ジョグジャカルタ思い出し日⑬|西田有里
マラム・ミングー
マラム・ミングーというのは土曜の夜という意味のインドネシア語で、休日の前日の夜ということで日本語の「華金」のような雰囲気をまとった言葉であり、実際に土曜の夜は夜遅くまで町で遊ぶ若者も多く、ジョグジャカルタの目抜き通りであるマリオボロ通りにほど近いここマタラム通りも、土曜の夜はいつもより遅くまでたくさんの人で賑わう。マタラム通りのルジャールじいさんの店の並びにあるTシャツ屋さんには暗くなってもバイクに二人乗りした若者が次から次にやって来て、道端の屋台も家族連れやカップルや若者グループで賑わい、車やバイクの交通量は深夜まで減ることが無い。マラム・ミングーは街全体がどこかそわそわ浮かれているように感じられる。
さて、とある土曜の夜、私はいつものように特に用事もないのにルジャールじいさんの家に遊びに来ていた。今日は珍しくこの後何も用事が無いし、マラム・ミングーだし、たまにはナナンとバイクに二人乗りしてどこか遊びにいったりしてもいいんじゃないか、と私もちょっと浮かれた気分で期待している。どこか遊びに行く、といっても、何か公演を観に行く以外の夜の活動は、ちょっと遠くにある屋台にご飯を食べに行くとか、王宮前広場に座っておやつを食べるぐらいのことしか私には思いつかないのだけど、それでもマラム・ミングーに恋人とバイクに乗って出かけるのはいかにも楽しそうじゃないか。
ラストゥリおばさんの息子たちも、上の中学生男子は悪友たちと早々にどこかへ出かけ、下の小学生男子は近所の子供たちで集まって何時間もテレビゲームに熱中している。ルジャールじいさんは、近くのタマンブダヤ(文化センターのような施設)で美術家の友人たちがイベントしてるから参加してくるといって、ジーパンに鮮やかな水色のTシャツと外国人留学生にもらった真っ赤なニットキャップというお気に入りの服に着替えてウキウキと準備している。ちょうどこの頃ジョグジャカルタ・ビエンナーレの開催を控えて、運営の中心を担っているアーティストグループが町の人たちを巻き込む様々なイベントを企画していて、今日は路上で道行く人の似顔絵をみんなで描くのだそうだ。
しかし肝心のナナンはというと、他にやることもないくせに、どこに行っても人が多いし出かけるのは面倒くさいと、マラム・ミングーを楽しむ気持ちは全くないようだ。ただ長椅子に寝っ転がってだらだらしているだけで、本を読んだり時々携帯電話をいじったり、ずっとそんな感じである。上機嫌で出かけていくルジャールじいさんを見送って、後からタマンブダヤに様子を観に行こうとナナンを誘ってみても、「もうちょっとあとでええやん」と生返事が返ってくるだけで気がのらない様子。全然おもしろくない。
ナナンを残して一人で出かけるのもちょっと寂しい気がしてぐずぐずしていたら、すっかり出かけるタイミングを見失ってしまい、ルジャールじいさんのいない家に取り残されてしまった。いつもは来客が多い家なのに、こんな時に限って訪ねてくる人もいない。隣のラストゥリさんの家からは、子供たちがゲームに盛り上がっている声が聞こえてくる。マタラム通りの車やバイクが行きかう音は九時をすぎてもまだまだ止まらない。外の喧騒とは裏腹に、妙に家の中が静かに感じられる。
ラストゥリさんの家に行って、テレビでダンドゥットの歌番組をラストゥリさんと一緒にみたりするがそれもすぐに飽きてしまった。もしかしたらナナンも出かける気になったかもと思って、もう一回声をかけてみるが相変わらずのやる気の無さである。すっかりやることもなくなってしまって、ルジャールじいさんの店の前のベンチで行き交う人たちを眺めながらぼんやり座っていると、近所の人たちに「あれ?マラム・ミングーなのにどこも遊びに行かないの?」と声をかけられて、さらに面白くない気分になる。
夜も深まってきて、いつのまにかラストゥリさんの子供たちも皆家に帰ってきて寝てしまったのか、ラストゥリさんの家の扉はもう戸締りされてしまった。深夜12時近くにもなると通りのバイクの騒音もさすがに少し静かになる。ナナンは長椅子でそのまま寝てしまったらしい。今日はもう自分の下宿に帰ろうかなと思いながら、私も椅子に座ってついうとうとしていたら、上機嫌のルジャールじいさんが帰ってきた。
イベントはとても楽しかったらしい。ルジャールじいさんは興奮冷めやらぬという感じで、眠っていたナナンを叩き起こしてさっき描いたという絵を見せて喋り続けている。静かだった家の中に、ルジャールじいさんが持ち帰った街の華やいだ空気がぱっと広がる。私も観に行けば楽しかっただろうなと後悔していたら、ルジャールじいさんが「そういえばマリオボロ通りでワヤン(影絵芝居)もやってるよ。今から行く?」と言い出した。上機嫌のルジャールじいさんは深夜にもかかわらず全く眠たそうな気配が無い。ルジャールじいさんに叩き起こされてすっかり目が冴えてしまったナナンもワヤンなら出かけるようだ。すぐに3人で歩いてワヤンの会場まで行くことになった。
日付が変わって急に私のマラム・ミングーが活気づいてきた。ワヤンは明け方まで上演されるだろう。マラム・ミングーはまだまだ続く。
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