見出し画像

相棒#呑みながら書きました。

吞みながら書きました。後夜祭参加します。(気がついたら後夜祭でした)

noteは呑み書きの時しか書いていないような気がしますが、これがあるからなんか書こうと重い腰を上げているような気がします。
「創る・表現する人になりたい」って嘘じゃんって、いつも思います。特に最近は、頭の中が空っぽというよりは、動くのを拒否してる感じで。考えたくない。何辛煮原点だ…何から逃げてんだ。

今日のお供は、近所のコーヒー屋さんでもとめた「KENIYA」をミルで引いて入れました。コップ汚れてるけど、気にしない。ごめん。ニシアフリカトカゲモドキも顔出してます。


YA!

愛猫のあさりが逝ってから、このトカゲモドキを言着く印出ます。愛しんでます。名前はないけど、まぁ、何も言わず寄り添ってくれているのが何よりうれしい。ときどき、口をぱっかりと開けて、綺麗な桃色の口内を眺めては、虫歯ないよねってつぶやく。

さて、何書こう。

書くネタはたくさんある。たぶん。
特に今年に入ってからは、いろんなとこに行って、いろんな「初」を体験して、今ちょっと小休止。

一番大きな出来事はオフ会に参加したこと。

でも、これは後でゆっくり書きたいから、呑み書きでは書かないでおこう。

そう、そう、パートナーのことを書こうかな。

昨年、下の娘が社会人になって家を出て、夫婦ふたりになった。
なんにも変わらないけど、なんだか子どももいないのに「お父さん」「お母さん」なんていうのも変だなtって思うようになったのは、いつからだろう。

この春夫が精神的不調を訴えて休職してから、仕事に行くのが私一人で、今まで「お父さん」「夫」「大黒柱」「配偶者」って表現されてきた目の前の一人の人に、なんか、違和感のようなものが芽生えた。そのあたりからだったような気がする。

お父さんでも、夫でも、配偶者でも、大黒柱でもない。ひとりの人。

そういう人と、これからの人生を過ごす。

そういう人をパートナーっていうのかな。うーん、違うな。カタカナだとしっくりこない。

相棒。

そう、これからの時間を過ごす、相棒。

そう思うと、どこか重たい責任感とか、義務感とか、そういうものじゃなくて、ちょっと距離を楽しみながら、相手を観察しながら、時には相手の興味に耳を傾けて面白がったり、自分の楽しいや悲しいを聞いてもらって利(たり)、そうやって、残りの時間を過ごせそうな気がするな。

それはたまたま私たちが夫婦だったり社会的に配偶者と呼ばれる相手だけど、「相棒」って思うだけで、ちょっとだけ楽しくなるような気がするんだよね。

みんなは、どうだろう。

※ニシアフリカトカゲモドキはガチャガチャのおもちゃだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?