メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ 』第397号「氣爲衛衛於外」(内景篇・氣)2
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第397号
○ 「氣爲衛衛於外」(内景篇・氣)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。気の章「氣爲衛衛於外」の続きです。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「氣爲衛衛於外」p86 下段・内景篇・氣)
内經曰衛者水穀之悍氣也其氣慓疾滑利
不能入於脈也故循皮膚之中分肉之間熏於肓
膜散於胸腹
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
内經曰、衛者、水穀之悍氣也。其氣慓疾滑利、
不能入於脈也。故循皮膚之中、分肉之間、
熏於肓膜、散於胸腹。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
▲訓読▲(読み下し)
内經(だいけい)に曰(いは)く、衛(え)は、
水穀(すいこく)の悍氣(かんき)なり。
その氣(き)慓疾(ひょうしつ)滑利(かつり)、
脈(みゃく)に入(い)ることあたはざるなり。
故(ゆえ)に皮膚(ひふ)の中(うち)、
分肉(ぶんにく)の間(かん)に循(めぐり)て、
肓膜(こうまく)に熏(くん)じ、
胸腹(きょうふく)に散(さん)じる。
■現代語訳■
内経に言う、衛気は水穀の悍気である。
その気は素早く動き、滑る性質のため、
脈に入ることができない、ゆえに皮膚の中、
分肉の間を循環して、肓膜を燻蒸した後に、
胸腹に散じる。
★ 解説 ★
「氣爲衛衛於外」の続き、同じく霊枢からの引用です。
ここでは衛気の性質から分布が述べられています。前号部分では分布と、それに絡めてうまく暗に性質が述べられていたのですが、ここではより明確に性質が説かれています。
まず衛気を定義して「水穀の悍気」だと言っています。水穀についてはこの前の項目で説かれていましたね。それを受けてこの流れになっていることも読み取れます。
「悍」とは、今の日本ではあまり用いられない漢字で、かろうじて悍馬(かんば)という語を使うか使わないか、というところでしょうか、これは気の荒い馬という意味ですね。要は「悍」は荒い、勇ましい、猛々しい、などの意味があります。
そしてその性質を「慓疾滑利」と言っています。それで「不能入於脈」であるために、その分布が決まってしまうのだという流れです。
「慓疾滑利」は「慓疾」「滑利」で、前者は「早い、速い」ということです。これはよいでしょう。動きが速いために脈に入りにくい、という発想です。
では後者はどうでしょうか?「滑利」には「なめらか」という意味がありますが、単に「なめらか」なために「脈に入らない」という論理は少し成り立ちにくいですね。
「滑」には「すべる」という意味があるので、こちらを採用すれば、つるつる滑るために脈に入っていくことができない、というイメージが成り立ちそうで、訳ではそうしておきました。
他にも「滑」には「みだれる」という意味もあり、「脈に入らない」という点から逆算すれば、「安定せずに常にみだれている」ために脈に入ることができないというイメージができ、上記のふたつよりしっくりきます。もとのこの語の作者さんのイメージにはこれがあるのかもしれません。
このようにたったひとつの語でも、掘り下げて考えればなかなかの手間がかかるものですね。ただ、東医宝鑑の編者さんは引用者ですから、そこまで掘り下げて引用したかどうかはわかりません。
当然ここの語句を読んだ上での引用でしょうから、それぞれの語句を解釈はしたはずですが、どのように解釈したかまでは、引用からは読み取れませんね。
大本の霊枢の作者さんの意図とは違った読み方をしているかもしれず、その違った読み方が、今度は東医宝鑑では正しい読み方のベースになるということで、引用の読解、翻訳の難しさがさらに増しますね。
そのあたりを考えながら読むのもまた原文の、さらに引用としての東医宝鑑を読み深めるひとつの作業にもなるかもしれません。
◆ 編集後記
「氣爲衛衛於外」続きです。今年も残すところあと一回の配信となりました。引き続きこのペースで倦まず弛まず配信を続けていく所存です。
(2020.12.20.第397号)
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