メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第409号「衛氣行度」(内景篇・氣)6
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
第409号
○ 「衛氣行度」(内景篇・氣)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こんにちは。気の章「衛氣行度」の続きです。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「衛氣行度」p87 下段・内景篇・氣)
其至於足也
入足心出内踝下行陰分復合於目故爲一周二
十五周於身陽盡於陰陰受氣矣
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
其至於足也、入足心出内踝下、行陰分、復合於目、
故爲一周。二十五周於身、陽盡於陰、陰受氣矣。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
▲訓読▲(読み下し)
其(そ)の足(あし)に至(いた)るや、足心(そくしん)に
入(はい)り、内踝(ないか)の下(した)に出(いで)て、
陰分(いんぶん)に行(めぐ)り、復(ま)た目(め)に
合(ごう)す、故(ゆえ)に一周(いっしゅう)と爲(な)す。
身(み)に二十五周(にじゅうごしゅう)して、陽(よう)
陰(いん)に盡(つき)て、陰(いん)氣(き)を受(う)く。
■現代語訳■
足に至れば、足心に入り、内踝の下に出て、陰分に運り、
再び目に合わさる、このように一周する。
身体に二十五周して、陽から陰に替わり、
陰が気を受け継ぐ。
★ 解説 ★
「衛氣行度」、さらなる続きです。前を受けて足に至る支について触れ、一周し終わったと言っています。
さほど難しくないように見えますが問題点があり、初めの
入足心出内踝下行陰分
の部分です。上では既に断句して訳まで提示してしまっていますが、改めてこれはどこで切ったら良いでしょうか?
まず、上ではこのように切っています。
入足心出内踝下、行陰分
さらに細かく、
入足心、出内踝下、行陰分
と切ることも可能ですが、意味は同じになります。ところが江戸期の『訂正 東医宝鑑』では、以下のように切っています。
入足心出内踝、下行陰分
実際には句読点が無いのですが、以下のように訓読していることで、上のように切って読んでいることがわかるのですね。その読み方で読み下してみます。
足心に入り、内踝に出て、陰分に下行して、
わかりやすいように両者の違いを並べると、
内踝の下に出て、陰分に行る
内踝に出て、陰分に下行する
という違いです。たった一字の切れ目の違いで、具体的な部位まで全く違ってしまっているのです。
では、これはどちらが正しいと考えられるでしょうか?
合理的に考えて、「内踝」つまり足のうちのくるぶしですが、そこからさらに下行したところが陰分であるとは考えにくいですよね。
ところが、漢字の字数や、また前の部分に「上行」「下行」という語があっように、ここでもその流れを受けて「下行」としているという可能性もあります。
さらに、別の可能性があって、テキストによって「下行」ではなく「上行」としているものもあるのですね。そうなると内踝から下行するという問題点が解消されてしまうわけです。
つまり、ここでの可能性は三種類あるということです。
入足心出内踝下、行陰分
入足心出内踝、下行陰分
入足心出内踝、上行陰分
メルマガの断句や訓読、訳では一番上を採用していますが、このうちどれが一番整合性を持ちそうなのか、前後の流れを含めて、改めてご自身で考察していただけたらと思います。
◆ 編集後記
「衛氣行度」の続きです。次号でこの段落が読み終わり、さらに二段落が残り、それぞれ一号の配信、都合あと三号でこの項目を読み終われればと考えています。
(2021.3.21.第409号)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?