礼は前と同じ旅館へ向かった。
 旅館の女将も村の観光産業の盛り上がりには上機嫌な様子で、サービスも気合が入っていた。
 水蜜の首を盗んだ『山の怪』騒動は一般の村人には秘密で解決したが、社にいたおどろおどろしい怪物を視ることができた人はそれなりにいたらしい。今でもインターネット上に尾鰭のついた噂が飛び交っており、あのオンボロお社を一目見ようと結構な人が村を訪れているそうだ。そのおかげで山道は踏み固められており、礼たちが登るのも楽になっていた。
 そういう点については化け狸様々だろう。水蜜ではなく、あの狸に神様代行を演じてもらった方が村のためになるかもしれない……などと不敬なことを礼は考えていた。

 風呂も食事も済ませた礼はふと思い立って、少し旅館の外を歩くことにした。
「おや、寺烏真さんも涼みにいらしたのですか」
「こんばんは、先生」
 旅館は村の中でも小高い場所にある。輝く星空の下、ぽつぽつと民家の灯りを眺められる場所にベンチがひとつ置かれており、そこに浴衣姿の郷美が腰掛けていた。
 礼は彼の横に腰掛けながら、売店で二本買っておいたペットボトルのお茶を一本郷美に手渡した。
「ありがとうございます」
「なんとなく、夜に散歩したら先生に会う気がして」
「僕もです」
「水蜜さんは?」
「公民館で年寄り連中が酒盛りしていると聞いて混ざりに行きました。村の中ではある程度、神らしい力を行使できるそうで……認知を歪めて、まるで昔からいる村の一員かのように馴染めるみたいです。誰よりも昔から村の一員なのは間違いでは無いので、できる芸当なんだとか……蜜ちゃんの宴会好きにも困ったものですね」
「ああ、新歓のときにも言ってましたね。この村の人なら安全だしほっといていいですよね」
「さあ、どうですかね。そういう場で集めてきた蜜ちゃんへの好感度というか……人徳、なんて高尚なものではなく……村人たちからの盲信、執着といいましょうか。そういうのに巻き込まれて妙な目に遭うのは生きている人間である僕や寺烏真さんです。年頃の女の子が村にいなくて良かったですよ。寺烏真さんに夜這いでもさせて、村で所帯を持たせようとするくらいはやられてもおかしくないですから」
「まさか、そんな」
「今夜は僕と一緒にいたほうが安心でしょう」
「そうしようかな……」
「冗談です」
「えっ」
「半分くらいは本当です」
「どっちなんですか!」
 大学ではやはり教授と学生として接するべきと意識しているからだろうか。今日の郷美は、礼の目には随分雰囲気が変わって見えた。思ったより真面目じゃないというか、お茶目というか。
「郷美先生って……いつもは優しくて真面目な先生で、なんつーか……聖人って感じだけど、時々どぎついこと言うからびっくりします」
「教師は聖職者なんて言いますから、大学では背筋を伸ばしていますが……さすがに僕を神聖視しすぎですよ」
 いつも通り、うららかな春を思わせる微笑みで。
「そうですね……蜜ちゃんがいなくて二人きり、というのも珍しい機会ですし。寺烏真さんには話しておいた方が後々役立つかもしれません。今後深い付き合いになるでしょうから。少し長くなりますが、昔話に付き合っていただけませんか」

 温厚そうな老人は、遠い昔の罪を吐き出した。
「僕は、人を殺したことがあるんですよ」

少し素顔の郷美先生

三『正太郎少年の話』


 僕が九歳のころ……ちょうど孫の陽葵と同じ歳だったときの話です。そう、今の陽葵と同じ歳だったんですよね。そう思うとあれはあまりにも惨い出来事でした。
 半世紀以上前の神実村は、冬にここに来たときにも話しましたが……今よりもっと異常な村でした。それを念頭に置いて聞いていただければと思います。気分が悪くなったらいつでも止めてください。蜜ちゃんが関わっていることなので、ろくな話じゃないってことは想像つくとは思いますが。

 僕はこうして白髪になる前から、髪の色が人より明るく生まれました。灰桜色とでもいいましょうか。こんな田舎の村では目立つ色で。それから、自分で言うのもなんですが……整った顔立ちをしていましたから、黙って立っているだけでも視線を集める容姿でした。
 それに加え『視える』体質で幼いころから妙なものに好かれがちでした。寺烏真さんはお父様からのご指導があってうまく付き合う方法を学んだとのことですが、僕が頼れるのは蜜ちゃんくらいしかいなくて。ええ、頼りない先生ですよ。結局自分で考えてなんとかすることが殆どでした。幸い除霊はできずとも悪運には恵まれていたらしく、人ならざるものからの攻撃があっても最低限身を守ることはできました。
 僕は赤ん坊のころから蜜ちゃんが視えていたそうで、物心つくころにはすっかり気の置けない友人になっていました。蜜ちゃんがわざと姿を現さない限り、他の人は誰も蜜ちゃんを視ることができません。ですので、誰もいないお社で見えない何かと遊んでいる僕は浮いた存在でした。村の人たちからは、畏怖と言えば聞こえはいいですが……嫌な感じの特別扱いを受けていました。
 当時まだ郷美家は村筆頭の名家として権力が残っていましたので、そこの長男である僕は余計に。『神の寵児』だの『根くたり様と対話できる奇跡の子』だのと……蜜ちゃんと会話できていたのは事実ですが、彼が根くたり様だとは誰にも言わなかったので完全に大人たちの妄想ですよ。根拠のない言い伝えを誰も疑わず、僕を腫れ物扱い、化け物扱いしていました。
 そんな環境で育ったものですから、僕はひどくひねくれた子どもに育っておりました。

***

「なあ、知ってるか? 村の北東にある空き家に背の高い女がいて、誰かはわかんねーけどめちゃくちゃ美人なんだって」
「兄ちゃんも言ってた! 助平な女で、頼んだらヤらせてくれるらしい。友達が筆下ろししてもらえたんだって!」
「すげー! 今度行ってみるか?」
 当時の神実村には分校がひとつありました。小学生と中学生が全部ひとまとまりになっても教室ひとつにおさまるくらいの人数しかおらず、皆学年関係なくつるんでいました。僕は子どもの集団の中でも孤立しがちでしたから、教室の中心で大声で猥談などしている上級生の男子にはいじめられるしかなく、目をつけられぬよう教室の隅にいるのが常でした。
「今学校にいる女ってブスばっかだからなー。桃子は乳がデカいけど、ついでに背もデカくて怪力で色気のかけらもないしなあ」
「なんですって……」
「うわ、怖ー!」
 僕は年のわりに冷めた子どもでしたから、くだらないことで騒ぐ中学生男子たちを桃子姉さんと一緒に呆れた表情で眺めていました。
「姉さんがブスだなんて言えた身分かね。桃子姉さんほどかっこよくて綺麗な女性なんていないのに」
「正太郎ったら……相変わらず子どものくせにキザったらしいったら」
 夜見桃子さんは僕より四歳年上の従姉です。前に話した、大学進学を反対されて家出してきたという彼女です。僕がまだ村にいたときは、家族と蜜ちゃん以外では唯一何の偏見もなく接してくれた人でした。住んでいる家は違いますが姉弟のように親しく、僕は『姉さん』と呼んでいました。
 姉さんは確かに当時にしては背の高い女性でしたが、都会に行けばモデルにでもなれそうな美少女でした。今でもとても綺麗なひとですよ。ときどき会いますからそのうち寺烏真さんにも紹介したいです。
 話が逸れましたね。姉さんは聡明で素敵な女性でしたが、この村においてその魅力はかえって彼女の価値を下げることになりました。女は勉強はしないほうが良かったし、小柄でか弱く男に縋るのが愛嬌があって良いとされていたからです。姉さんは何もかも真逆でしたから、同年代の男子たちの好みではなかったらしく色っぽい話はついぞありませんでした。
 そういう価値観からすれば、僕のほうがよほど女っぽかったと思います。小柄で細くて色白で。当時は勉強もスポーツも嫌いで。楽しみといえば、人気のない森の中で漫画雑誌を読んだり、たまに視える怪異を観察したり。乱暴で下品な上級生男子は苦手で、学校では下級生の幼い子たちや女子といたほうが楽でした。そんなだから、オカマとか言っていじめられて。姉さんがいつも庇ってくれました。
「下級生をいじめるあんたらのほうが余程ださくて、男らしさのかけらもないわ」
「正太郎はまだ小学生だから。中学に上がるころには体もうんと大きくなって、映画に出てくるようなハンサムになるわ。あいつら、女子に人気のあんたを妬んでいるのね」
 なんて、いつも強く明るく寄り添ってくれていました。そんな姉さんの存在は心強かったのですが……学校を出れば、僕はその姉さんですら遠ざけていました。
 小学校の低学年のうちくらいまでは、放課後も姉さんにべったりだったんです。蜜ちゃんに会いに行くのは時々でした。
 状況が変わったのは、学校の勉強を苦手に思い始めたころです。面倒見のいい姉さんは、丁寧に勉強を教えてくれました。なんでも教えてくれる姉さんは頼りになる人で、憧れの存在でした。勉強自体は嫌いだった僕ですが、姉さんに教わる時間を楽しみにしていました。しかし、それがいけなかった。
 僕は村で一番の権力者・郷美家の跡取り息子。姉さんは郷美家とその分家に代々仕えてきた夜見家の女子。僕や両親はなんとも思っていなかったのですが、周りが大騒ぎしました。格下の家の、しかも女が郷美様の長男に勉強を教えるなんて、と。特に激怒したのは姉さんの祖父母と両親でした。僕が勉強を教わっているとバレると、姉さんは厳しい罰を受けしばらく学校にも来ませんでした。久しぶりに登校した彼女は気丈に振る舞っていましたが明らかにやつれていて、僕のせいで酷い目にあったのだと罪悪感にかられました。こうして姉さんからも距離を置くようになり、代わりに蜜ちゃんと過ごす時間が大幅に増えました。

「空き家で中学生の男子に手を出す背の高い女って、蜜ちゃんのことでしょ」
「えー?」
「そんなことする若い女なんて蜜ちゃんくらいだよ」
「まあ、そうかなー。童貞の子はかわいいから。昔からちょいちょいつまみ食いしてるよ。そのうちの誰かじゃない?」
 当時の僕は九歳なので肉体的には未熟でしたが、性的な知識は同年代の子よりありました。蜜ちゃんのせいですね……彼、相手が子どもでも話すことはあまり変わらなかったんです。今の寺烏真さんに対する感じと大差なかったですね。
「どうするの? 今度行ってみるって言ってたけど。中学生が何人か。相手してあげるの?」
「どうしよっかな……最近は正ちゃんが毎日来てくれるから、お社にいるほうが楽しいな。今の中学生っていうと……いつも正ちゃんを学校でいじめてるあの子たちだろ? そうだね? じゃ、やめだ。正ちゃんをいじめるなんてかわいくないから」
「ふーん、そう」
「……やきもち、妬いてくれた?」
「なにそれ」
「正ちゃんはまだ早いけど……大きくなったら、そういう遊びもする? 私、正ちゃんなら大歓迎」
「まあ、考えとく」
「なんだ、つれないな」
「あいつらと違って僕はそういうの興味ないから。蜜ちゃんは好きだけど、そういうことしたくて好きなんじゃないから。一緒にいられればいい」
「そっかあ……えへへ、嬉しいな。私も正ちゃんとずっと一緒にいたいな」
 昔の僕は、蜜ちゃんは女性だと信じて疑いませんでした。背が高いのは姉さんも同じですし。蜜ちゃんのことを、ただの友達以上に想っていたことが……子どもながらに恋だったのだと気づいたのはもう少し後のことです。初恋でしたね。もっとも、それに気づいた時にはその恋がかなわないことも一緒に理解しました。今はそういう気持ちは少しもありません。ただ、幼い僕を支えてくれた恩人であり、何かあれば助けたい親友であるというだけです。

 とまあ、当時の村の状況と人間関係はこんな感じでした。村の雰囲気は嫌いでしたが、特に何も無ければ高校か大学に進学するまで村に居たかもしれません。ですが、ある事件をきっかけに僕はさらに異質な存在となってしまいました。心配した両親の計らいで、中学に上がる前に村を出ることになりました。これからする話は、その事件の話です。

 神実村でも夏にお祭りがあります。
 その中でも華やかなのが、根くたり様の『巫女』に扮した女の子が村を練り歩くというもので。巫女とは言いますが衣装は白無垢に似ていて、花嫁行列を模した集団でお社に向かうんです。
 最近はやってくれる子どもがいないのでずっと行われていませんが、手順や衣装の作り方は残してあります。僕は村の悪い風習は無くしていこうとしていますが、ああいうお祭りは形式だけでも残しておきたいという気持ちもあります。お祭りは楽しいものでしたから。
 僕らの世代では桃子姉さんが巫女を担当して、それはそれは可愛らしかったんですよ。ですが、ある年に妙なことを言い出す大人が現れました。桃子姉さんが学業優秀なので、本当に根くたり様にとりつかれると騒ぎ立てたんです。今では信じられないことですが、そのときは真に受けた大人がかなりいたんですよ。それで、別の子を巫女にしようとなり……でも、いなかったんです。他にいい感じの年頃の女の子が。うんと幼い子ばかりで。
 それで、どうなったと思いますか? 僕もはじめは耳を疑いましたよ。
 僕が女装してやることになったんです。
 変声期を迎えていない男の子の中で、一番大きいからと。僕が女顔で小柄だから好き勝手決めやがって、とゴネたいところでしたが姉さんがこれ以上嫌なことを言われるのが悲しいので引き受けました。結局何年か……引っ越して村を出るまでやらされました。
 やると決まると、村のおばさん連中に寄ってたかって……もう、着せ替え人形みたいにされまして。本番前に練習した方がいいと化粧も着物も本番同等に着付けされて、動く練習にとそのまま村を一人で歩くことになりました。お祭りの衣装とはいえ、女装ですから嫌でした。知り合いに……特に年の近い学校の人たちに会ったら最悪だなあと。そんなことを考えていたら最悪の相手に出くわしてしまいました。そう、教室で大声で猥談をしていた中学生男子の集団です。
 その中でも特に、彼らのボスである郷徒毅という男子にはひどくいじめられていました。何故かといいますと、郷徒家は村の古くからのしきたりでは郷美家の従者のような立ち位置でして、上下関係が根強く残っていたんです。なので僕の方が大人に優遇されることが多く、妬まれていたのだと思います。僕や父は郷美家への特別扱いが苦手だったのですが……そういう村の風習に否定的な態度も、毅にとってはかえって腹立たしいものだったのでしょう。
 彼らははじめは、花嫁衣装のような着物を着て化粧をした僕が誰だかわかりませんでした。幽霊でも見たかのような惚けた顔をしていましたが……僕だとわかった途端、やれオカマ野郎だのと罵られ揶揄われることになりました。
 僕もまだ子どもで、無視に徹することができませんでして。腹が立って、言い返してやったんです。
「ねえ、知ってる? 巫女の行列って、簡略化されてるけど昔は続きがあったんだよ。巫女はお社についたら、その中で男の人と契るんだ。そのとき村の中で一番強くて頼りになる、将来村長になるんだろうなって期待されてる男の人とね。そのまま結婚することがほとんどだったって」
 大人っぽいことを言って怯ませてやろうと、蜜ちゃんの受け売りでね。昔のお祭りの話も元々蜜ちゃんに聞いたものです。
「君たちはどうかな? ねえ、あれから行ったの? 筆おろししてくれる女の人のいる空き家。行ってないよね? というか、近くまで行って怖気付いて帰ったよね? 見てたよ。教室であんなに下品な大声で話しておいて結局ビビったんだ」
 見ていたのは蜜ちゃんですが。誰が見ていた、かは言っていませんので嘘じゃありませんよ。
「僕が本物の巫女だったとしたら、君たちとは絶対無理。遠くから喚き立てることしかできない、いくじなし」
 空家の件を見られたのが相当恥ずかしかったんでしょうね。毅たちは逃げて行きました。そのときはちょっとスッキリしたのですが……
「正太郎……何、いまの」
「ね、姉さん! いたの?」
「毅たちが正太郎にちょっかいかけに行ってると思って……意気地なし、って罵ってやるところカッコよかった……ほんとに、綺麗なお姉さんの巫女みたいだった」
「えぇ……」
 複雑でしたが、姉さんがぽーっとした顔で見てくれるのは可愛くてちょっと嬉しかったです。僕も男ですので。
「でも……あの下品な噂聞いて、あんたまで空き家の近く行ったって本当……?」
「ち、違うんだ姉さん、あれは出鱈目言ったら図星っぽかっただけで!」
「あんな事言うの、どこで覚えたのっ! お姉さんに正直に言いなさい!」
「勘弁してよ姉さん……!」
 まさか、みんなには見えないお姉さんに聞いたなんて言えなくて……姉さんにみっちりお説教されて、とぼとぼ家に帰りました。
 それでも、このときは『上級生の怖い男子を口で負かせて退散させてやった』と気分は良かったのですが……これが後に悲劇の種になるなんて、思いもよりませんでした。

四『色褪せない悪夢』


 毅が『根くたり様』の社を荒らしている。
 近所に住む年下の子がひどく怯えた様子で、僕に伝えに来ました。
「大丈夫。君はもう家に帰ってお母さんと一緒にいな」
「う、うん……」
 この子は脅されて、僕を誘き出すのに使われたんだ。すぐにピンときました。その日は桃子従姉さんが村の婦人会の集まりで神事の準備に駆り出されていて丸一日忙しかったのです。姉さんがいない隙に、生意気な僕をいじめてやろうと企んでいるに違いありません。
 僕も負けず嫌いでしたから、一人でもなんとかしようと思ってしまったんです。中学二年になって身体つきも大人同然になった毅に喧嘩で勝てるとは思っていませんでした。ですが、あっちも小柄な小学生を殴ったりしても虚しいだけだと思ったんです。多少痛い目に遭って脅かされても、こっちが怖がるそぶりを見せなければ、精神的に負けることはあり得ないとたかを括っていました。
 後悔しています。あの時、馬鹿正直に応じなければよかった。父に頼めば、無断でお社に入った悪ガキを叱り飛ばすだけで済んだ。姉さんを待てば、早めに大人を巻き込んで問題を解決できた。
 僕が選択を誤ったせいで……人を殺してしまったんです。

 社の前に到着すると、すかさず薄暗い社の中に連れ込まれたので、やはり脅されるのかと思いました。だから僕は意地でも泣いたり怯えたりするものかと、できるだけ平静を装って挑発しました。
「桃子姉さんは喧嘩も強いし頭だっていいから、敵わないって知ってるんだよね。それで婦人会の集まりの今日を見計らって、僕が一人きりのときに日頃の鬱憤を晴らそうっていうの? やっぱりいくじなしじゃない」
「……」
 急にお腹を殴られ、ふらついたところで押し倒されました。すごく苦しかったのですが、予想していたことではありました。
「言い返せないからって、暴力しかふるえないなんてカッコ悪いぞ……!」
 泣いてなるものかと僕は意固地になり、次はどこを殴られるかと身構えました。
 しかし、毅はそれ以上殴ってはきませんでした……彼は同年代の取り巻き二人を引き連れていたのですが、彼らがやけにニヤニヤしながら腕を掴んできて、僕は仰向けに寝転がったまま押さえつけられました。
「暴れたら腕とか指くらいはへし折ってもいいけど顔はやめとけよ。大人にバレるからな」
「親にも言わないんじゃないですか? 女みたいにヤられたなんて」
 今なんて言った?
 そこではじめて異様な空気に気がつきました。
「やろうぜ、祭の続き。なあ、巫女さん」
 彼らが何を言っていて、僕をどうするつもりかほぼ理解できました。
「てか、こいつ本当に女なんじゃね?」
「郷美家に一人しか生まれなかったのが女だったから、男ってことにしてるとか。夜見家も桃子しかいないし、毅さんがいる郷徒家が将来村の有力者にならないように邪魔してるんじゃ?」
「それは今からはっきりすることだ。ま、わからせちまえば実質俺が一番ってことになるだろ。こいつ馬鹿だしな」
 くだらないことです。その当時の時点で父は村を出ることを検討していましたので、村での権力に興味が無いのは子どもの僕の目にも明白でした。彼らは勝手に僕の郷美家次期当主としての地位を羨み、僕の尊厳を陵辱してやろうと思ったんですね。
 その時の僕は……正直、怖くなってきていました。それでもかろうじて思考する余裕は残っていて、狙われたのが桃子姉さんじゃなくて良かったなどと思っていました。しかしどうして彼女を狙わず、僕だったのか。子どもの頭で必死に考えてもわかりませんでした。
「親父が言ってたけど、昔いた本物の『根くたり様の巫女』ってのは、女みたいな顔でマンコのついてる男だったらしい。お前も似たようなもんだろ」
「根くたり様は男を誘って体で釣る助平な女なんだって。お前も生意気な口きいてるけど、本当は抱いて欲しくて煽ってたってことだろ?」
「何言ってんだ……離せよ……!」
 暴れようとしたところでびくともしません。二人がかりで押さえつけられていましたから。
 蜜ちゃんに色々聞かされて耳年増になっていましたが、実際自分が性欲に晒されるとは……しかも男性からなんて想像したこともありませんでした。恋愛だとか、キスすら知らない子どもですよ。
 後にも先にも、一生のうちであのときが一番恐怖体験だったと思います。服だけ破るように脱がされて。肌を執拗に撫で回し、半ズボンの裾から突っ込まれる手は乾いていたのになんだかヌルヌルしている気がして。気持ち悪くて、怖かった。怖すぎて悲鳴が上げられない、声が出なくなるという経験をしました。泣くのは必死で堪えていましたが、パニック状態でした。それで、心の中で助けを呼んでしまったんです。

 蜜ちゃん、助けて……って

 後に聞いた話ですが、蜜ちゃんがまだ普通の人間の子どもだったとき、同じように村の男子に集団で襲われたことがあったそうなんです。不老不死で色々経験しているであろう彼ですが、生前のことは最も強く覚えていて、辛い思い出なのだと言っていました。
 だから、蜜ちゃんが駆け付けてきて、見た光景は……友がかつての自分と同じように陵辱されそうになっている状況は、彼の心を掻き乱し冷静さを失わせるに十分なものだったでしょう。
 その後数分か数十分か……もしかしたら数時間か。それすらわからないのですが、僕の頭からは記憶が失われています。しかし、我に返ったとき目の前にあった光景で、何が起きたのかの片鱗を知りました。

 毅たち三人は惨たらしく死んでいました。
 体は局部を中心に強い力で潰され、下半身はほぼ原型を留めておらず、頭部が切断されていました。そして切り離された頭は……ご丁寧に三つ並んで、『根くたり様』のご神像の足元にありました。三人ともさぞ苦痛に満ちた顔かと思いきや、なんとも恍惚に満ちた表情だったのがかえって悍ましかったです。僕は大量に返り血を浴びていただけで無傷でしたが……九歳の子どもが見ていい光景じゃなかったですね。半世紀以上経った今でもときどき夢に見ますよ。
 絶句する僕を抱きしめて、蜜ちゃんは一言囁きました
「正ちゃんは、なんにも悪くないよ」
 そのときの蜜ちゃんは、僕の友達の蜜ちゃんではありませんでした。蜜ちゃんの話し方を真似した『根くたり様』そのものだったと思います。恐ろしくて確認はできませんでしたが。
 あれは間違いなく神様でした。
 自分の依代である蜜ちゃん、彼の機嫌を著しく損ねた人間にきまぐれに罰を与える、人ならざるものでした。
 そうでなければ、あんな楽しそうに笑うものですか。

 それからまた、僕の記憶は欠けています。
 気の毒なことに、お社の惨状を最初に発見したのは……僕が毅たちに呼び出されたと知って、心配して来てくれた桃子姉さんでした。
 何してるの、と姉さんに怒鳴られてびっくりしました。床じゅう血まみれの薄暗い社の中で、僕は半裸のまま、毅の生首を抱えてボーッと立っていたそうです。
 姉さんの顔を見たら正気に戻って、恐怖が後から襲ってきたのでしょう。取り乱して泣く僕を抱えて、姉さんが大人を呼んでくれました。

 後のことはよく覚えていません。姉さんに庇われながら家に帰って、母が泣きながら僕を抱きしめたような、父が激怒しながらどこかに電話していたような……周りの大人が事態を片付けていきました。
 次にある記憶は、毅の葬儀が行われた郷徒家の光景です。
「これは『根くたり様』の祟りだ」
「仕方のないことなのだ」
 子どもが三人も惨殺された。それなのに村の大人たちは口を揃えて言いました。明らかに異常な現場だったのに、村の駐在は山での事故死として処理してしまいました。
 祟りだ呪いだと、そんな非科学的な声は遺族がいる葬儀の場でもおかまいなしに続きました。
「郷徒のせがれはしょっちゅう郷美様の長男にちょっかいをかけておった。根くたり様の怒りを買ったんじゃ」
「分家の分際で偉そうだとは思っていた」
「しかも、お社を荒らして死んどったそうじゃないか」
「そりゃ自業自得だな。そのうち家の今後についても、郷美様から沙汰があるじゃろうな」
 僕は姉さんに付き添われて別室でじっとしていましたが、大声で郷徒家はじめあの三人の一族郎党を罵り呪う村の大人たちの言葉は否応なしに聞こえてしまいました。
「夜見の娘があんなだから……しおらしく郷徒のせがれに奉仕しておればこんなことには……」
 そんな話題になってくると姉さんとも一緒にいたくなくなって、手洗いにいくふりをして逃げ出しました。こんなときでも……この恐ろしい殺戮を行った本人だとしても、僕が頼るのは。何もかも事情をわかっている、蜜ちゃん以外にいませんでした。
 蜜ちゃんはしばらく静かに僕を見つめているばかりでしたが、しばらくするといつも通り、何事もなかったかのように明るく接してくれるようになりました。
 一方、村の人々は……あんなことがあってもお社に通うのをやめない僕のことを一層不気味がりました。桃子姉さんからもなんとなく距離を置かれるようになり、学校でも陰鬱な雰囲気が続きました。
 そんな生活の間に、今の僕の目標は定まっていたのだと思います。村の歴史を徹底的に調べて、悪い風習は徹底的に排除したい。村に外の人を多く呼び寄せたい。村を明るく、誰もが過ごしやすい場所にしたい。僕が観光事業に躍起になっているのはこういう理由です。
 それから数年後……祖父はもっと前に亡くなっていたのですが、祖母も亡くなったことで両親も動きやすくなったのでしょう。僕ら一家は村を出ました。
 僕が急に勉強するようになったので、両親は喜びつつも困惑していました。その後はごく普通に進学して、語るほどでもないありふれた出会いをして妻と結ばれ、大学教授なんて大層な身分をいただいたわけです。

***

 これが現実の……ほんの半世紀前にあった村の姿なのかと、礼は信じきれずにいた。いや、郷美がこんな嘘を吐くはずがないとは思っている。作り話ならどれだけ良かっただろうと、逃避しているだけだ。
「……でも、」
 絞り出すように、かろうじて言えたのは。
「郷美先生は悪くないじゃないですか」
「ありがとうございます。あなたに言ってもらえると、少し楽になった気がします」
 郷美は少し遠いところを見ていた。
「だってそうでしょ? 余所者の俺に伝統的なしがらみはわからないけど、先生が全部背負うことないじゃないですか……観光のこととか、これからも俺は手伝いますけど。昔のことが原因で先生が無理しようとしたら、止めますから」
「そうしていただけると助かります。……ごめんなさい。こんなことまで頼りにしてしまって」
「謝らないでください。山の怪退治を引き受けた時点で、ある程度腹は括ってたんです。水蜜さんと関わったら面倒になりそうだと思ったのに、すぐ逃げなかったのは俺の判断です」
「あなたも変わったひとですね。僕には幼い頃から蜜ちゃんしかいなくて、もはや離れられませんが。あなたは蜜ちゃんの能力で狂わされないし、僕の知らない彼の危険性すら見抜いた上で、ここまで付き合ってくれているのですよね」
「自分でもわかんないです……正直馬鹿だなって思います。でも放っておけなくなっちゃって。惚れちゃったんですね、どうしようもなく」
 困ったように眉を下げて笑う礼に、郷美は思わず目を細めた。村の闇と添い遂げる道を選べずに、普通の人間のように生きたくて逃げた自分には、それはあまりにも眩しすぎて。
「……そろそろ寝ますか」
「そうですね。明日も早いし……って、わあ!」
 旅館に戻ろうと二人が立ち上がると、暗い道に老婆が一人で立っているのに気がついて礼は思わず声を上げてしまった。礼が気配を察知できなかったので、生きている人間だ。幽霊よりも人間にビビるのは、大抵の怪異は祓える礼ならではの挙動である。
「お、大声出してすみません……あの、おばあちゃん、一人でこんな遅くに危な……」
「コラァ! 郷徒のせがれが、まぁた郷美様にご迷惑をかけとるか!」
「え、何……」
 突如、すさまじい剣幕で怒り出す老婆にたじろぐ礼だったが、郷美が冷静に割って入った。
「失礼……根国さん、お祭りのことでご相談がありますので、お家までご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ああ、当主様直々に……ありがたいことです……」
(すみません、寺烏真さん。この方は少し前から認知症で徘徊を……僕のことを、僕の祖父だと思っているらしいので。話を合わせて家まで送ります)
 戸惑う礼に、郷美が耳打ちした。
 ちょっとしたハプニングであったが、二人は無事に老婆を送り届けた。遠回りになってしまったが、散歩がてらゆっくりと旅館に向かって歩き始めた。
「なんか、俺嫌われてましたね……えと、郷徒って人に間違われたから……」
 何も知らないときであれば、余所者だから警戒されたとしか思わなかっただろう。だが、老婆から発せられた名前は、つい先程郷美の口から聞いたもので。
「もしかして、あのお婆さんはどなたかのご遺族……だったり?」
「いえ……郷徒家も他の二人の家も、事件後まもなく村を追われるように全員引っ越しています。現在子孫の方がいらっしゃるのか、どこにお住まいなのかもわかりません。村八分、みたいな感じですかね……彼女くらいの世代は、いまだに郷徒家を忌み嫌っている方が多いです」
「五十年経っても、ですか……」
 当時の異様な憎悪をそのままに抱えた生き証人を目の当たりにしては、礼もいよいよ認めざるを得ない。
 この村、やっぱり、正真正銘の『因習村』ってやつだ……!
 郷美先生には失礼になるので言えないが。とはいえ、怖くなってきた。礼が最もおそろしく思うのは、悪霊でも神でもなく。生きている人間の狂気である。
「先生ぇ……やっぱり俺、今夜先生の部屋で一緒に寝てもいいですか……?」
「ふふ、いいですよ。そういえば、寺烏真さんはまだ十代なんですよね。陽葵と大して変わらない歳だと、つい忘れてしまいます」
「うう……恥ずかしい……くそ、どれもこれも全部水蜜さんが悪いんじゃないか……!」
「僕もそう思います」
 それから後は、水蜜に振り回される者同士の愚痴大会に発展しつつ、和やかに就寝に至るのであった。

…………

 毅くんねえ……仕方ないことではあったけど、残念だったとも思うよ。郷徒には昔からお世話になっているからね。できることならもっと正ちゃんと仲良くして欲しかったな。あんなに好きなら、素直に伝えていれば良かったのに。気を惹きたいからっていじめたり、欲しくなったからって仲間を集めて手篭めにするのは許せない。
 ん? ああ、毅くんは正ちゃんのことが好きだったと思うよ。羨ましいのと同じくらい。あんなに恥ずかしがらなくても、神実村では男同士の恋愛は知識人の男の嗜みくらいな雰囲気があったから、隠す必要なかったのにね。正ちゃんのほんの数代前まであったよ、郷美家の当主が郷徒や夜見の男の子を妾にすることくらい。
 毅くんもさ、惚れた弱みで言うこときく子なら可愛がってあげたのになあ……でも仕方ないかな、正ちゃんの巫女姿は完璧な魔性だった。あれで狂ってしまったのだろうし、根くたり様も呼び起こしてしまった。私が呼んだんじゃないよ? 正ちゃんが呼んだの。気に病んでしまうだろうから、言っていないけれど。あのときの巫女は完璧で、儀式も正式なものに近かった。だから起こすことができてしまったんだね。
 綺麗だったなあ、正ちゃん。今も可愛いけど、昔のあれはそんな生優しいものじゃなくて。ほとんどこちら側に近かった。私の側に近い、化け物。一目見れば誰もが魂を奪われたかのように動けなくなったから、行列の最中はおそろしいほどに静かだったなあ。
 精通を迎えるまでの、儚い奇跡だったけれど。

 さて、次はどうなるかな……。

 狂気に逃げずに、想いを大切に向けてくれる君。
 小さな村だけど、好きにできる地位が欲しければあげるよ。そのために昨日も公民館で有力者を見繕って、しっかり躾けなおしてきたんだもの。仕組みは今風にしていけばいいけど、実質的な支配権は郷美家当主に取り戻さなきゃ。幸い、今でも正ちゃんを神聖視している人は多いから大丈夫。
 君のためなら、可愛いお嫁さんも用意する。子の代は失敗したけど、あの娘は最高の巫女を産んでくれた。私がお膳立てしなくても自然に仲良くなってくれたのは嬉しかったなあ。きっと君好みの美人に育つよ。
 今は何も知らなくていい。みんなでゆっくり育てていこう。きっと君は、辛抱強く付き合ってくれるだろうから。ずっと、一緒だよ。

約五十年前の正太郎たち

五『桃子から見た風景』

現在もお美しい桃子さん

「今更何だって思われるだろうけど、ずっと謝りたかったの。正太郎だけが視えてたっていう『お友達』のこと信じてあげられなくて。後から思ったのよ。私には視えなくっても、もっと寄り添ってあげればよかった。正太郎はまだ子どもだったのに……」
「姉さんはあの頃十分僕を守ってくれていたじゃないですか。それに謝るのは僕のほうです。村に姉さんを置いて外に出てしまって」
「それは仕方ないわよ、伯父さんたちの都合なんだから。それに、正太郎は村の外から私を助けてくれたじゃない」
「そんなことありましたか?」
「手紙をくれたでしょう。あの手紙にあった正太郎の住所と電話番号を頼りに家出できたのよ」
「ああ、あのときは僕の父も『大学進学のときに何か援助できれば』と言っていたので。まさか本当に役に立つとは思いませんでしたが」
「あのね……あの手紙を受け取ったとき……私、多分見たの。正太郎のお友達」

 引っ越した後、正太郎からの手紙は私には届かなかった。あのころは駐在さんや郵便局まで村の信仰に結びついていた。村の外に引っ越した郷美家からの手紙は私には悪影響だからって、すべて処分されていたらしいわ。今振り返ると、すごい話よね……。
 私は何としても村を出て大学に行くつもりだったけど、正直かなり厳しかった。村の大人たちは徹底的に外の世界への道を塞いでいた。
 高校二年の春休みくらいだったかな。
 ひとりで根くたり様のお社に行ったの。なんでかはわからない。あの事件の後、どうしても思い出しちゃうからお社には一回も行かなかったし、行きたくもなかったのに。その日は、行かなきゃいけないって思った。
 お社の近辺には誰もいなかった。郷美家からお社の管理を引き継いだ一族のひともいなかった。一人で山道を登ってたら、いつの間にか前に人がいたのよ。私が山に入ったときには誰もいなかったはずなのにおかしいなって思ったんだけど。白いワンピースを着ていて、背が高くて綺麗な長い髪の、若い女の人だった。背格好も雰囲気も知らない人で、外から来た人かもって気になって付いて行くことにした。
 女の人は迷わずお社までの道を進んでいって、堂々とお社の正面から中に入って行ったの。外から来た人かと思ってたからびっくりして、すぐに追いかけたわ。
 当たり前だけど、そのころにはお社の中もすっかり綺麗になってた。でもいやに静かで、外と違う世界みたいで少し怖かった。しかも、先に中に入ったはずの女の人が見当たらなくて。幽霊なんて見たことなかったけど、もしかして見ちゃったかもって思ったわ。そしたら……
「正ちゃんからだよ」
 後ろから、知らない人の声ではっきり聞こえた。さっきの女の人かな、でも男の人にも聞こえるなって感じの……とにかく綺麗な声だった。
 慌てて振り返ったけど、誰もいなかった。でも床に落ちてたの、手紙が一通。確かに正太郎からの手紙だった。郵便の人が全部燃やしちゃったはずなのに、その一通だけは私の手元に直接届いたの。
 その手紙を家族にもずっと隠し続けて、書いてある住所をたよりに家出に成功した。あとは正太郎も知ってる通り。
 あのときは嬉しかったなあ……久しぶりに見た正太郎の字を見ただけで、なんか泣けてきちゃって。村の人みんな信用できなくて、みんな敵で。強がって絶対に泣くもんかって常に気を張ってた。そういう不安な時期だったから余計にホッとしたのよね。
 そのとき気づいたの。私が正太郎を守ってたって勘違いしてたけど、私が正太郎の存在に救われてたんだって。正太郎は恩人なのよ。

「あのときの人は、正太郎が言ってたお友達だと思うんだけど……どう? 背の高い女の人だった? 小学生の正太郎の『友達』にしては、お姉さんすぎるとは思うんだけど」
「さあ、どうかな……僕もよく覚えてなくて。でも、そうだったら嬉しいです。僕の代わりに、大切な姉さんを助けてくれたなら。確かに僕の友達だったのかもしれません」
「あのときの手紙は私の命綱だったから、お守りと思って大事にとっといたはずなのに……いつの間にか失くしちゃったのよね。どんなこと書いてあったのかも忘れてしまったけど、ひとつ覚えてるのは……正太郎のじゃない綺麗な字で端っこに書いてあったのよ。正ちゃんと仲良くしてくれてありがとう、みたいな一言が」

 正太郎の後ろで、水蜜が静かに微笑んでいた。

不穏

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