メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』410号「衛氣行度」(内景篇・氣)7

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆


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  第410号

    ○ 「衛氣行度」(内景篇・氣)

        ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

      ◆ 編集後記
         

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 こんにちは。気の章「衛氣行度」の続きです。

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

 (「衛氣行度」p87 下段・内景篇・氣)

                                 又曰人經脈上下左右前後二十
   八脈周身十六丈二尺以應二十八宿漏水下百
   刻以分晝夜故一萬三千五百息氣行五十營於
   身矣

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

       又曰、人經脈上下左右前後二十八脈、

  周身十六丈二尺、以應二十八宿、漏水下百刻、

  以分晝夜、故一萬三千五百息、氣行五十營於身矣。

 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
 
 ▲訓読▲(読み下し)

       又(また)曰(いは)く、人(ひと)の

  經脈(けいみゃく)は上下左右前後(じょうげさゆうぜんご)

  二十八脈(にじゅうはちみゃく)、身(み)を周(めぐる)こと

  十六丈二尺(じゅうろくじょうにしゃく)、以(もっ)て

  二十八宿(にじゅうはちしゅく)に應(おう)ず、

  漏水(ろうすい)の下(くだる)こと百刻(ひゃっこく)、

  以(もっ)て晝夜(ちゅうや)を分(わか)つ、故(ゆえ)に

  一萬三千五百息(いちまんさんぜんごひゃくそく)、

  氣(き)行(めぐる)こと身(み)に五十營(ごじゅうえい)なり。

 ■現代語訳■
  
       また言う、人の経脈は上下・左右・前後で二十八脈があり、

  全身を周る長さは十六丈二尺であり、これが二十八宿に相応する。

  水時計は百刻で昼夜を分ける、ゆえに一万三千五百回呼吸をして、

  気が全身を五十回運るのである。
  
 ★ 解説 ★

 「衛氣行度」、次の段落です。
 メルマガの配信ではもう10年以上も前の記事なので当時からお読みの方、またご記憶の方も少ないかと思いますが、ここでこの東医宝鑑が冒頭から語っていた、天地人相関をテーマにした語りになっています。

 例えば「形氣定壽夭」の項目にはこんな語りがありました。

  先哲の言葉に、「河川や海の潮汐は、
 すなわち天地の呼吸であり、一昼夜に二度ずつ、
 満ち引きするのみである。人の呼吸は、
 一昼夜に一万三千五百息ある。
 ゆえに天地の寿命は悠久で果てることがなく、
 人の寿命は年数が百にも満たないのである。」と。

 一日の呼吸の数が同じですね。こちらでは気の運りとして具体的な説かれていることになります。 

 原文の「漏水」は、現在の日本で言うと水漏れみたいな感じで読めてしまいますが、これは「漏刻」という水時計があって、その水が落ちることを指しています。

 百刻というのは当時、百刻制と言って一日を百刻に分けていたことによります。こんな短い記述でも当時の文化的な背景がわからないと読めないという例ですね。

 ◆ 編集後記

 「衛氣行度」の続きです。次号はこの項目最後の段落です。次の段落は今号部分より短く、一号で読んでしまえそうで、ようやくこの項目を読み終えることができます。
                      (2021.3.28.第410号)
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