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素粒子物理は粒子を扱わない:お話物理:場の量子論

前回は,現実を説明するために,粒子描像を捨てたのだった.粒子とは物理量の局在であると言う立場を取ることにした.

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ペットボトルのキャップを粒子に見立て,それをヒモで型取る.キャップを直接見ることはできないと言う立場を取れば,ヒモの形を持って粒子の有無を判断することになる.

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となれば,ヒモの形状が変われば粒子の数が変わったり,種類が変わったりするのだ.

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今日はこの粒子とは物理量の局在,つまりヒモのたわみが粒子であると言う立場をもう少し物理っぽく言おうと思う.


先のヒモとキャップの例えは,時間+空間の二次元の世界での粒子描像を考えたものだ.横向きの自由度と時間の自由度で二次元だ.

今,世界は時間+空間三次元の四次元であると考えられている.だったらヒモに相当するのは時間と空間の各点で値をもつものになる.

時空の各点で値をもつものを物理の世界では"場(ば)"と呼ぶ.


身近な場の例を出してみよう.天気予報をイメージしてほしい.

一つ目は温度を場として考える見方だ.ある時間,ある場所の"温度"を測って全ての時間と場所のリストを作ってしまえばそれは場になるわけだ.時間と空間の各点に温度と言う値が定義されている.

もう一つは風向きだ.同じように時間と空間の各点で"風向き"と言うベクトルのリストを作ってしまえばそれは場になる.


このように時間と空間の各点に値が定義されたもの"場"が粒子に相当する物理量の局在を表す,ヒモだと思うと言うのが現在の物理の描像だ(前回も言ったがこのお話と超ひも理論は関係ない).粒子一種類に対し,一種類の場が対応する.

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だから今の素粒子物理の描像では,この世の素たる構成要素は,粒子ではなく空間の各点に定義された(素粒子の種類の数だけある)場なのだ.

この場たちが互いにどう言う振る舞いをし,ダイナミクスをするかを調べるのが素粒子物理の研究(の主たる対象)だ.粒子の生成や消滅,伝搬はその場たちのダイナミクスにすぎない.

(ブルーバックス的な物理のお話では,粒子は場であると言うような言い方がされているが正確ではない.粒子とは場の励起,場の値の集まりを持って粒子があると言っている)


次回からは特殊相対論的な場の理論ではどう言う場が許されるのか見ていこう.

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