メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第402号「氣爲衛衛於外」(内景篇・氣)7
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第402号
○ 「氣爲衛衛於外」(内景篇・氣)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。気の章「氣爲衛衛於外」の続きです。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「氣爲衛衛於外」p86 下段・内景篇・氣)
人之陽氣猶天之日光人失
陽氣則壽命易折猶天失光明則萬物無以發生
也
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
人之陽氣、猶天之日光、人失陽氣則壽命易折、
猶天失光明、則萬物無以發生也。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
猶 な‐を、ごと‐し、ちょうど~のようである
AはなをBのごとし、AはBと同じである、AはちょうどBのようである
▲訓読▲(読み下し)
人(ひと)の陽氣(ようき)は、猶(な)を天(てん)の
日光(にっこう)のごとし、人(ひと)陽氣(ようき)を
失(しっ)すれば則(すなは)ち壽命(じゅみょう)
折(お)れ易(やす)く、猶(な)を天(てん)
光明(こうみょう)を失(しっ)すれば、則(すなは)ち
萬物(ばんぶつ)以(もっ)て發生(はっせい)すること
無(な)きがごとし。
■現代語訳■
人の陽気は、あたかも天の日光のようであり、
人が陽気を失えば寿命を失いやすく、
あたかも天が光明を失えば、万物が発生することが
無いのと同様である。
★ 解説 ★
「氣爲衛衛於外」の続き、ようやくこの段落の最後です。ここでは人の陽気を天の日光になぞらえての語りとなっています。
文章の構成も比較的単純で、語釈欄に書いたように「猶」、漢文では再読文字として「AはなをBのごとし」と読む句法が二度登場し、内容にも文章にもリズムをつけています。
この文などは翻訳しなくてもむしろ訓読しただけですんなり意味が通り、文章の調子も良く、かえって翻訳よりもわかりやすく音としても優れているような文章ですね。
4号にわたってようやくひとつの段落を読み終わることができました。
細切れの配信で全体がわかりにくくなりましたので、この段落に入ってからの翻訳を並べて記載してみたいと思います。これにより文章の前後の流れがわかりやすくなると思います。
なお、見やすいように行間を空けますが、本来はこれ全部で一段落で、原文にはこの区切りは無いものです。
また言う、陽気は天における太陽のようであり、
その本来の場所を失えば、夭折して明るく
顕れることがない。ゆえに天の運行は日光があるゆえに
明らかなのであり、同様に陽は上って外を衛るのである。
註釈に言う、陽は動を主り、人の知覚や運動、
耳で聴き、目で見、言葉を話し、匂いを嗅ぐなどは、
霧や露が灌ぐように、全て陽気が皮膚を薫じ、
身体に充ちて毛髪を潤して、これを充たすためである。
もし一たび陽気がその本来の場所を失えば、あちこちに
散って運ることができず、燻蒸しまた潤沢にする道が渋り、
内では九竅が閉塞し、外では肌肉が停滞し、人の知覚や運動、
耳で聴き、目で見、言葉を話し、匂いを嗅ぐなどの作用が
全て失われてしまう。
人の陽気は、あたかも天の日光のようであり、
人が陽気を失えば寿命を失いやすく、
あたかも天が光明を失えば、万物が発生することが
無いのと同様である。
◆ 編集後記
「氣爲衛衛於外」続きです。ようやく4号かけて一つの段落を読み終えることができました。
残りはあと一段落で、できれば一号で配信してしまいたく思っています。
(2021.1.31.第402号)
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