吾唯不知足

今日は"なんで**しないの?"と言う問いに対しての自分なりの答."**したとして,何かが〇〇に変わるかもしれない"という期待がないから.これから当たり前じゃんって話を長々とする.人に勧めたい,絶対やったほうがいいことを思い浮かべながら読み進めてほしい.僕のことがもっと嫌いになるだろう.

・なんで勉強しないの?
・なんで選挙行かないの?
・なんで運動しないの?
・なんで貯金しないの?
・なんで彼/彼女作らないの?

"なんで**しないの?"という問いは(**することは君にとっても価値があるはずなのに,)なんで**しないの?であろう.この問いをかけられる人の中で,実際に試してダメだったという人は少数ではないだろうか.そもそも試した人にはこの問いはかけられない."早く**できるといいね"などと声をかけられるのだ.

ではなぜか.一つ目のステップは,その前提が二者で異なっているから.やらない側にとってはコストが見合っていない.時間,お金.精神/肉体的負担がどれにも少なからずかかる.だから先の問いはこう聞こえるのだ.

・なんで(参考書買って,時間作って)勉強しないの?
・なんで(事前に政策調べて)選挙行かないの?
・なんで(時間作って(場合によってはお金も払って))運動しないの?
・なんで(生活費/遊興費を削って)貯金しないの?
・なんで(人間関係作って)彼/彼女作らないの?
+(絶対やったほうがいいのに)

悲しいかな嬉しいかな,自身の資源は人それぞれ総量も手に入れやすさも違う.時間がないんです,お金がないんです,気分/体力がないでんす...."いやあるだろ!"は"いや(使える資源は)あるだろ!"と思うだろう.あそこにベンツが停まっていますね...と言いたくなるかもしれない.そうそこなのだ,(わざわざタバコをやめてまで)ベンツはいらないのだ."**をした結果に得られる(かもしれない)利益のために資源を使いたくない"

"なら仕方ないね...."と思えるなら良い.ただ価値観が違うだけだ,他の部分でそれなりに仲良くしていれば/さっと離れていけばいい.そうではなくて"いやなぜやってもいないのにそんなことを言うんだ!やってみなければわからないだろ!"と思うだろうか.あぁ私のような愚かな人間にあなたはどうしてそんなに慈悲深く,気にかけてくれるのでしょうか.しかし,愚かな人間はそれに如何に価値がある(かもしれない)のかをわかっていないのだ.過小評価しているのか,そもそもどれほどの価値があるのか全く考えたこともないかどちらなのか.

どちらにせよその間違った評価はなぜ改善されないのか,それは"それをやったとして自分の生活が良くなる"という期待を全く持てないというに尽きると思う.全てにおいて学習性無気力が支配する.富めるものが益々富む,勝者が勝ち続けるゲームで,自分が勝者でないと知ったら負け続けるゲームに参加する価値はない.

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touya
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