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にほんご回復中【2804字】|篠田千明

第四回 2804字

最近新しくアルバイトを始めた著者。特別暑かった今年の夏を、職場である学童へ毎日自転車で通勤する。こどもが作る社会のレプリカに戸惑いつつ、夏休みを終え、今度は演出家として鳥取へ向かう。場所から場所へ役割をかえながら動き続ける著者の連載第4回目。

この夏休みから近所の学童で働き始めた。
自転車で十五分ほどの勤務先に昼の一時に家を出て向かう。八月の日中の日差しは強烈でまともに浴びたら短い時間でも痛みがするから、日焼け止めを腕と首にしっかり塗って出発する。真夏の通勤を何度か繰り返してるうちに、最も効率よく日陰を通って移動できるルートが開発された。
ベスト日陰ルートは、まず家から出て、高架の影を通りながら線路沿いに駅まで行く。その後短い商店街を抜けて、住宅地ではアパートの陰を頼りに走り、大きな公園の中を通っていく中盤は、最も涼しいベスト日陰オブ日陰。公園の中に入った瞬間から体感五度下がって感じる。土の匂いと、一斉に聞こえる蝉の声、高いところで光を遮る木が作る濃い陰と、地面がアスファルトで覆われてない事と、近くに水場がある事で、明らかに日常生活よりぐっと涼しくて、ここを通過している時は最高に気分が良い。一際高くて大きい、祠のある木の横を通り過ぎて、公園の道からアスファルト敷の路地を抜けてると木陰モードはおしまいになり、一気にまた暑さが襲ってくる。
最後は低くて広い家の住宅地を通るので日向ばかりを数分走って学童に着く。ここはどうしても気合で通り抜けるしかない。ただここはルート中一番見晴らしが開けるスポットがあって、特に涼しくはならないけれど、走り続けるモチベーションになる。自身の中の人が暑いぞと本格的に気がつかないうちに到着してしまうことも超重要で、実際はびしょびしょに汗が吹き出していても、既に室内の涼しいところにいれば精神的にはやられないで済む。
大汗かきながら入り口を開けると、外の蝉の声が全く聞こえないほどに、こどもたちがすでに縦横無尽に遊んでいる。

学童での仕事は学生時代に経験はあるものの久しぶりだ。去年の秋まで放課後デイサービスで働いていたのでこどもとは接していたけれど、個別対応が基本の放デイと、もっと多い人数を見る学童では、注意して考える事が全然違ってくる。
基本的には見守りながら、こどもに混じって遊ぶのが業務で、ウノやオセロや室内でできる運動、絵を描いたり工作したりをサポートしているんだけど、その遊びに自分がどのように関わるかを考える事は、そのまま自分と社会との関わり方を振り返る事になる。
人間が集団としてどのように振る舞うのか。厳格なようで曖昧な集団の境界線が、教室二つ分の広さに70人のこどもと10人の大人がいる中で、時刻と共に移り変わっていく。集団の中で発生する役割に関しても、こどもの方が正に今、模倣をしながら獲得している段階なので、社会よりも記号のあり方が生々しい。
例えば、おままごとで、最初はシェアルームみたいなところで一緒に住んでいる設定だったのが、そのうち恋人を見つけるためにパーティーに行こう!となり、いつの間にかそれは婚活になっていて、早く結婚して新しい家に住もう!となっている。話の流れとして次のシーズンに行きたいから結婚して家を出る、というのはわかるんだけど、それをノリノリでやるには私自身の違和感が大きすぎる。「早く彼氏作りなよ、早く結婚してよ」とせっつくこどもに、「うーん、彼氏より好きな人がほしいなー、あーでも、私は好きな人とも結婚はしないかもー」とふんわり自分の世界観を混ぜこんで返すことで、言いたくないセリフは言わないように着地している。
あとはイキり散らかした小学生男子とどう接したらいいのかも未だ模索中で、一対一なら普通に尊厳を持って接してくれるのになぜか集まるとひどいことをわざと言う。それに加えて明らかに女性職員と男性職員との態度の差があったりするとモヤりが止まらない。言われた暴言を無効にするために、冗談混じりに返していたけど、そうではなくて、イキり男子たちはウケると思ってやっているのだから、真顔で、そういうことを言うのはやめてくれ、というべきなのだろう。と言っても、実際はバタバタした時間の流れの中で、豆まきの豆を投げつけるような、攻撃の意図だけあってそこまで強くないこどもの言葉に真顔で瞬時に傷つくのは難しい。でも、言われた暴言を無効にするために冗談で返す、なんて、私が散々社会でやって後悔してきた事のはずなのに、またやってしまっている。
そういう自身の振る舞いに迷いはありつつも、こども達と遊びを考えるのはやっぱり楽しくて、ボカロやVTuberの情報は正直まわりで一番信用できるし、海の生き物が大好きな子と、図鑑や絵本を見ながら描いては豆本のように小さなオリジナル図鑑を作るのを手伝っていたら、私も大きな蛸を描くのが上手になってきた。

帰り道は、夜六時に勤務が終わるので、日の暮れかけで、行きよりもずっと楽に走れる。同じ道を逆に戻っていくと、公園に繋がる道からぐっと暗くなって、昼間とは違う蝉が鳴いている。ヒグラシとツクツクホウシ、名前と時間、名前と鳴き声が一致してるから覚えやすい。
ちょうど塩分が欲しくなる時間なので、薄闇を“からやま”の事を考えながら自転車を漕ぐ。“からやま”と言う唐揚げの専門店が、地元の駅に出来たのは知っていて、実際に寄って食べてみたのはその通勤の初日が初めてだった。とりあえず唐揚げが食べたい気持ちにまかせて初日は普通のと極ダレを一個ずつ。その後極ダレの唐揚げを二つとビール買って家で食べるのが習慣化した。
そうやって極ダレ唐揚げを三十個以上食べた夏休みが終わり、九月の上旬は公演があったので鳥取県に行ってきた。パープルタウンというショッピングモールの屋上が会場で、日没の時間に合わせて上演した。ちょうど台風が来ていて、日本海側は直撃ではなかったんだけど天気は不安定で、あらゆる機材にタイでの屋外公演さながらに雨養生をしては、真上にある黒い雨雲の様子をメッシュ予報で十分ごとにチェックしてやきもきしていたが、奇跡的に開演時間には雨もあがり、無事パフォーマンスを終えた。
十日間ほど勤務を休んだあとに東京に戻ってくると、そんな短い間でも通勤ルートに変化があった。行きは相変わらず暑いので同じように日陰を追っていくが、帰りは学童から出ると沈む間際の西陽が強烈に背中を刺すので、ちんたらせずにそれから逃げるように急いで公園に向かう。木々に囲まれた道に入ると、頭の上から降ってくる蝉よりも、下から包み込まれる虫の声が大きくなっている。
紫色の空は公園を通り抜けるほんの少しの間にとっぷり暮れ、暗闇をライトで分け入りながら、商店街を通り抜けつつ、いい加減髪切りたいな、とか、最近このお店行ってないな、とか、ここ再開したんだ、とかごちゃごちゃ考えるうちに駅前で唐揚げピックアップして家に到着。
ビールを開けて、唐揚げを食べながら、十五分の通勤の中で十日間の地球の自転を感じ、真夏だった一ヶ月を思い出して、ああ、それでも夜はだいぶ涼しくなった、と秋が本域で始まるのを待っている。


「にほんご回復中」は隔月連載です。次回の更新は12/1(金)を予定しています。


著者プロフィール

篠田千明|Chiharu Shinoda

演劇作家、演出家、観光ガイド。2004年に多摩美術大学の同級生と快快を立ち上げ、2012年に脱退するまで中心メンバーとして演出、脚本、企画を手がける。その後、バンコクに移動しソロ活動を続ける。『四つの機劇』『非劇』と、劇の成り立ちそのものを問う作品や、チリの作家の戯曲を元にした人間を見る動物園『ZOO』、その場に来た人が歩くことで革命をシュミレーションする『道をわたる』などを製作している。2018年BangkokBiennialで『超常現象館』を主催。2019年台北でADAM artist lab、マニラWSKフェスティバルMusic Hacker’s labに参加。2020年3月に日本へ帰国、練馬を拠点とする。

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