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阪神淡路大震災
今から25年前の1月17日
ゴエが生まれる5年前。兄が生まれた年でもある。
早朝、朝ごはんやお弁当の準備に取りかかる人もいる時間帯。ガスで調理するのが主流の時代。木造建築の多い神戸の街。震度7。マグニチュード7.3の大きな地震が神戸、大阪、淡路島周辺を襲った。大きな揺れと共に起きた人たちはたんすや建物自体の下敷きとなった。発生から数時間後には至るところで火事が起きたが道幅も狭く消防車も通れなく消火は難航。下敷きになった人たちを助けようと多くの人たちが救助に走った。それでも建物の下敷きに、火災により、約6000人の方が亡くなった。
そこから始まる避難所生活。支給される水を我先にもらうのではなく、並んで待つ、助け合いの精神。
そこから這い上がり見事な復興を成し遂げた。
ルミナリエ綺麗だったな。保育園に通っていた頃に1度だけいったことがある。
ここまでが阪神淡路大震災についての記憶。
兵庫県生まれ兵庫県育ち。神戸から車で約1時間30分くらい離れたところ。出身を兵庫と言えばほぼ間違いなく、神戸なん?都会でええな~と言われるがまあ山間の田舎出身である。
そんなことはどうでもよくて、今日だけは神戸という言葉に敏感になる。それは兵庫で生まれ育ち、習慣のようにもなったからだ。
小学生くらいのときから高校生まで
毎年この日は震災について
考え、学び、黙とうをささげてきた。
兵庫県だけなのか全国的にもなのかは知らないが、
震災後に生まれた歌がある。
「しあわせ運べるように」
響き渡れ僕たちの歌。
生まれ変わる神戸の街に。
届けたい私たちの歌。
幸せ運べるように。
ずっと歌い続けた歌だから、今年もふいに口ずさんでいた。
震災は経験していないけれど、歌でずっと心に残っている。
忘れることなく、その記憶はずっと残り続けている。
兵庫から離れて毎年やってきたことに意味があったんだなって理解できた。
震災から四半世紀
歌によって風化することはないんだろうな
あー買い物行ったときに缶詰め買っとけばよかった
備蓄、防災、この際だから準備しないとね
御冥福をお祈りします。
https://youtu.be/oIfMOPz8s98
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