妄想非化学研究書 音楽と映画を読む 誇張された非科学的現実妄想生活49
■オホーツクまでは行かない 津軽海峡に燃ゆ in クリスマス
前回のお話から少し続きまして、舞台は本州最北端の地・青森へ。
93年のクリスマスで頭の悪さを露呈した事を理解せぬまま年明け。
94年になっても特に不思議と思わないまま秋田さんへ連絡してて。
でもなんだかつれない感じになっており食事に行く事も無くなり。
何だかんだと春過ぎて夏過ぎて秋も終わりに近づく頃には全くで。
マライアさんの本格的クリスマスソングが鳴り響きイロメキ立つ。
前年のドリカムと合わせ以降のクリスマスは達郎さん含め定番に。
この年のクリスマスは氷室さんの東京ドームが決定していたので、
チケット取って秋田さんを誘うも断られそのまま連絡が途絶えた。
人の気持ちを理解出来ぬまま誰を誘うか考えながら仕事していて。
そしたら同僚の男の子から急に少し休みが欲しいと言われまして。
理由を聞いたら好きな娘のご様子がおかしいから家行ってくると。
あ、この同僚君は以前プリプリのお話に出て来た太郎君なる男性。
付き合ってはいないものの、あの時の事務子さんと仲良く続いて、
食事に行ったりしてた様子だったけどもう会えないと言われたと。
理由を聞いても言ってもらえずそのまま会社来なくなってしまい。
連絡なしの欠勤だし併せて様子見て来てもらおうと休暇許可して。
翌日すぐに事務子さんのアパートへ出向くも既に退去済みとの事。
太郎君からの連絡でどうしようと相談され行きそうな所は無いか、
何かアテはあったのか思い出せと伝えたら多分実家じゃないかと。
え?実家に帰っちゃったの?因みに実家ってどこなのよ?と確認。
何と青森との事で、住所は知ってるから今から行きたいと言われ。
どこまでも突っ走る太郎君、本当に居るかも判らないのに行くと。
事務子さんの住所を手にし太郎君は青森へ直走るのでありました。
その日の夕方には青森に着いて人伝に住所見せつつ実家に着いて。
母親から確かに帰って来てて既に仕事に出ていると言われたって。
もう夜に仕事へ行ったとなれば夜の仕事しかないじゃん!と憤慨。
実家から出向ける繁華街は一つしかないから張り込みするだって。
私に足りなかった女性への熱い思いに心撃たれ頑張れと声かけて。
その後は翌々日に会社へ連絡が来て次の日に出勤して詳細聴いて。
太郎君曰く実家から通える範囲で夜の仕事と言えば地理的に一つ。
そこに絞って殿方が出向く様な店付近を徘徊してたら事務子発見。
問いただしたら正にその日から働く事になってたピンクなサロン。
一緒に店に入って店長さんに働けませんと頭下げて帰って来たと。
その日は一緒に実家に泊まれたとの事で色々と話をしたらしくて。
事務子さん壺を高額で買わされてしまったらしく支払えなくなり。
東京で暮らしながらの支払いは困難であり人にも相談できなくて。
黙って実家の青森へ帰って風俗で働いて支払っていく予定だった。
太郎君はそこで一緒に働いて返していこうと伝え付き合う流れに。
事務子さんは部屋を引き払ったので太郎君アパートへ転がり込み。
一緒に暮らす事になりつつ結婚視野に生活していきますと言われ。
私には皆無だった女性への真っすぐな熱い思いと女性への行動力。
人への思いだったり行動だったりについて思い直させてもらった。
あ、でも事務子さんにとっては高額だったけど壺のおかげなのか。
いや、ダメダメそんな事を言っては、、、太郎君のおかげですね。
色々な事を考えさせてくれた、淋しくも楽しい?クリスマスかな。
■ウルトラヴォックスとミッジ・ユーロ
師走になると自動再生されるウルトラヴォックスとミッジ・ユーロ。
布袋さん好きなんだよね?だったらウルトラヴォックスとかいいよ、
そんな安易で適当に先輩から紹介されたウルトラヴォックスの曲達。
そこから何となくミッジ・ユーロさんにピントが合ってしまってて。
まぁ確かに布袋さんなギターですけどと思いながら初期の頃も聴き、
やっぱりミッジ・ユーロさんが来てからのニューなウェイヴ感が吉。
ジョン・フォックス在籍時のパンク感から急激にニュー・ウェイヴ。
どちらも甲乙つけがたい所ですがやっぱり私はミッジ・ユーロかな。
まぁDo They Know It's Christmas?のお陰でもあるのですが中々な。
寒い冬にキラキラな街並みとヒョロヒョロな歌声とキラキラシンセ。
曲がり者な性格だからかキラキラなマライアがちょいと苦手な私で。
ポップになり過ぎないギリギリをシンセで攻めてる感じが特に良き。
ヴィサージだったりミック・カーンとやってみたりと多種多様な人。
まぁ歌い出すとヒョロヒョロっとニューなウェイヴ感が満載ですが。
■1985 Live Aid
Do They Know It's Christmas?からのWe Are the WorldでLive Aidか。
イギリス方面とアメリカ方面でチャリティ曲を出して最後にライブ。
日本では大々的にテレビでやってたのはWe Are the Worldだったか。
まぁマイケル・ジャクソンいたしテレビで流れ易いのは仕方ないか。
当時まだ子供過ぎて事の大きさや意味合いが理解出来なかったけど、
アフリカ飢餓問題位は何となく理解出来てたし判ったつもりだった。
大人になるにつれて事の大きさを理解していった様な気がしてます。
ライブの方は日本でも夜中にやっていた様な気がするのですけれど、
やっぱり子供でよく覚えておらずお祭り騒ぎ?だった様な気がして。
誰が出たとか何の曲やったとかがメインな騒ぎになってた様な気が。
まぁでもあれだけ大掛かりなライブだと話題はそっちになっちゃう。
趣旨は理解しつつもやっぱり頭と耳はライブの事が先に立つよねぇ。
生放送のラジオでぶっ通しやってた音源が西新宿界隈で出ていたり、
海外放送のテレビ録画がブツ切りながらも色々出てたりして後追い。
その後にDVDのボックス出ても収録してない曲や人達がいたりで。
不定期ながらもいまだ続いているバンドエイドは時として思い出し。
今は限定的であれYouTubeで好きなタイミングで見れたり嬉しい限り。
その場所その時期、自分の置かれてる状況に応じて感じるクリスマス。
楽しむも思いを馳せるもどんな形であれキラキラしていたい12月かな。