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病ませる水蜜さん 第八話後日譚・弐【R18】

はじめに


※『病ませる水蜜さん 第一話』から続く一連のシリーズですが、幼馴染BL要素だけ楽しむなら 単体でも読めるかもしれません。『病ませる水蜜さん 第四話』『第六話』『第七話』『第八話』あたりも読んでおいたほうが登場キャラへの理解が深まります。冒頭に簡単なキャラクター紹介も掲載しております。
※このオリジナルシリーズは私の性癖のみに配慮して書かれています。自分の好みに合うお話をお楽しみください。

【特記事項】
今回は 仁→礼(片想い)
・仁が偽物の礼と擬似的な恋人生活を送ってみる話。無理矢理や痛々しいプレイはなく、ラブラブイチャイチャしてる感じです。あくまで一時の夢なので、気持ち的には少し切ないかも。
・今後もこの一次創作BLシリーズはCPも受け攻めも固定しません。好きな組み合わせの小説を選んでね!

ご了承いただけましたら先にお進みください。

ざっくり登場人物紹介


・寺烏真 礼
寺生まれで霊感が強い大学一年生。誰かが困っていると身体を張って除霊してしまうお人好しな男。大学進学を機に地元を離れ、霊感のことは内緒にして普通の一人暮らしをするつもりだったが……謎の怪異・水蜜に気に入られてしまい現在同棲中。水蜜のことは性別(男性寄りの両性)のことを考えず一目惚れしてしまい自分でも何故かはよくわかっていない。基本的にノンケで攻め。以前悪霊に取り憑かれた仁に強姦されたものの、悪霊のせいでおかしくなった事故だと解釈しており仁には全く怒っていない。仁が恋愛的な意味で自分のことを好きなのでは……ということは薄々勘づき始めたものの、本人が告白しないと決めているうちは知らないふりを貫くつもり。この先どんな展開になっても、仁とは親友であり続けたいと願っている。

・長七 仁
礼とは実家が近所で幼稚園から大学の学部まで一緒の大親友。霊感のような特殊能力は無く、ただ高身長爽やかイケメンなだけの大学一年生。ゲイであることと、昔からずっと礼を性的な意味で好き(抱きたい)なことを隠している。告白して今の関係が変わることを何より恐れており、一生友情のみの関係であろうと思っている。しかし礼に女が近づくと親友の立場を利用してさりげなく牽制してくる感情の重さは隠しきれていない。ともかく礼のことが可愛くて大好き。個性豊かなメンバーの中では一番常識人っぽい顔をしているが、内に秘めた性癖はえげつない。

・水蜜
因習村で神として祀られていた謎多きメスお兄さん。礼と同棲しており肉体関係まであるが『あくまで友達』を貫き通す。礼が水蜜に惚れていることを知っていて命の危険があるレベルまで振り回す天衣無縫さから、仁からは薄らと嫌われている。『佐藤』は水蜜が大学で使っている偽名。

・豊島 Kaleb 仙一郎
(としま カレブ せんいちろう)
大学四年生。郷美教授のゼミ所属で、ゼミ生をまとめるリーダー。生真面目な委員長タイプ。厳しい物言いで初めは怖く感じるが、後輩の面倒見も良い誠実な青年。
郷美教授を深く敬愛していることは誰もが知っているが、実はタチ専のゲイで、好きなタイプはかなり年上の男性ということは隠している。郷美に対しては師への尊敬と同等に恋愛感情としての憧れがある。しかし郷美が愛妻家で、教え子と関係を持つような人物でもないことはよくわかっているので気持ちは秘めている。
仁とは様々な面で共通点があるので何かと気にかけるようになった。
以前、玻璃鏡が化けた偽物の郷美を抱いたことがあるが、後からすさまじい罪悪感に襲われてしまい激しく後悔した。本人にバレないとしても、豊島の真面目で自他共に厳しく律する性格が許さなかったようだ。

・玻璃鏡
江戸時代ごろに日本に流れ着き、人間社会に溶け込んで現在まで生きている怪異。サキュバスのような生態で、男性の精液や性的な欲望をエネルギーとして吸収する。あくまで出されたものをもらっているだけなので、吸われても健康被害はない。
若い女性の姿をしていることが多いが、玻璃自身は性別が無い。老若男女どんな姿にも変身できる能力を持ち、抱かれたい男性には
『あなたが最も抱きたいと思っている相手に変身する』
 と、もちかけて誘惑する。
実在しない理想の人物をカスタマイズすることもできるが、真骨頂は『絶対に実らない恋の相手になりきり、一夜の夢を見せること』実在する人物の外見、喋り方、性格、記憶に至るまでコピーし(記憶については本人を観察できなければ精度が落ちる)家族であっても偽物だと気づけないほどそっくりそのまま変身することができる。
かなりの面食いで、食事目的を除いてもイケメンに抱かれたい。好みの男性を見つけると積極的に営業をかける。以前豊島にも誘惑を仕掛け、郷美教授の姿にも化けたことがある。最近はマッチングアプリで相手を探しているらしいが……?

※右にいる人が攻めです

一『仁と玻璃鏡』


 俺には好きな人がいることも、ゲイであること自体もカミングアウトしていないので、恋人関係のことを聞かれたら『恋愛に興味がない』ということにしている。でもそうすると、どうしても諦めてくれない女の子がいたりする。そういうときは、ちょっと重めの話をしちゃう。
「俺の母親、幼稚園の頃不倫して消えたんだよね」
 本当の愛を見つけたなんて言い残してさ。じゃあ俺と父親への愛は偽物だったのかーとか思うじゃない。だから、恋愛する意味ってなんなんだろうって考えちゃうんだ。なんて。正直、今では母親のことなんてどうでもいいんだけどね。大体この話をすると『触れちゃいけなかった』『思ったより面倒くさい男だった』みたいな反応して引いてくれるから今でも言い訳に使わせてもらっている。たまにそれでも『私が本当の愛を教えてあげる』くらいの気合いの子もいるけど、そのうち俺が本当に恋愛感情枯れてるってことがわかって離れていく。枯れてるわけじゃなくて、無駄なところに注ぎ続けてるだけなんだけどね。
 母親にはある意味感謝してる。幼稚園の頃、母恋しさに落ち込む俺を見て礼が俺にキスしたんだ。たぶん、偶然どこかで愛情表現だって覚えたんだろう。本人すら忘れてても、それが礼のファーストキスだし、俺にとってもそうだった。初恋はそこからはじまったんだと、同級生が恋愛に興味を持ち出したころにわかった。
 感謝してることはもう一つある。母親が急にいなくなったせいで、正直経済的に大変だった。父は真面目な人だけど、貧乏だったからいつも必死で働いてた。だから俺は一人になることが多かったんだけど、礼のお母さんがすごく心配してくれたんだ。毎日のように預かってくれた。当たり前に寺烏真家の食卓に混ざって、お風呂とかも入って、礼の部屋に泊まってた。日常のほぼ全てにおいて、隣に礼がいたんだ。
 もしも『本当の愛』なるものが存在するのであれば。
 俺のそれは、礼にしか合わない形をしている。

 ***

 深雪に立ち向かう礼を心配し、思い詰める仁を見て声をかけてくれて以来。仁は豊島先輩とも親しくなった。お互い『カミングアウトしていないゲイである』『同性には恋愛感情の無い男性に片想いしている』『しかし恋人同士以外の方法で限りなく親しい位置にいる』『それが幸せであり、同時に辛くもある』という点では共通していた。
 初対面の印象では少し怖かった豊島だが想像以上に面倒見のいい人で、それでいて馴れ馴れしく干渉してこないクールさが丁度いい人だった。何か話したいときだけ、郷美が教えてくれたという大学近くの静かなバーに連れて行ってくれる。
「大変な目に遭いましたね……まさか五条教授がそんな悪いことをしてたなんて」
 まだ十九歳の仁にはノンアルコールカクテルを用意してくれる、大人の雰囲気にまだ慣れない様子も見せながら仁が豊島を気遣う。
「もう話すのも嫌だが、お前も同じような脅され方をしたときのことを考えておくべきかと思ってな。どうせ佐藤か寺烏真を通じて長七には知られることだろうし」
「ありがとうございます……でも、うーん。もし俺が大学でゲイであることを勝手にバラされたら、かあ……そうなったらそうなったで、別にいいかな」
「そうなのか」
「豊島先輩みたいに親の会社に迷惑かけるとかないし、父も特に何も言ってこないかと」
「寺烏真には?」
「礼は気にしませんよ。俺が礼のこと好きってことが明確にならなければ別に」
「そうか。要らん心配だったな。お前たちの間のことなど」
「子どものころはほとんど兄弟みたいでしたしね」
 それでも、礼の本物の兄である蓮には遠く及ばなかったけれど。心の中でつぶやく。

「あらあら。せっかくのイケメン二人がそんな暗い顔でどうしたの」
 後ろから女性に声をかけられた。仁も豊島もそれなりに自分の顔の良さを自覚しているので、女性からナンパされたときの反応は落ち着いたものだ。
「すみません……俺たち今日は二人で話したいんで、今は」
「豊島くん、やっぱりリピートは難しいかな?」
「……ああ、貴様……玻璃鏡か」
 玻璃鏡。便宜上『彼女』と呼ぶが……彼女は女性でも男性でもない、人間でも無い怪異だ。いわゆるサキュバスに近い生態で、男性とセックスして精液および発散されるエネルギーを吸収し食事とする。玻璃鏡の場合、若いイケメンからもらうことにこだわっており、豊島のこともお得意さんになってくれないかと勧誘を続けていたようだ。
「私はもう二度と貴様とは寝ない。他を当たってくれ」
 豊島が苦い顔をして頑なに拒む。それは彼が玻璃鏡に性的魅力を感じないからではない。むしろ逆なのだ。玻璃鏡はどんな男性の理想も満たすことができる。何故なら、肉体も声も性格も記憶も自由自在に変身させることができるからだ。
 特に驚異的なのは、実在の人物そっくりにもなれることだ。その能力を活かした殺し文句。『絶対に叶わない恋のお相手との甘い一晩、味わってみませんか?』
 豊島の目の前には郷美教授の姿をした玻璃鏡が現れた。見た目は家族すら見分けのつかない精度で再現。それだけでなく、一度でも本人を観察したことがあれば中身まで……記憶や性格まで忠実に再現し、シミュレートしてみせる。それでいて、都合の悪い部分はうまい具合に誤魔化してくれる。独身で、豊島だけを愛する郷美が人知れず自宅を訪れるという、妄想を現実にしたかのようなシチュエーション。勢いで抱いてしまったときは、まさに夢のようだった。
 しかし、自他共に厳しく律する真面目で誠実な性格の豊島には致命的に合わなかった。その後、本物の郷美と顔を合わせるたびに凄まじい罪悪感に襲われて一週間は後悔で凹んでいた。そんなわけで、豊島は玻璃鏡を避けるようになったのである。
(この人が、あの玻璃鏡さん……どんな姿にも、誰にでも変身できるっていう)
 仁は豊島や水蜜、礼から彼女の話を聞いていておおまかな素性は知っていた。
 前回はピンクブラウンの髪にフェミニンな服装の女性……礼の好みのタイプの粧いで現れたという玻璃鏡。今日は打って変わって、黒髪のショートヘアに褐色肌が健康的な女性に変身していた。
 彼女の左目の下には黒子があった。彼女の次の行動を予測した豊島が真っ先にその姿の意図に気づき、眉を顰めて咎めるように言った。
「私が二度目を断ったから他の男を漁りにいくのは構わないが、流石にそれは露骨すぎるぞ。長七は一応二人で呑む程度の付き合いの後輩なんだ、あまり虐めてくれるな」
「いや、いいですよ豊島先輩。見た目寄せられたくらいでは全然平気なんで」
 平気なのは本当だ。彼に雰囲気を似せた女性の姿で近づかれたところで何とも思わなかった。本物の彼以外には一切欲情できないのだから。
「おっ、この子も言ってくれるねえ。もちろんこれは人目を気にしてのぼんやりざっくりバージョンの変身だから。その反応だと、君も私の能力や目的は豊島くんから聞いてるんだよね?」
「ええ、はじめまして玻璃鏡さん。俺もあなたに興味があって、ぜひお会いしてみたかったんです」
「ほんと⁈ 嬉しい!」
「長七? 私の話は忠告のつもりだったのだが。もしお前が、これと関わったら……」
 寺烏真礼に化けて出てくるんだぞ。今後も毎日顔を合わせて友達として仲良くしていきたい相手のそっくりさんを抱いて後悔しないのか。
 そう言いたげな豊島の心配には十分に感謝するが、実は仁は玻璃鏡の誘いに乗ることをすでに決めていた。たとえ偽物でも穢したくないという、優しく清らかな愛情を郷美に向けている豊島と、自分なんかが同一視されるべきではない。そう思いながら。
「豊島先輩、ありがとうございます。でも俺、大丈夫です。ちょっと、確かめたいことがあって……それを知ってどうなるのかは今はわかんないけど、どうしても知りたいんです。先輩が止めたい気持ちも、すごくわかるんですけど」
「そうか。そこまで考えてのことなら何も言うまい」
 何かあったらお前の方から連絡してくれ。そう言い残すと、豊島は二人分の会計を済ませ無言で席を立った。怒って帰ったように見えるが、これが豊島の不器用な気遣いなのを仁は知っていた。
「あら、本当に邪魔しちゃったね」
「いや……豊島先輩とはこんな感じで大丈夫なんです。お互い必要以上に絡まないっていうか。俺も豊島先輩のそういう合理的なところ好きだし」
「へー、仲いいんだ」
「どうなんですかね。で、俺のことも誘ってくれる……ってつもりで話していいんですよね? カッコいい人じゃないとダメだと聞いていたので、選ばれて光栄です」
 仁が愛想良く笑うと、玻璃鏡も愛嬌のある笑顔を返して、豊島が去って空いていた仁の隣に座った。
「仁くんは十分イケメンじゃないの! でも、豊島くんとか礼くんとか君もだけど、水蜜の近くにいる男の子たちなのに水蜜と大違いでお堅いなって思ってたからビックリしたかも。仁くんが積極的に声かけてくれたの」
「そうかな? 俺は別に真面目じゃないですよ」
「あっ、敬語とか使わなくていいよ! 気軽に話して。私もその方が楽だからさ」
「わかった。それじゃあさ、改めて玻璃鏡さんのこと教えてくれないかな? どこまで叶えてもらえるかわからないけど、お願いしたいことがあるんだ」
「挑戦状だね。いいよ。今夜はしっかり打ち合わせしよう。絶対満足させてあげるよ」
 外面はひたすら爽やかで良い人そう。それに合わせながらも、一目見ただけで人間の内面まで分析し尽くしてしまう玻璃鏡は密かに気合を入れ直していた。
 この子、なかなか曲者そうだわ。

二『鏡の国の恋人』

 仁が現在一人暮らししている部屋は、礼のいるマンションから歩いていける距離にある。これも狙ってやったことだ。大学近くの物件は人気があり家賃もそこそこ高い。礼のように格安事故物件をうまく利用する手も使えない仁は、アルバイトをあれこれ掛け持ちしつつ築年数の古いアパートに滑り込むことに成功した。部屋の中は小綺麗にしてあるし、一人暮らしの住まいとしては家賃以上の満足感がある。人が遊びに来たときは少々狭く感じるが、自宅まで遊びに来る人間など礼くらいしかいないのでむしろメリットだった。堂々と至近距離で座れるのだから。
「うーわー、なんかここまで来て緊張してきたな」
 自分以外誰もいない部屋の中だが、思わず口に出して言ってしまった。豊島先輩の目もあり、いつもよりイキがってしまったかもしれない。玻璃鏡とはしっかり話しておいたが、色々言い過ぎて引かれなかったかな。できるだけ希望は言ってくれた方が助かるとは言ってくれたけど。
 金曜の夜。講義が終わったら即大学を出た。バイトも休んだ。普段はできるだけシフトを詰めているから、たまの連休は店長も『頑張り過ぎないで、休みは楽しんできなさい』と快く取らせてくれる。部屋も……普段の様子は礼に見られているがなんとなく掃除して、買い物も済ませて。やることが無くなって落ち着かなくなった。

『そういえば、俺の家には普通にアポなしで本物の礼が遊びに来ることがあるんですけど。どちらか判断つかなかったらどうしたらいいですか?』
 事前打ち合わせの最後。仁は玻璃鏡に、気になっていたことを聞いてみた。自分が本物の礼を間違えないはずない……とは思っているけれど。あの豊島先輩も郷美先生と信じたほどだと聞けば、途端に自信が無くなる。
『本当に仲良いんだね君たち……でも安心して、そんな事故は起こさせない。次の週末は他の予定があるってリサーチ済だし』
『そうなんだ。なんか探偵みたい』
『下準備は結構地味な作業でしょ。まあ私のこだわりだからさ。どうしても心配なら、そうだな……君たちは仲はいいけどあくまで友達、恋人じゃないんだものね? それなら、本物は絶対にしないことで証明してあげる』

 あくまで、友達。事実だけれど、改めて言われると心の隅がちくりと痛んだ。
 しかしそれ以上に『本物は絶対しないこと』が気になって仕方ない。
「来た……!」
 仁の部屋にはインターホンが無いので、来客の場合声掛けかノックで知らせることになる。それを知っていて慣れた雰囲気で、しかし控えめにノックするこの感じ……間違いなく礼だ。いつもならのんびり玄関に向かって気楽に迎え入れるところだがそうはいかない。礼を出迎えるのにこんなに緊張したのは初めてだった。
「うわ、びっくりした。反応早すぎだろ。扉の前にでもいたの?」
「まあ、そんなとこ……」
 扉を開ければ、そこにはいつも通り何も変わらない礼の笑顔があった。しかし、彼は十中八九偽物……礼の姿と声、記憶まで模倣した玻璃鏡という怪異なのだ。それが信じられなかった。
(嘘だろ……全然、わかんない……状況からして多分玻璃鏡さんだって判断するしかない。アパートの廊下歩いて近づいてくる下駄の音の感じとか、ノックとか、直接聴く声も顔も……みんな礼だ。そうにしか見えない)
「どうした? 今都合悪かった?」
「あ、ごめん……そんなことない、入って」
 不自然な間を置いてしまった。なんだろう、うまく表情も作れない。とにかく礼を部屋に入れる、いつも通りに。いつもはそれからどんな風に動いていたんだっけ。改めて思い出そうとしても、はっきり思い出せない。特別意識して動いているわけではないから。
「仁」
 狭い玄関先でお互い立ったまま、後ろから声をかけられた。振り返ったそこには、息がかかるほど近くに礼の顔があって……
 戯れ付くように、噛み付くように。唇を吸われた。
「元気ない? 変な顔してた」
 悪戯を仕掛けた子どものような笑み。初めてのキスが、突然鮮やかに蘇った。ああ、この礼は偽物だ。現在の本物が、こんなことをするはずはないのだから。
「色々、考えてた。でも今どうでもよくなっちゃった。礼、もう一回キスしてよ」
 仁の笑顔は爽やかで優しそうで、同性の友人からも信頼され、女性の心を掴む笑顔。しかし礼は知っている。彼がうまく笑顔を作るほど、その仮面の下ではたくさん寂しいことを考えているのだと。だから今度は戯れじゃなくて、しっかり寂しさを埋める愛情のキスをする。恋人同士だけがする、熱を分け合う行為。靴を脱ぐことすら後回しにして、その場で抱き合って。
 だって、この礼は。
『もしも礼が男性のみに恋愛感情をもつ人だったら』と仮定した世界から来た、仁を親友とも恋人とも想っている礼なのだから。

 相手が仁くんなら、ほとんど性格変更の必要は無いと思う。玻璃鏡はそう言っていた。ただ一つ、礼の恋愛対象となる性別を書き換えただけで。礼は仁を恋人としても好きになっていることだろう。そう断言した。本当に? そんな、たった一つの要素だけで、俺は一生礼とは恋愛できないのか。それ以外の条件は満たしているとでも? 信じられなくて、いや、受け入れ難くて。強がって、玻璃鏡に頼んだ。『礼の恋愛対象は男性』そこだけ改変して、他はすべて一切いじらない完全コピーの礼で来てくれと。それでセックスまで持ち込めるのか試させてほしいと。
 結果から言えば、その通りだった。男性を恋人にしたい礼は、迷わず仁を選んだ。昔から兄弟同然に接してきた距離感そのままに、大人になるにつれてそれなりの距離を置くようになることもなく。少年の無邪気さも生意気さも、甘えたな性質もそのままに触れ合い愛を乞う。彼の兄や両親に対するそれとも全然違う。剥き出しで激しく艶めかしい、恋人としての礼が仁だけのために存在していた。
「……礼」
 狭いシングルベッドの上、身を寄せ合って座っている横顔を見つめる。
「何?」
「キス、うまかったね」
 高校卒業まで、お互い他の人とは交際しなかった。だからそういう行為は二人とも未経験だった。それが、ここ数ヶ月で大きく変わった。礼は水蜜に童貞を奪われ、同棲して肉体関係を続けている。一切改変するなと頼んでいるから、玻璃鏡はそこも忠実に再現しているはず。つまり、水蜜に教えられてあんなにとろけるようなキスを覚えたということ。
「へえ、妬いてるんだ」
 ニヤリと笑って意地悪く返す。これもいつもの礼。
「このまま、俺が仁を抱こうか」
「それは嫌。いずれそういうことがあってもいいかもだけど、今は嫌」
「だろ? じゃあいいじゃん。ここから先は俺だって初めてなんだぜ」
 いくら水蜜を抱いているといっても、礼は受け身側にはなったことがない。正確には、一度あるけれど……仁が悪霊に取り憑かれ、礼に薬を盛って強引に抱いた一回だけ。しかし、それはお互い『無かったこと』にしている。
 実際あれはセックスを経験したと言い難いひどいものだった。礼はひたすら辛いのを耐えていたし、仁は後から冷静になって、独りよがりに自慰行為をしたような虚しさを感じた。だから、今日が初めてと言っていいと思う。
「俺も初めてだけど。何もかも下手だと思うよ。どんな触れ合いだって、礼以外とは絶対したくなかったから」
「弱気だなあ、しっかりしろよ。ここから先は仁がリードしてくれるんだろ。それならキスのときくらいは先手取らせてくれよ」
 ネコやるってわかってても男前なんだよな。
「仁が余計なことどうでもよくなるくらい気持ち良くなってくれたんなら、俺は先に経験しておいて良かったって思うな。初めて同士失敗しても当たり前とは思うけど、それでもできるだけ、二人で気持ちよくなりたいじゃん。最初から」
「礼らしいなあ」
「じゃ、早速やるか!」
「わ、わあー!」
「なんだよ」
 雰囲気も何もなく、勢いよくシャツを脱ぎ出すものだから仁は大層慌てた。
「着替えとか同じ部屋でいつもしてるだろ。上半身裸くらいで何を狼狽えてんだよ」
「そうだけど! 早速やるか、じゃないんだよ。佐藤さんもそんな誘い方すんの?」
「自分で嫉妬したくせに、他の男の名前言っちゃっていいの? 雰囲気大事にしろよな」
「はあ……礼はさあ……もう……」
 仁もため息をつきながらシャツのボタンに手をかけた。確かに男同士だし、高校時代までは部室で着替えていたし。夏には二人で泊まり込みのバイトをしてきたところだが。礼は自分の体がエロいのをもうちょっと自覚してほしい。趣味で筋トレしているだけとは思えない肉付きなんだよな。特に胸。ノンケだから気にしていないのだと思っていたが、仁と付き合ってる認識があってもそのままなのか。ボタンをはずし終えて、仁も上の服は脱ぎ捨てたところで……後ろから、礼に抱きしめられた。
「嘘。仁がやらしい目で俺の体見てるの知ってた。これだけでドキドキしちゃうの可愛いね。ちゃんと最後までヤれる?」
「こいつ……!」
 力は礼の方が上のはずなのに、押し倒せばすんなりベッドに仰向けになる。完全に煽ってる……仁が緊張しないように茶化しているんだろうが、苛々するからやめて欲しい。主に下半身が。

 はじめは仁を気遣ってみたり、リードしたがったり揶揄ったりと余裕のあった礼だが、無防備に裸体を晒して愛撫を受け入れる側になると恥ずかしくなってきたらしい。
 無かったことにしてはいるが、以前仁に抱かれたことは体がしっかり覚えていた。女性の胸でなくても、敏感なところをじっくり愛でられると下半身にじんわり響く。見た目より柔らかな胸を掴まれ、指先で乳首を押し潰されて。摘んでぷっくりと形を立たせて、舌先で弾かれて。唾液で濡れたそこはもはや性器であると、羞恥でいたたまれなくなるほど見つめられて。愛おしげに吸われて、甘く噛まれて。吐く息が熱く湿ってくる。ときおり自分のものとは思えない震えた声が漏れて、礼は思わず口を抑えた。
「声聞かせてよ」
「で、も」
「でも、何?」
「俺が喘いだって、萎えるだけだろ……声可愛いわけじゃない……のに……ひぁ……っ」
「いや、可愛いけど? 勝手に抑えないでよ」
「何、怒ってんだよ……あっ」
 すぐ調子に乗って煽ってくる割に、劣勢になってくるとしおらしく甘えてくるところが可愛い。小さい頃からそう。いたずらしてるときは心底楽しそうで、お母さんからしたらちょっとした悪魔に見えたんじゃないかな。それで、あのおっかない住職に叱られると途端に仔犬みたいにふるえて泣きじゃくってさ。全然変わらないよな。俺がセックスめちゃくちゃ上手くなって、もっと気持ちよくさせてあげられたら……ああやって泣いてくれないかな。
「下も触るからさ。痛かったら言ってね」
「ん……」
 正直、ここからは怖かった。前にレイプしたときも手順だけは冷静にこなしてたけど、礼はまったく気持ちよさそうじゃなかったから。
 今回は拒否感がない分なのか、一応二回目だからなのかは知らないが指はすんなり入った。前もしっかり扱いてやりながら慣らしていったから、礼も異物感だけじゃない感じに戸惑ってるみたいで安心する。
「一回出しとく?」
「……っ、でも、えっ、それ……仁の前で?」
「そりゃそうでしょ。隠したらだめだよ」
「あ、ああ……っ」
 ここは同じ男なので、満足させられたかな……と思った。むしろ礼は俺のよりだいぶデカいし、デカい人って表面積大きい分感じやすいって聞くし。実際自分の手の中で射精する礼は想像以上に愛おしくて、それと同時に指を締め付けてくる感触に仁は生唾を呑んだ。早く抱きたい。かなり前から仁の方は限界まで張り詰めていた。
「挿れてみて、いいかな」
「……」
 礼は耳まで赤くなって目を逸らしている。嫌なら嫌だと言うので、これは精一杯の肯定。可愛いなあ、撮るのはさすがにアウトだよな。などと一線を越えそうになるのを踏みとどまりつつ、ベッドサイドに用意しておいたコンドームを取ろうとして……手首を掴まれた。
「中で出していいよ」
(う……うわ……!)
 そういえば玻璃鏡は精液が欲しくてやっているので、生でしないと意味がないんだった。という合理的な理由があるのはわかっている。わかっているけれど。妄想でもそんな都合のいいこと言わせない、破壊力抜群のお誘いを受けてしまい仁の理性はあえなく散った。
「うあ、ぁ……!」
「きっつ……でも入ってく……ね、奥まで入ったよ」
「……っ、はあ……」
「痛い?」
「痛くは、ないかな……圧迫感あるけど……っん、動かないで」
「動いてないよ? 礼自分ですごいうねって締め付けてるのわかんない? 動いてないのにもうイキそうなんだけど」
「なっ……そう、なの?」
「後で動いてみてもいい? ね、前立腺あたり探してみるから。きっと気持ちいいよ」
「……お前さ」
 汗だくで息をしながら、礼がひどく妖艶に笑った。
「心底嬉しいときは、逆に目笑わなくなるのな」
「そんな怖い顔してるの」
「すげー怖いよ。初めてなんだから優しくしてくれよな」
 怖がっているというよりは、面白がっているようにしか見えなかった。今どんな顔してるんだろう、余程変な顔なのかな。また礼のやつ、余裕できたからやらしい煽り方して。そんな可愛らしいことで腹を立てる仁はとびきり獰猛な光を目に灯していた。
「動くよ」
「や、待って、まだ……!」
「待てない」
「あっ、やだ、そこだめ、へん、だって」
「早速いいとこ見つけちゃった……よかった。二人で気持ちよくなろうね」
 本当に良かった。痛がってるのに無理やりやって、悲しくて泣かせるのは趣味じゃない。気持ち良すぎて泣くのは見たいけど。表情や声で反応を探りながら腰を使う。さすがにいきなり後ろだけでイかせることはできなかったけれど、甘い声であえぐ礼の呼吸に耳を澄ませながら仁は礼の中で欲望のままぶちまけた。
 繋がったまま、肉厚の体にゆっくりと体重をかけていって、胸まで密着して鎖骨に歯を立てる。首筋を舌でなぞって、耳の裏に鼻先を擦り付ける。汗のにおい、発情した礼のにおい。鼻で息をする音が耳元で聞こえたのか、礼は恥ずかしそうに身を捩った。
「嗅ぐなって……シャワー浴びるなって仁が言ったのに……」
「シャワーしたら匂いなくなっちゃうじゃん」
「えっ、臭いほうがいいの? 変態」
「……」
「なんで今ので復活するんだよ! ド変態!」
 逆効果だった。結局あちこち舐めまわされながら陰茎を刺激されて礼も何回か絶頂し、それで胎内がうねるのを堪能しながら仁もあと二度ほど中に出した。初めてにしては上出来すぎるだろう。

三『病ませる寺烏真くん』

 礼の朝は早い。幼い頃から実家の手伝いで寺の一日に慣れきっており、一人暮らしになった今も自然と早く目覚めてしまうそうだ。
「あれっ、仁じゃん。珍しいなこんな朝早くに」
「うん。昨日バイトなくてゆっくりできてさ。せっかく早起きしたから、散歩してちょっとコンビニにね。礼は今も朝走ってるの?」
「ああ。部活の朝練でやらされてたことだけど、なんかやらなくなったらそれはそれで寂しくてさ」
「佐藤さんは?」
「水蜜さんがこんな早起きするわけないじゃん。土曜日だし、どうせ昼くらいまで寝てるよ。俺もコンビニで朝ごはん買っちゃおうかな」
「いいじゃん。一緒に行こ」
 夏は過ぎ、朝は結構肌寒くなってきたけれど。しっかり走ってきたらしい礼は元気にTシャツ姿で、汗に濡れて湯気まで立ちそうなほど温まっている。だから横に並んで歩きつつも、気遣って少し離れてくれる。
 むしろ、思いっきり抱きついて息を吸い込みたいのにな。

 ***

「ただいまー」
「おかえり。なんだよ仁、俺はともかくお前はこんな朝早くに起きて出かけたりしないじゃんいつも」
「まあ、そうだね」
 コンビニの袋を下げて自宅に戻ると、礼が不機嫌そうな顔をしてベッドの上に胡座をかいていた。
「一晩だけじゃなくて、朝になっても帰らないで。次の日も丸一日いてって頼んできたの仁だよね? 何してたの」
「本物の礼に会ってきた」
「なんで?」
 玻璃鏡としても、あまり無い事例だったらしい。困惑する彼に対して、仁はいつもと変わらない爽やかな笑顔で言い放った。
「昨晩礼を抱いて、俺の家でまだ寝てて。帰ったらちょっとゆっくりして、またいっぱいやらしいとこ見せてもらおうって前にさ、何にも知らない本物見たらめちゃくちゃ興奮するだろうなーって思って。実際今、エロいことばっか考えちゃって大変」
「はは……お前すげーな。豊島先輩が聞いたら卒倒するぜ」
「違いないね。先輩には申し訳ないよ。心配してくれてたのに、俺はこんなにどうしようもないんだからさ」
 とりあえず朝ごはんにしよ、とコンビニで買ってきたパンを差し出す。色々な種類を余分に買ってきたけれど、礼は「これ気になってたんだ」と嬉しそうに数個選んだ。先程コンビニで並んでパンを選んだ、彼と全く同じものを。そんなことにすらなんだかゾクゾクしてしまい、仁は一旦シャワーを浴びてくることにした。

 ***

 数ヶ月後。郷美の研究室に玻璃鏡が押しかけてきた。
「こんにちは! 礼くんいる?」
「部外者が気軽に遊びに来る場所ではないぞ」
「豊島くんごめん! でも許して! 緊急事態なの!」
「何です、除霊案件か何か……? 俺ならいますけど」
「よかった、いた! ちょっと拝見……」
「な、何……?」
 今日の玻璃鏡は水蜜に雰囲気の近い黒髪ロングヘアの女性に変身していた。黒中心の服装もよく似ていたが、胸元はしっかり盛っていたので礼をどぎまぎさせつつ至近距離で観察をはじめた。
「それのどこが緊急事態だって?」
「普通は遠目に見るだけでも十分なんだけど、近くで観察した方が解像度高まるのよね」
「……お前、まさか」
 豊島は察したようで顔を引き攣らせたが、礼はわけがわからないようでひたすら困惑していた。
 本人は知らない方がいいだろう……と豊島は黙って奥へと引っ込み、水蜜は側で本を読みながらニコニコ見守っていた。
「も、もういいかな……俺、そろそろ講義なんだけど」
「ありがとう、ばっちりだよ! 助かった」
「そう? ならよかった。じゃあ……」
 逃げるように去っていく礼を見送り、水蜜が玻璃鏡に近づいた。
「いやー、連絡先交換して、定期的に会ってくれるようになったのは嬉しいんだけどね」
「仁くん大丈夫? あんまりハマらせたら私も正ちゃんに怒られちゃうんだけど」
 ここまで必死で取り組んでるのは珍しいね、と水蜜が問えば玻璃鏡は「そうなの!」と食いついてきた。イケメン好きの女性というよりは、頑固なこだわり職人の目をしていた。
「あの子、偽物だってことは理解して遊んでるみたいだから。割り切りしっかりしすぎて若干引くわ。人間って、あんなに感情の切り替えが機械みたいな場合あるのね」
「仁くんは……そうだね、何かと苦労して育ったっていうし。愛情にはすごく飢えてるだろうね。礼くんも求められたら惜しみなく施す子だから」
「ちょっとお母さんぽくもあるよね……。いやあ、やりがいあるのよ、こっちの一挙一動何もかも見られてるから私も燃えてくる」
「玻璃ちゃん、たまに熱血だよね」
 仁くんと玻璃ちゃんがお互い喜んでるなら止めないけど……水蜜は苦笑いしつつ、礼と仁の友情が表向きは健全に続くように祈るのだった。
「それにしても、相変わらず水蜜の周りには魔性持ちが揃うわね。あの郷美先生って人も相当だし、礼くんも本人は健康的でいい子だけど……人間でも怪異でも厄介なのに愛されそうな感じが可哀想ね。豊島くんもしばらく会わないうちにあんな……ねえ、水蜜」
「何?」
「あんた、相変わらず自分は無害な怪異ですって顔してるけど。男を狂わす以外にも何かしてない?」
「あんまり変なこと言わないでよね、危険視されたら怪異対策課っていうお巡りさんに逮捕されちゃうんだよ。玻璃ちゃんだって気を付けないといけないんだからね!」
「はいはい。そういうことにしといてあげる」
 水蜜さん御一行は、今日も何処かで誰かを恋の病に狂わせる。



【一巡目 今度こそおわり】

※一巡目って?

第八話終了時にも載せたやつ

『病ませる水蜜さん』シリーズはまだまだ書きたいことはたくさんありますが、第八話までで一旦区切りです。というのも、作中時間経過しないタイプの世界観なので(サザ⚫︎さん形式)季節順に進むストーリーはこれで一巡みたいな感じでして。

第八話の後に第零話、番外編三〜四、第八話後日譚・壱〜弐と追加で書きましたが、今度こそ一区切りです。シーズン1完結! おめでとう!

ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら本当にありがとうございます。

次回の小説からシーズン2になります!

嘘次回予告
実現するよう応援してください!

次 第九話


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