もの読む女たち
昨年の12月から月に一度、友人Rと読書会をひらいている。
Rに限らず人と会えば自然と本の話になるのが常だが、Rとの読書会にはいちおうの形式がある。月ごとにテーマをきめて、そのテーマに沿った本(今では派生して漫画や映画も)を2、3冊もちより、紹介しあうというものだ。2月のテーマは「食」だった。私たちは、それぞれひと月をかけて本箱と向き合い、文字通り掘り起し漁りながら選書する。相手の好みを想像し、時にはテーマの解釈にも捻りをきかせる。毎月の心浮くこの習慣は、私の生活を色付きにしてくれている。
ところで、Rと私は同大出身といえども、学生時代をともに過ごしていない。いちど学内のファッションショーで一緒になったのが出逢いのきっかけだが、単発のものであったし部門も違ったため、ほとんど言葉を交わさないまま終わった。かろうじて相互フォローになったSNSのみでの繋がりが5年ほど続いた。ほんの時たまリプライを飛ばす程度のひどく緩やかな関係であったが、感覚の似ている部分があることをおそらく互いに自覚していた。そんなこんなで、「せっかくなら一度会いましょうか」となり、今に至った次第である。卒業から3年が経とうとするころになってようやく。
だから、実はまだあまりRについて知らない。学生時代の暇をどのように持て余していたのか、その遊び方も、アルバイトでさえ。それでも、選書の理由やお気に入りの一節について話しているなかで、ぬるりと個人史の核にまで直に触れてしまうことがある。それは、なかなかにスリリングな体験だ。だが、存外にすんなりと受容できてしまう。不思議なものだ。
先月、私は平野紗季子さんの『生まれた時からアルデンテ』について知り、Rが麺をすするのが苦手なことを知った。Rは『世界のかわいいお菓子』について知り、私の部屋にウォルナットのベッドが届いたことを知った。そしてふたりで、ベトナム料理はタイ料理と比べて味付けが甘いということを知った。
きっとこれからも、陽気においしいものをたらふく食べ、寄り道しながら散歩をし、本を片手に愛やことばについて熱く語らい、あらたに何かを発見していくのだろう。
※3月は外出自粛要請につきオンラインにて実施予定。