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ジェラートと海

数年前の、ヴェネツィアで過ごした時間を思うと、

テラス席でジェラートを食べながら、揺れる波を眺めていた、
エメラルドグリーンの波に、反射する光

そんな時間に、

ジェラートが身体の内で溶けていく。

置き去りにしていた記憶が呼び覚まされる。
フラッシュバック。(マドレーヌ!!)

なんでもないこと。

体験は、その周囲と重なり、ふれあい、だんだんと融和していく、そして自分の文化と対象の文化とを融和していくことに意味がある。
(そんなことして、何になるの?お腹はふくれないわ。)
自分の文化として、土壌として手にしておきたいものを得る。

距離を縮める作業。
その対象の放つ光の延長線上に、僕はいたい。
対象と同居できる資格。
初めましての間柄の、彼女と僕とをつなぐ心地よい違和感。

海をめでる心は、山を愛でる心は、花を愛でる心は、その人とそれらとの融和を促す。
そして物理的な所有が離れても、距離が離れても、その人からは無意識のうちに対象の光が放射されるだろう。(それがカネになるの?)

自分が好きな対象と共にありたいと願い、自然に寄り添うことが”大事”だと言うのでもない。

自分が接する文化が、思考が、自分のオーラを作り、他人に放射される、そしてその触れる文化は、自分の心の向かうままに従うものであった”ほうが”いい。

他人から強制されたものを、
共生しなければならない悪友と見立てて日々を過ごしていくのならば、それはいびつな関係を生むだろう。

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Tomohiro Iida
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