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万葉集って…。
おもろいよね。
万葉集読んでたら日本語ってむぁじで面白いなぁって思う。
野菜のオクラ切ってたおかんに「憶良らは〜今は罷らむ子泣くなむ〜それその母も吾を待つらむそ」って言ったら「あんたまたそれ試験に出らん知識やろ。なんで憶えとるんよ」て言われてもたけど。
ゑ~~?? でも高校のとき習ったよね。「憶良らは」の「ら」は謙譲の意で「憶良めは」って意味になるとか何とか…。
山上憶良は下級とはいえど貴族やったのに、下々の者たちに寄り添う視点を持ってたのがほんますごいよね。貧窮問答歌とか防人の歌とか。
あとは子どもが何よりも大切って詠んでて、まさかその歌が1300年後のアラサー女の心に響いとるとは夢にも思わんやろなぁ。
銀母金母玉母奈尒世武尒麻佐礼留多可良古尒斯迦米夜母
銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも
しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
銀も金も、玉とても、何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか。
タイムスリップしたら、言葉とかどこまで通じるんかなぁって時折思うんじゃけど、上代くらいやとゆっくりであれば意思の疎通はできそうよね。はひふへほ、の発音が、ぱぴぷぺぽ、ふぁふぃふふぇふぉ、とかやったんやろけど。
古事記とか日本書紀とかも、高校のときから読むのすごい好きで。てか東西問わず神話が好きなんやろな。
(『ふることふひと』めちゃおもろいので是非…。1巻から楽しみに買い続けてたのに突如として打ち切りを告げられた読者の気持ち…。編集部むぁじで見る目ねえな?!!!ってなる笑。ほんまつらいンゴ~~)
万葉仮名を使う前の日本では、「やまとことば」の語りは口伝で全部記憶しなきゃいけなかったんですね。稗田阿礼すごすぎないってなる(笑)
茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる
あかね色をおびる、紫草の野を行き、その禁じられた野を行きながら、野の番人は見るのではないでしょうか。あなたが袖をお振りになるのを。
紫草能尒保敞類妹乎尒苦久有者人嬬故尒吾戀目八方
紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に あれ恋ひめやも
むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに あれこひめやも
紫草のように美しいあなたを憎いと思うのであれば、人妻なのにどうして恋しく思うことがあろうか。
額田王って、天武天皇(当時は大海人皇子)との間に十市皇女という娘がいて、でもそのあとに天武天皇の兄の天智天皇にも寵愛されてるんでしたっけ?? ほんで十市皇女は天智天皇の子どもの大友皇子に嫁ぐけど、大友皇子は天武天皇と壬申の乱で争って自害するという…。
この時代って、近親者どうしの婚姻がけっこうありますよね。腹違いのきょうだい、姪、甥、おじ、おばを配偶者にするという…。そもそも古事記だってイザナギとイザナミは兄妹ですし。
日本神話って、弟が兄にけっこう勝つんですけど(っていうか全部?笑)、まあ壬申の乱を正当化せしめんとする天武天皇の意志に忖度してるというか。弟が勝つ物語こそが正義っていう、自身の正統性と正当性を確固たるものにしたかったんでせうね。
何年か前におもろいweb記事を読んだんですが…。
出雲が開墾されたのは古事記が成立した712年くらいからってのを知って、ほんまびっくりしましたわ。神話を”歴史”として裏付けるためにその土地に人を流入させた…って説は面白いな~と思いました。
話を大海人皇子と天智天皇と額田王の三角関係(笑)に戻すと、「あかねさす~」を詠んだのが額田王で、その返歌が大海人皇子です。もちろんどちらも天智天皇の御前で詠んでます(たぶん)。なので、額田王の秘めた想いを詠んだ~ってより、今はもう我々は何ともありませんよアハハって感じで、笑いながら詠んだんじゃないかな、なんて思います。宴の席での遊興ですよね。
「あかねさす」とか「そらみつ」とか、枕詞って美しいですよね。「ぬばたまの」「ちはやふる」「ひさかたの」「八雲立つ」とかも有名かしら。「母」にかかる「たらちねの」を高校生のとき「たれちちの母ww」とか言って笑ってませんでしたか(低レベルすぎ??笑)
万葉集から時代は下って、ワシが私淑する歌人の一人に紀貫之がいてはるんですが、やはり古今和歌集の功績ってほんますごいなって思います。
古今和歌集の奏勅は延喜五年(905年)です。はい、これだけ今日は憶えて帰ってください笑 日本文学史上、めちゃくちゃ重要な年号やと思ふ。20巻1111首あります。1111首って、なんかゾロ目でおもろいね。
「君が代」も古今和歌集の読み人知らずの歌から来てますよねたしか。
なんで紀貫之を私淑してるかって、『土佐日記』で女性に仮託して書いてるのがまずおもろいですよね。男は漢字で日記書きなはれって時代に、というか、ひらがなってのは女が書く文字やといわれていた時代に、「いや、やまとことばでないとこの想いは表現できませんわ」ってなったんでしょうね。
あとやっぱ仮名序に書いてる文学的表現がすごい。なんか涙出そうになるもん。
古今和歌集 仮名序
※三字下げの太字でない部分は「古注」(後の人が書いた注記)
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出だせるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。
この歌、天地ひらけ初まりける時より出できにけり。
天の浮橋の下にて、女神男神となりたまへることを言へる歌なり。
しかあれども、世に伝はることは、ひさかたの天にしては、下照姫にはじまり、
下照姫とは、天稚御子の妻なり。兄の神の形、丘、谷に映りてかがやくをよめるえびすうたなるべし。これらは、文字の数も定まらず、歌の様にもあらぬことどもなり。
あらがねの地にしては、素戔嗚尊よりぞおこりける。ちはやぶる神世には、歌の文字も定まらず、素直にして、言の心わきがたかりけらし。人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける。
素戔嗚尊は、天照大神のこのかみなり、女と住みたまはむとて、出雲の国に宮づくりしたまふ時に、そのところに八色の雲のたつを見てよみたまへるなり。
八雲たつ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣つくる その八重垣を
かくてぞ、花を賞で、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心、言葉多くさまざまになりにける。遠き所も、出でたつ足もとよりはじまりて年月をわたり、高き山も、麓の塵土よりなりて、天雲たなびくまで生ひ上れるがごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。難波津の歌は、帝の御初めなり。
大鷦鷯の帝の、難波津にて皇子ときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、位に即きたまはで三年になりにければ、王仁といふ人の訝り思ひてよみてたてまつりける歌なり。「この花」は、梅の花をいふなるべし。
安積香山のことばは、采女のたはぶれよりよみて、
葛城王を陸奥へつかはしたりけるに、国の司、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、采女なりける女の、土器とりてよめるなり。これにぞ王の心とけにける。
この二歌は歌の父母のやうにてぞ、手習ふ人の初めにもしける。
そもそも歌のさま、六つなり。漢詩にも、かくぞあるべき。
その六種の一つには、そへ歌。大鷦鷯の帝をそへたてまつれる歌、
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
といへるなるべし。
二つには、かぞへ歌。
咲く花に 思ひつく身の あぢきなさ 身にいたつきの 入るも知らずて
といへるなるべし。
これは、直言にいひて、ものに譬へなどもせぬものなり。この歌、いかにいへるにかあらむ。その心、得がたし。五つにただごと歌といへるなむ、これにはかなふべき。
三つには、なずらへ歌。
君に今朝 朝の霜の おきて去なば 恋しきごとに 消えやわたらむ
といへるなるべし。
これは、ものにもなずらへて、それがやうになむあるとやうにいふなり。この歌、よくかなへりとも見えず。
たらちめの 親の養ふ蚕の 繭ごもり いぶせくもあるか 妹に逢はずて
かやうなるや、これにはかなふべからむ。
四つには、たとへ歌。
わが恋は よむとも尽きじ 荒磯海の 浜の真砂は よみ尽くすとも
といへるなるべし。
これは、よろづの草木、鳥、けだものにつけて、心を見するなり。この歌は隠れたる所なむなき。されど、初めのそへ歌と同じやうなれば、すこしさまを変へたるなるべし。
須磨の海人の 塩やく煙 風をいたみ おもはぬかたに たなびきにけり
この歌などや、かなふべからむ。
五つには、ただごと歌。
いつはりの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまし
といへるなるべし。
これは、ことの斉、正しきをいふなり。この歌の心、さらにかなはず。とめ歌とやいふべからむ。
山ざくら 飽くまで色を 見つるかな 花散るべくも 風吹かぬ世に
六つには、いはひ歌。
この殿は むべも富みけり さき草の みつばよつばに 殿つくりせり
といへるなるべし。
これは、世をほめて神に告ぐるなり。この歌、いはひ歌とは見えずなむある。
春日野に 若菜つみつつ 万代を いはふ心は 神ぞ知るらむ
これらや、すこしかなふべからむ。おほよそ、六種に分かれむことは、えあるまじきことになむ。
いまの世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみ出でくれば、色ごのみの家に、埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には、花すすきほに出だすべきことにもあらずなりにたり。
そのはじめを思へば、かかるべくなむあらぬ。いにしへの代々の帝、春の花の朝、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、事につけつつ歌をたてまつらしめ給ふ。あるは、花をそふとてたよりなきところにまどひ、あるは、月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心ごころを見給ひ、賢し愚かなりと知ろしめしけむ。
しかあるのみにあらず、さざれ石にたとへ、筑波山にかけて君をねがひ、よろこび身に過ぎ、たのしみ心にあまり、富士の煙によそへて人を恋ひ、松虫の音に友をしのび、高砂、住の江の松も、相生のやうにおぼえ、男山の昔を思ひ出でて、女郎花のひとときをくねるにも、歌を言ひてぞ慰めける。また、春の朝に花の散るを見、秋の夕暮れに木の葉の落つるを聞き、あるは、年ごとに鏡の影に見ゆる雪と波とをなげき、草の露、水の泡を見てわが身をおどろき、あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかりしも疎くなり、あるは、松山の波をかけ、野なかの水をくみ、秋萩の下葉をながめ、暁の鴫の羽搔きをかぞへ、あるは、くれ竹のうきふしを人にいひ、吉野川をひきて世の中を恨うみきつるに、今は富士の山の煙もたたずなり、長柄の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ心を慰めける。
いにしへよりかく伝はるうちにも、ならの御時よりぞひろまりにける。かの御世や歌の心を知ろしめしたりけむ。かの御時に、正三位柿本人麿なむ、歌の仙なりける。これは、君も人も、身を合はせたりといふなるべし。秋の夕べ、龍田川に流るる紅葉をば、帝の御目には錦と見たまひ、春の朝、吉野の山の桜は、人麿が心には雲かとのみなむおぼえける。また、山辺赤人といふ人あり。歌にあやしく妙なりけり。人麿は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。
ならの帝の御歌
龍田川 もみぢみだれて 流るめり わたらば錦 なかやたえなむ
人麿
梅の花 それとも見えず ひさかたの あまぎる雪の なべて降れれば
ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 船をしぞ思ふ
赤人
春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける
和歌の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 葦べをさして 鶴鳴きわたる
この人々をおきて、またすぐれたる人もくれ竹の世々にきこえ、片糸のよりよりに絶えずぞありける。これよりさきの歌を集めてなむ、萬葉集と名づけられたりける。
ここに、いにしへのことをも、歌の心をも知れる人、わづかにひとりふたりなりき。しかあれど、これかれ得たる所、得ぬ所、たがひになむある。かの御時よりこのかた、歳は百年あまり、世は十つぎになむなりにける。いにしへのことをも歌をも知れる人、よむ人多からず。今このことを言ふに、官位高き人をばたやすきやうなれば入れず。
そのほかに、近き世にその名きこゆる人は、すなはち、僧正遍照は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。
あさみどり 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か
蓮葉の にごりにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく
嵯峨野にて馬より落ちてよめる
名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花 われ落ちにきと 人にかたるな
在原業平は、その心あまりて、ことば足らず。しぼめる花の色なくて、匂ひ残れるがごとし。
月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
おほかたは 月をも賞でじ これぞこの つもれば人の 老いとなるもの
寝ぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさるかな
文屋康秀は、ことばたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人のよき衣着たらむがごとし。
吹くからに 野辺の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
深草帝の御国忌に
草ふかき 霞の谷に かげかくし 照る日の暮れし 今日にやはあらぬ
宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにして、初め終はりたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。
わがいほは 京の辰巳 しかぞ住む 世を宇治山と 人はいふなり
よめる歌多くきこえねば、これかれかよはしてよく知らず。
小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは、女の歌なればなるべし。
おもひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
色みえで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける
わびぬれば 身を浮き草の 根をたえて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ
衣通姫の歌
わが背子が 来べきよひなり ささがにの 蜘蛛の振舞ひ かねてしるしも
大友黒主は、そのさまいやし。いはば、薪おへる山人の、花の陰に休めるがごとし。
思ひ出でて 恋しきときは 初雁の 鳴きてわたると 人は知らずや
鏡山 いざ立ち寄りて 見てゆかむ 年へぬる身は 老いやしぬると
このほかの人々、その名きこゆる、野辺に生ふる葛の這ひひろごり、林に繁き木の葉のごとく多かれど、歌とのみ思ひて、そのさま知らぬなるべし。
かかるに今すべらぎの天の下しろしめすこと、四つのとき、九のかへりになむなりぬる。あまねき御うつくしみの波、八島のほかまで流れ、ひろき御めぐみの陰、筑波山の麓よりも繁くおはしまして、よろづの政をきこしめすいとま、もろもろのことを捨てたまはぬあまりに、いにしへのことをも忘れじ、古りにしことをも興したまふとて、今もみそなはし、後の世にも伝はれとて、延喜五年四月十八日に、大内記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少官凡河内躬恒、右衛門府生壬生忠岑らにおほせられて、萬葉集に入らぬ古き歌、みづからのをも奉らしめたまひてなむ、それがなかにも、梅をかざすよりはじめて、時鳥を聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、また鶴亀につけて君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山にいたりて手向けを祈り、あるは、春夏秋冬にも入らぬくさぐさの歌をなむ、撰ばせたまひける。すべて千歌二十巻、名づけて古今和歌集といふ。
かくこのたび集め撰ばれて、山下水の絶えず、浜の真砂の数多くつもりぬれば、いまは明日香川の瀬になる恨みもきこえず、さざれ石の巌となるよろこびのみぞあるべき。
それ、まくら、ことば、春の花にほひ少なくして、むなしき名のみ秋の夜の長きをかこてれば、かつは人の耳に恐り、かつは歌の心に恥ぢ思へど、たなびく雲の立ち居、鳴く鹿の起き伏しは、貫之らがこの世に同じく生まれて、このことの時にあへるをなむよろこびぬる。
人麿亡くなりにたれど、歌の事とどまれるかな。たとひ、時移り、事去り、たのしび、かなしび、ゆきかふとも、この歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉の散り失せずして、正木の葛長く伝はり、鳥の跡久しくとどまれらば、歌のさまをも知り、ことの心を得たらむ人は、おほぞらの月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎていまを恋ひざらめかも。
いや、結びの文まで美しすぎませんか?(この引用部分、全部読んでくださった方いたらすごい笑。握手したいンゴ)
おほぞらの月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎていまを恋ひざらめかも。
大空の月を見るように、歌の興った昔を仰ぎ見て、延喜時代を恋しく思うに違いない。
月を見て、「昔の人も同じ月を見てたんやろな」って想いを馳せるみたいに、今の時代のこともいつか懐かしく想うだろう。ってことですよね。単語ごとに区切って読むと、古文ってけっこう意味がわかるので「読めるぅうう読めるぞぉおおお」ってなりますわ。この新潮日本古典集成は、読みやすく読点振ってくれてありがたいです。原文はほぼひらがなやし、読点なんていっさいないですからね(笑)
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ワシすげえ笑
六歌仙に対する紀貫之の辛口レビュー!はほんまおもろい。なんか恨みつらみでもあったんかな(笑)
僧正遍照は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。
僧正遍照は、歌の形式は整っているが、真情の発露という点ではものたりない。例えば、絵に描かれた女を見て、無駄に心を動かすようなものだ。
在原業平は、その心あまりて、ことば足らず。しぼめる花の色なくて、匂ひ残れるがごとし。
在原業平は、情感があふれすぎ、それを表現する言葉が足りない。しぼんだ花の色は褪せたのに、香りだけが残っているようなものだ。
文屋康秀は、ことばたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人のよき衣着たらむがごとし。
文屋康秀は、言葉は巧みだが、そのさまが身についていない。言うなれば、商人が良い衣をまとっているようなものだ。
宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにして、初め終はりたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。よめる歌多くきこえねば、これかれかよはしてよく知らず。
言葉づかいが微妙すぎて、首尾がすらりと一貫していない。言うなれば、秋の月を見ていると、暁の雲に覆われてしまったかのようだ。詠んだ歌は多くは伝わっていないため、あれこれ見通して批評することができない。
小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは、女の歌なればなるべし。
小野小町は、昔の衣通姫の流れを汲む人である。しみじみとした情趣をそなえているが、強さがない。言うなれば、高貴な女性が病んでいるさまに似てる。強くないのは女性の歌だからだろう。
大友黒主は、そのさまいやし。いはば、薪おへる山人の、花の陰に休めるがごとし。
大友黒主は、歌のさまがみすぼらしい。言うなれば、薪を背負った木樵りが、花の陰で休んでいるようなものだ。
けっこう酷評じゃないですか?? 紀貫之何様???って感じ(笑)
商人とか木こりに対する目線も、お貴族様~~って感じ。山上憶良見習ってください。
在原業平が亡くなったとき、まだ貫之は子どもだったみたいですが、直接の接点はなさそうですよね。関わりがあったらここまで貶せないでしょうし。
でも古注では、貫之の書いた文に「このたとえは気に食わね~~」って後の人に訂正されてたりするのもおもろいです。
これは、直言にいひて、ものに譬へなどもせぬものなり。この歌、いかにいへるにかあらむ。その心、得がたし。五つにただごと歌といへるなむ、これにはかなふべき。
かぞえ歌は、ありのままに歌って、比喩など用いないものである。右の歌は、どういう意図で例示したのであろうか。その気持ちがわからない。五番目にただごと歌の例としている歌のほうが、ここの例歌としてはふさわしいであろう。
↓この部分では、貫之さんが今の世(延喜時代)の風潮を嘆いているのがおもろいです。
いまの世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみ出でくれば、色ごのみの家に、埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には、花すすきほに出だすべきことにもあらずなりにたり。
今の世の中は、表面的な美しさばかりを重んじる風潮で、人の心も派手になってしまったため、あだっぽい歌や、その場限りの歌だけ出てくるので、好色者の間に埋もれ、しかるべき人々の顧みないものになりはてて、改まったところでは、表だって人前に出せるものではなくなってしまった。
「近頃の若者は色ボケてろくな歌もよめん」って千年前でも言われてたんですねえ。
春の朝に花の散るを見、秋の夕暮れに木の葉の落つるを聞き、あるは、年ごとに鏡の影に見ゆる雪と波とをなげき、草の露、水の泡を見てわが身をおどろき、あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかりしも疎くなり、(中略)、歌にのみぞ心を慰めける。
春の朝に花が散るのを見て、秋の夕暮れに木の葉が落ちる音を聴き、あるいは、年ごとに鏡に映る白髪と顔の皺とを見て老いを嘆き、草についた霜や水の泡を見て、わが身のはかなさを思い知り、あるいは、昨日は栄華を驕っていたのに、今日はたちまち失脚して、わびしい境涯に落ち、親しかった友も離れてゆき、(中略)、古歌を誦することによってのみ心を慰めている。
いや~~~、人間の営みって、今も昔もそんな変わらんのやねえってなるンゴ。五七五七七の三十一文字に込められた想いが、千年後の我々にも伝わるって、ほんますごいですよね。感動だなあ。
仮名序ってたぶん中学のときに習ったと思うんですけど、ほんまの仮名序はけっこう長いんですよっていう。打ち込むのめんどいから、どっかから引用できんかなってネットの海も探したけど、なんかいい感じのがなかったし、全文自分でポチポチ打ち込みましたわ~。さすがに疲れました笑。褒めてください(傲慢)
ワシは摂関政治が確立してきた頃の平安時代より、藤原北家が台頭して、紀氏とか在原氏とか上流貴族が没落していった平安前期の過渡期に心惹かれます。日本最古の物語、『竹取物語』が生まれたのもそのへんですし。
『竹取物語』の何がすごいって、人間を「罪ある者」として描いたところですよね。だから物語の祖といわれるわけです。
人間の罪は「必ず死ななければならないこと」であるわけですが、かぐや姫が咎人たちの住まう地上にいた期間というものが彼女の罪を贖う期間であったのだとすれば、彼女が月で犯した罪ってのは、いったい何だったのでせうね??
異質で、罪を犯した、人間であって人間でない存在は、物語の世界から消え去らねばならない。それが物語の理です。
『竹取物語』の作者は、決して高い地位につくことのできない、身分の低い男性貴族といわれていますよね。出家していればそれは、世俗を捨てた人であることを意味します。
挫折し、現世に諦念を抱いた作者は、この伝奇物語で何を訴えたかったんでしょうか。
九世紀後半から十世紀前半。古く由緒ある家柄の者たち――大伴氏、紀氏、橘氏、在原氏といった貴族たちが藤原北家の台頭によって没落していった時代。いわば、作者は出世不可能な存在でした。だからこの婚姻難題譚を編んだんでしょう。現世に対して、ままならないことを訴えるために。
ひらがなを使うこと自体がアブノーマルで、常軌を逸脱した行為。人々が右を向いて生きている中で、ひとり左を向いた者。
彼は己の生み出した物語が千年という歳月を息し続けるとは到底考えなかったことでせうね。
解決した者が、誰ひとりとしていない物語を、あなただったらこの時代に書けますか??(笑)って話です。すげえよなあほんま。
日本史選択の皆さんって、一度は藤原ノイローゼ、源シンドロームに罹患したことがあるんじゃないかと思いますが(山川の日本史の教科書の索引部分を見てみてください笑)、歴史に名を遺すってのはどういうことなのかを改めて考えさせられますね。つまり勝者にとって正当で正しい歴史が後の時代に遺っていくわけです。
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一応勉強してたんですね~
理系やからセンターしか使わなかったのに(おい)
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保元の乱と平治の乱とかサイアク(笑)
骨肉の争いっていうか…
まあ実際憎み合ってたんかもしらんけどね
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殺したくなかったでせうね~
年号は語呂合わせで憶えてたんやね笑
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今読み返したら、めちゃくちゃこれに書き込んで勉強しててびっくりしたわ
まだ鎌倉幕府の開府が1192年だった頃の参考書
今は1185年でしたっけ??
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そういえば今の大河って源氏物語を題材にしてましたね。
大河ドラマはそもそも全部フィクションなんやから、時代考証的にどうなのとか言い始めたらキリがないのはわかっとるけど、『光る君へ』の何が許せん(心が狭い笑)って、紫式部の名前を勝手に「まひろ」にしちゃったとこなんよな~(初っ端すぎる)
「なんてこった!! 死者への冒涜だぁぁ!!!」ってひとりで去年の暮れごろ騒いでました(めんどくさい奴)
そもそもなんで眉落としてないんやとか、お歯黒してないんやとか。ねえ。
時代劇でもさ、江戸時代の結婚後の女性ってほんとならお歯黒と眉剃りしてるはずやのになんでやとか。ねえ。そんなわかりきったこと言いませんよ。今の時代の女優さんに「明日から眉落として来て」とか言えんからでしょ(笑)
美醜も時代によって違うからほんま面白いですよね。このお歯黒や眉剃りもですが、平安時代は引目鉤鼻ぽっちゃり色白黒髪ロングストレートが、いわゆる美人の象徴でしたし。
大河ドラマから歴史を学ぶのは大変危ういですが、大河ドラマをきっかけに歴史を学ぶのは全然アリやと思いますよ。誰が語っとるんかを意識できたらなおいいよね。
明治大正昭和期を扱っとるドラマとかでも、現代の観点から語られるとマジで萎える、というか疑問符を呈さざるを得ないときってありますよね。今やってるドラマでいうと『虎に翼』とかかな。いや、この時代の人間がこんなこと思って行動するか?? 視聴者に迎合しすぎてないか?? ってツッコミを思わずいれてまう~~(ドラマは黙って見なさい笑)
その時代の物語を語るなら、せめてその時代の価値観で物事を語ってほしいンゴね。主人公だけ未来からタイムスリップしとるわけやないんやからさ。まあ歴史はみんなが右向いてる中で左向けた人が変えてきたってのもあるし、もちろん前衛的な考えをもった人もいるので一概にくさすわけじゃないですが。没入感がなくなるんですよね。
まあ、storyにツッコめるってことは、historyを知ってないとあかんわけで。心の中に「ほんまか工藤」っていう平次は飼っておきたいと思いまふ。
空の月でも仰いで、昔の人に想いを馳せつつ、今生きてる世の中をいっそう愛しく思いませうかね。
カルペディエム!