11.実子誘拐の実行犯による「母子引き離し作戦」の成功
11.実子誘拐の実行犯による「母子引き離し作戦」の成功
これまでのブログを読んでくださった方々はもうお分かりのように、元夫である相手方は女グセが悪かったが、それでもある一定の「倫理性」というものを備えていれば既成事実と言ってはいけないが、まずは子どもを守る。しかしながら、相手方は家庭を捨て去り、私に前婚家庭の子どもの面倒を安易に見させようとした「前科」がある。
つまり、この時点でも社会常識や倫理と言うものを一切弁えていない。
こうした事は「社会の中で覚える」ものだが、それ以前に親の教育だ。相手方は「極度のマザコン」だったため、こんなことを言ったらまた引っ張たたかれて、首を絞められそうであるが(これも「なかったこと」になっている)、岩手の老婆トキヱの存在は大きい。私はこの岩手の老婆から「あなたは隆志が気持ちよく働けるように振る舞っていれば、それでいいから」と言われたことがある。岩手の老婆トキヱにとって、お相手の女性(私もその他も)は、いわば「よそ様の子」だ。このような考えの母親に育てられた田舎者はどうしても外から来た人間を「部外者」として扱ってしまう傾向があるように思う。いわゆる「ムラ意識」だ。女性を大切にすると言うのは八方美人である事ではない。婚姻生活なんて不満のぶつかり合いでもあるから、そうした「常識」を親が教えるべきなのだ。「隆志が気持ちよく」なんて言っている時点でこの老婆の本性も見えてくる。次に、相手方は婚姻と子どもを軽く考えすぎだ。良い悪いは別として法的な婚姻と言うものは大きな意味を持つ。同性愛者が同性婚を認めろと言うのもそのためだ。同性愛者同士というか、同性同士では子どもを授かれないが、異性間であれば年齢的にも身体に何か問題がない限り必ず起きうることだ。相手方には前妻がいるが、この前妻との生活に耐えられない、離婚するとなっても子どもは別のはずだ。私と同じく子どもを誘拐された当事者である将棋の橋本八段も妻への不満を散々ぶちまけているが「お前が誘拐した子どもを返せ」というその1点なのだ。
相手方は実子誘拐に生じた事件の際に、その場には長男がいたと「大きな嘘」をついている。そして長男にそう言わせるように「疑似記憶」を植え付けると言う卑劣な行為を犯している。しかし、現場にいたというのは事実ではない。家の中だ。もちろん、長男が家にいるであろうことは分かっていたが、それは長男を返してもらうためだ。
しかしながら、結果的に相手方からしたら、長男は私をおびき寄せるダシなのだ。
そして通報役は相手方の次兄・英明。その場にはその妻 豊美もおりここでも「役者」は揃う。
自称、人権派弁護士 木村ウソツキ真実のシナリオは甘い。なぜならこれだけボロを出すからだ。そこは役者がヘボという部分も大きいが。
これまで述べてきたように、木村ウソツキ真実は「母子手帳」のコピーですらも返せないとし、その後は都合が悪くなると「黙る」。こちらとしては、自ら状況証拠を積み重ねているようなものだ。
前妻がどうであったのかは不明だが私と婚姻関係にあったときの 多摩電設 にしても、その前の会社を消してと言う事は十分に考えられる。いずれにしても一定のカネは取られたであろうから、その「対策」を練っていた事は十分に推測できる。
イヤイヤ期と乳飲み子であった我が子を誘拐されて発生した傷害事件。後に、相手方がそのことを「執拗に」裁判で主張するように親子を引き離す「絶好の理由付け」ができたわけだ。この事件を利用して、結果的には、様々な「分かりやすい嘘」が塗り重ねられることとなった。
そもそも8月10日土曜日に誘拐を実行し、8月12日は月曜日なのだ。事件のあった平成25年8月12日は必然の結果である。その日のそうした時刻(普段なら仕事中)に兄宅へいる事の方がおかしい。他のブログにも書いたように「偶然在宅」と言う事も考えにくい。事件現場となった相手方の兄宅(誘拐された長男がいた場所)の駐車場にて、私は確かに相手方と 「ちょうどいいタイミング」 でバッティングしている。これは日付・その他の要因を精査すれば明らかに必然性が高いと言う事を立証できる。つまり、相手方が今か今かと待ち構えていなければこんなベストタイミングで相手方が私と鉢合わせする確率はいかほどのものであったろう。私は東大和警察を介して乳飲み子を返してもらった後すぐに長男を返してもらいに行ったのだから。
いづれにせよ、相手方による「有利な離婚」をするための第一段階、「母子引き離し作戦」は見事に成功した。
言うまでもなく、私は乳飲み子だった長女だけはなく、長男も返せという思いだけだった。相手方は「私を殺そうとした悪質さ」と主張しており、さらには一方的に私が従前から「一人で暴れまわっていた」という供述をしている。確かに性格上私も黙ってはいないタイプだから、それまでのイザコザがあった事も確かだ。しかし私も相手方に首を絞められたりと一定の実力行使があったのだ。ただ、DVを巡る争いは「最初に言いがかりをつけたもの勝ち」でもある。それまでのイザコザは私的には「お互い様」という思いでもあった。
しかしながら、先に「殺されそうになった」と言えばいいのが現在のDV法である。
もちろん、我が子を誘拐されたとは言え、当時の担当検事が「子どもも小さいし起訴にはならないだろう」と言っていたような事件を正当化できない。それでも要は相手方としては「先に手を出し」てもらって「既成事実」を作り上げる動機が十分にあると言う事だ。
事件当日は長男が兄宅に軟禁(法的にはそうなるらしいが、事実上の拉致・監禁)されている事しか分かっていない。面倒を見ているのが犬のクソを食べさせた豊美かもしれないし。
そんな折に、兄・英明宅の周囲を数十分とか張り込んでいたというなら、そこへ相手方が現れる蓋然性はあろう。しかし私が到着する「まさにその時に」玄関先から出てくる偶然性の起こり得る可能性は極めて低い。そもそも相手方が事件後の供述で「車を動かすため」としているが、なぜ動かす必要があるのであろう。偶然と言うよりも作られた必然、私が来ることを見越して待ち構えていたのだ。
そしてここではっきりしておきたいので繰り返すが、相手方の主張では「途中から」その場には長男がいたという話にすり替わっているが現場ではない、家の中だ。もちろん、長男が家にいるであろうことは分かっていたが、それは長男を返してもらうためだ。相手方は私をおびき寄せるためにダシとして長男を使ったのだ。
私に「騒ぎを起こしてもらう」ために。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?