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これに気づいたら勝ちな気がする|路地裏と地蔵信仰が実は面白い
皆さん、おはようございます。
3連休と聞くと、お酒を飲むスケジュールを決め始めるトワサンです😊
今日は、繁華街でもちょくちょく見かける、いや、実は米子ってお地蔵様多いんじゃね?と疑問に思ったので、少し掘り下げてみようと思います。
そう!米子は昔から街の至る所にお地蔵様が多い街なのです。
タイムスリップする路地裏
米子の中心市街地を歩けば、そこかしこに歴史が息づいていることに気づく。
特に、ひっそりと佇む路地裏は、まるでタイムスリップしたかのような不思議な魅力にあふれている。
路地裏には、古くから人々の暮らしを見守り続けてきた地蔵尊が数多く祀られている。
今回は、米子市の小路と地蔵信仰の歴史と文化を紐解き、その魅力を探求してみようと思う。
米子の歴史と小路の形成
米子は、かつて大山を仰ぎ、加茂川が流れる風光明媚な地に栄えた城下町。江戸時代には、米子城を中心に武家屋敷や商家が立ち並び、活気あふれる町並みだった。
その名残を今に伝えるのが、まさに路地裏なんです。
米子の小路は、城下町の構造を反映し、碁盤の目のような規則正しいパターンで形成されている。
商家が軒を連ねた町屋通りや、職人たちが集まった職人町など、それぞれの小路が持つ特徴的な雰囲気は、今も当時の暮らしを物語っています。
地蔵信仰と米子の暮らし
米子の人々の暮らしに深く根付いていたのが、地蔵信仰だ。
大山を神として崇める大山信仰と結びつき、人々はあらゆる願いを地蔵尊に託した。
子安地蔵、延命地蔵、イボとり地蔵など、多くの種類の地蔵尊が祀られ、それぞれに人々の願いが込められていた。
特に、道端や路地裏に祀られた地蔵尊は、道行く人の無事を守り、子どもたちの成長を見守る存在として親しまれてきた。
また、亡くなった人の冥福を祈り、供養の場としても利用されたようです。
小路を歩き歴史と文化に触れる旅
実際に米子の小路を歩いてみよう。
これは大人になって覚えた密かな楽しみというか自分の住む街を知りたいと思えば、文化も歴史も生活も路地裏にあり、マニアックな楽しみになっている。
そして、そこに祀られているお地蔵様の物語や歴史が面白い。
例えば、ひょうたん小路地蔵は、瓦葺の屋根が特徴的な趣のある地蔵堂だ。毎年8月23日には、百万遍の念仏が行われ、地域の人々の信仰心の深さを垣間見ることができる。
また、加茂川沿いを歩けば、数多くの地蔵尊に出会うことができ、今も地域の住民の皆さんがお供えをしたり掃除をしたりと守り抜いているのが伺い知れる。
そして、それぞれの地蔵尊には、建立された年や由来などが刻まれており、歴史を紐解く手がかりとなる。
地域の人々の暮らしと地蔵信仰
現代においても、地蔵信仰は地域の人々の暮らしに根ざしている。地蔵盆や「札打ち」などの伝統的な行事が今も行われ、地域の人々が集い、一体感を深めている。
特に「札打ち」は比較的最近まで知らない独特の習慣だが、願い事を書いた札を地蔵尊に貼り付けるという米子の風習で、人々の心の拠り所となっている。
まとめ:心やすらぐ路地裏の発見
米子の小路を歩くことは、単なる散歩ではなく、歴史と文化に触れる貴重な体験となる。
古き良き時代の面影を残す路地裏を散策し、石仏や地蔵尊に耳を傾けてみよう。
そこには、人々の暮らしや信仰が刻まれた物語が隠されていて、身近な観光としてそろそろバズるのでは?とも思っています。