言葉に憧れ、真夜中を彷徨う
大学三年の時には見向きもしなかった就活と、
刻一刻と近づく24歳という節目の年齢が、
じわりじわりと自分という存在をあぶり出している、そんな感覚をもてあそぶ夜。
最近思考の海にのまれることが多い。
そのくせして、研究も恋愛もなにも生まれない。
多分、今の自分は終電を逃して彷徨っている夜のような感じなのだと思う。わからないけども。
まぁ、そんなことを言ってみたくなっただけと言えばだけなんだけど、最近は綺麗な言葉に憧れる。
noteのエッセイは不思議なもので、そんな言葉が湧いて出るように転がっている。それを時々読みながら、内容がどれほど頭に入っているかはわからないけど、とりあえず転がす。
そして、なんだか高尚になった気分になる。
その後はすごく単純で。自分もやってみたい!と子供のような無邪気さで始めようとしては冷静になり、またやりたくなってはやめ、を繰り返し、結果書いてみようとまた文字を打ち込んでいる。
この言葉たちがどれほどのものか?いつも憧れてる言葉と比べたら道端の石ころぐらいにしか思えないのだけど、とりあえず彷徨っている感情と思考は、定期的に吐き出さなきゃいけないと思うので、やはり続ける。
今、自分が何に一番悩んでいるのか?それが、この彷徨いのテーマでもあるのだけど、多分、言葉にするんだとしたら「自分探し」、そんな陳腐で使い古された言葉がしっくりくるのかもしれない。
とにかく、いろんなことが、特に自分が、わからない。そんな感覚が日々襲ってくる。
忙しいのに、忙しくない。暇じゃないはずなのに、暇でいる。辛いのに、好きでいる。そんな矛盾は星の数ほど溢れている。
時々冷静になっては、なんでだろう?と虚空に問いかける。すると答えは帰ってこないまま、その問いかけが深夜2時の空のような真っ黒な空間に吸い込まれていく。
そのわりには他人にモチベーションアップにはどうすればいいかなんて書き始めて、それを楽しんでいる自分がいる。多分、それで自分が少し解明できた気がするからだろうか。
でもその快楽も一過性のものにすぎず、気付いたら暗闇に逆戻りしている。
で、思う。
今の自分って、大人になれてるの?
どうしても残る、まだ子供だという感覚。24歳手前で何を言ってるんだという感じだけど、それは確実にある。
一人暮らししてないからとか彼女いたことないからとか適当な理由をつけてその感覚を正当化してきたけど
果たして、大人になるのが先なのか、何か足りてないことが先なのか、それも謎である。
まとまりがなくなってしまった。けど、思考の彷徨いはこんなもんだ。寄り道したければするし、歩きたければ歩くし、落ち着きたければ落ち着ける場所を探すんだろう。
今日も終わらない深夜の散歩が続いている。